第捌話 【2】 妲己と亜里砂
「亜里砂ちゃん、ここは駄目だよ。先生にもそう言って、今すぐ帰ろう」
「え~? そんなに? でも、椿ちゃんが居るから大丈夫だよね? だって、妖狐なんでしょう?」
僕の尻尾を触りながら、亜里砂ちゃんは悪びれる様子もなく、いたずらに微笑んでいる。やっぱり、この子は苦手だよ。
カナちゃんもこの子は苦手だし、下手したらクラスの女子全員に、苦手意識を持たれているんじゃないでしょうか?
すると男子の1人が、皆に向かって大声で何かを言っている。
「お~い! 外壁の一部が剥がれかけてる、そこから入れそうだ~!」
「マジですか……」
見た感じでは、外壁にも釘が打ち付けてありそうで、絶対に剥がれない様にと、かなりの補強をされていそうなのに、そこは何年もチェックされていなかったのかな。
「ふふ、大丈夫よ~何かあっても、あなたが何とか――」
「出来ないよ。ここは僕の力では、どうにも出来ないよ。僕の仲間の妖怪達でも、ここは無理。それくらい危険な所なんだよ、分かってよ」
それでも、何とか必死に止めようとするけれど、逆に亜里砂ちゃんの方が、僕を挑発してきた。
「ふ~ん、その程度なんだ。残念ね~あなた達は、そんなに弱いんだ」
その言葉に、ちょっとだけカチンと来たけれど、これは相手を挑発させて、何とか着いて来させようとする手段だね。
思いの外冷静になれてびっくりだけれど、それだけこの建物が不気味なんです。夜の暗闇に建つ木造の建物は、凄く怖いですね。
すると今度は、メキメキと木の板が外される音がし、男子達がざわめき始めた。
こっちを止めようとしている間に、とんでもない事をされていましたよ。そっちを止めるべきだったかな。
どうしよう……僕の影の妖術では、これだけの数は止められないし、他の妖術では無理。
そうやって僕が悩んでいると、家に入ろうとしていた男子全員が、突然何か重い物を乗せられたかの様にして、そこから1歩も動けなくなっていた。
「あ、あれ。な、何だこれ。体が重……」
「う、ぐぐぐぐ。足が、地面に引っ付いてるみたいだ」
あれ、これって確か、黒狐さんの妖術? ということは――
『やれやれ……人間の好奇心というのは、本当に恐ろしいものだな。この異様さと、恐ろしい程の邪気が分からんのか』
勾玉から聞こえる黒狐さんの声に、どこからか重力の妖術を発動してくれて、皆を足止めをしてくれたのが分かった。
結局、黒狐さんに頼ってしまった。影の妖術で、もっと大量の人を足止め出来るようになりたいよ。
だけど次の瞬間、亜里砂ちゃんがどこかで見たような、そんな妖艶な笑みを浮かべると、パチンと指を鳴らす。
すると、重力で足止めをされていた男子達が、その重力から一斉に解放された。いったい、どういうこと……。
『なっ、何だと?!』
大きな声を出さないで下さい黒狐さん。勾玉を耳に付けているから、声が耳に響いてしまって、その声にびっくりしましたよ。
それにしても、彼女はいったい何をしたの? それと、あの笑みの浮かべ方は、どこかで見たような……。
「皆! 椿ちゃんがさっきの異変を何とかしてくれたから、もう大丈夫だよ。何かあっても、こうやって守ってくれるって! さっ、中に入って探検しよ!」
「ちょっ――!!」
でも、既に遅かったです。
男子達が僕に向かって、驚きの表情と信頼の目を向けると、次々に「頼んだぜ!」って声をかけてきて、そのまま家の裏手に消えていく。恐らくだけど、その裏手の外壁が剥がれていたんだと思う。
「くっ……待って!」
それでも、何とか皆を止めようと走り出すけれど、その僕の前を、亜里砂ちゃんが通せんぼしてくる様にして立ち塞がった。
「だ~め、邪魔しないで」
