第拾話 【2】 初めてラッシュ
その日の夜。
僕と美亜ちゃんは、お風呂で顔まで湯船に浸かり、今日起こった自らの痴態を、自分の記憶から消去しようと、必死に努力しています。
その前にのぼせそうだけどね。
「何なの、あの学校の生徒達は! う~ブクブク……」
「見事な乱れっぷりでしたよ、美亜ちゃん」