「亜里砂ちゃん、退いて! それに、君はいったい何者なの?!」
だってさっき、黒狐さんの妖術を解除した時、亜里砂ちゃんから妖気を感じたんです。しかも、この禍々しい妖気、これは妲己さんの妖気です。どういう事なのかな。
「君の中から、妖気を感じたよ。亜里砂ちゃん……君は――」
「うふふふふ」
亜里砂ちゃんは、この妖気を隠していたようで、本当についさっきまで気が付かなかったよ。
すると僕の後ろに、フォローしてくれていた皆が一斉に現れ、僕と同じ様にして亜里砂ちゃんを睨みつけた。
『椿よ、お主の中の妲己は寝とるのか?』
「白狐さん、ちょっと待って。今呼んでるから」
妲己さんと同じ妖気なら、彼女が何か知っているはず。だから心の声で、僕の中の妲己さんに必死に話しかけた。
そして、僕の横にやってきた美亜ちゃんが、腕を組みながら話し始めた。
「椿、これは有名な伝説として残ってるわ。あんたも調べてたんじゃないの?」
「えっ、あっ、ごめん。いっぱい色んなのを詰め込み過ぎていて、えっと……」
すると、ようやく僕の声に反応して、妲己さんが話しかけてきた。
その声は僕にしか聞こえないから、皆に教えないといけないけれど、皆は亜里砂ちゃんの正体に、ある程度の予想が付いているらしいです。
【ふわぁ~うるさいわね~あんたから呼ぶなんて珍し――と思ったら、あらあら……面白い事になってるわね~私の片割れに会ってるなんて】
あっ、その言葉で思い出しました。
確か、妲己さんである白面金毛九尾の狐は、古代中国で悪さをしていた時に、太公望に退治されていて、体を3つに分けられたと、言い伝えにもありましたね。
1体は確か、その後に日本にやって来ていて、綺麗な少女に化け、鳥羽上皇に嫁ぐんだっけ。それから陰陽師に見破られ、逃げた先で心臓を貫かれ、毒石に姿を変えるんですよね。それが確か、玉藻前だったような。
その毒石が、有名な殺生石だけれど、それもある和尚によって、破壊されています。
だけど……残り2体が。
【そっ、私達って事】
その妲己さんの言葉に、僕は絶句してしまいました。
先生も含め、男子はもう皆、あの家の中に入って行ってしまった。しかも目の前の亜里砂ちゃんが、妲己さんと同じ九尾だと分かった。これって、かなりピンチですね。
それと、担任を誘惑しているのは、もう間違いないです。
そうでないと、大人の立場もあるというのに、あんな簡単に危険な所へと、生徒を行かせるわけがないからね。
「大丈夫? 椿ちゃん。その妲己さんて妖狐から聞いた?」
「あっ、うん……ごめん。ちょっと、この事態をどうしようかって考えていたよ」
僕がずっと黙っていたので、カナちゃんが心配してきてくれた。
そして白狐さん黒狐さんは、僕の前で身構えていて、いつでも亜里砂ちゃんに向かって、飛びかかれるようにしている。
如月さんはカナちゃんの横に居て、状況を静観している。
そういえば如月さんって、戦えるのかな? だけど、カナちゃんですらあんまり戦闘は出来ないのだから、彼女も同じだと考えた方が良いでしょうね。
「ふふ、さ~て。それじゃあ私も、そろそろあの家に入ろうかな~」
そう言うと亜里砂ちゃんは、僕達に背を向け、その家に向かって歩き出す。
この子だけは何としてでも止めないと、取り返しがつかない事になる。もうなっているかも知れないけれど、これ以上事態を悪化させたら駄目だ。
「待って! 君の目的はいったい何なの!」
何でも良いんです、とにかく足止めをしないと――って思ったのに、全く足を止めない。そして歩きながら、彼女はたった一言だけ言ってきた。
「探し物」
そして、亜里砂ちゃんまでも家の裏へと消えて行った。
探し物って、この家にいったい何があるの?
【マズいわね。椿、あいつを止めなさい】
「妲己さん、どういう事?」
もう1人の自分みたいなものだから、やっぱり妲己さんは、何か知っていそうです。
すると、妲己さんもあの子の行動は止めたいらしく、その目的を言ってくる。
【あいつの目的はね、破壊された殺生石の復元。つまり、倒された九尾の復活よ。そして、私達3体を1つにし、元の完全な九尾になる事なのよ】
なるほど、それはマズいですね。
でもそれって、妲己さん的にはマズくないどころか、とても美味しい話ではないですか?
そうやって僕が首を傾げていると、妲己さんが盛大にため息を突いてくる。知らないんだから、しょうが無いでしょう……。
【良い? 完全なる白面金毛九尾の狐の復活はね、この世界の滅亡に直結するのよ。それと、私が私じゃなくなるし、下手したらあんたまで、その九尾の栄養源として取り込まれるわよ! 何せあんたは――とと、危ない危ない、危うく話しちゃうところだったわ】
いったい僕が何だと言うのですか?! 気になってしまってしょうが無いよ。でも、箝口令があるからダメなんだろうね。
とにかく、亜里砂ちゃんの目的は、妲己さん的には美味しくは無い、という事なんですね。
【はぁ……話しすぎたわ、もう眠気が……良い? 何としても、あいつを止めるのよ!】
妲己さんはそう言うと、また静かになりました。寝ちゃいましたか。そして皆は、また無言になった僕を見て、心配してきています。
毎回毎回こうだと、皆の心配が絶えないかも知れないし、妲己さんと話す時だけは、皆に言ってからにしようかな。
「ごめん、お待たせ皆。とりあえず、妲己さんは限界らしいです。そしてあの子の目的は、白面金毛九尾の狐の、完全復活みたいです」
僕が妲己さんから聞いた事を伝えると、白狐さん黒狐さんは納得していて、カナちゃんと如月さんは青ざめています。美亜ちゃんは首を捻っているけどね……。
『椿。とりあえず、この家に入ってしまった者達の救出と、あの亜里砂という奴を捕まえんといかんぞ』
美亜ちゃんの方には、カナちゃんが説明に入ったらしいですね。九尾の事を知っていても、その後の展開はちんぷんかんぷんだったみたいです。カナちゃん、ご苦労様です。
それと、白狐さんがさっき言った通りで、今のこの状況を解決するには、男子達を助け出し、そして亜里砂ちゃんを捕まえないといけないのです。
でもそれをするには、土地神を怒らせてしまい、強力な祟りが付いてしまった、この家に入らないといけない。
因みにだけど、土地全体に祟り神が取り憑いているから、既に僕達もロックオンされています。
白狐さん黒狐さんは、センターの方に連絡をしていて、こういう祟りを除去するのを専門としている、ある妖怪を呼んだらしいけれど、その到着には時間がかかるし、土地の中には入れないらしい。
だから、救出と捕獲の方は、僕達だけで行わなければならないと、そんな事を言われてしまいました。
つまり、その妖怪さんが到着しても、この土地の外からしかフォローが出来ないのです。それだけ強力と……。
「ねぇ、白狐さん黒狐さん。これってさ、着いて来ただけで終わってました?」
『そのようじゃな』
『まぁ、安心しろ。策は用意してあるだろう』
白狐さん黒狐さんにそう言われ、僕はある事を思い出した。
そう、今回は“あの子”をおじいちゃんの家に置いて来ています。
つまり、ここで祟り神に捕まってしまったら、直ぐにセンターからおじいちゃんに連絡が行き、その子をこちらに向かわせるそうです。
だって、その子は霊魂だけじゃなく、こういった祟り的なものも、多少は浄化出来るんだって事が、最近やっと分かったのです。
だから頼んだよ、レイちゃん。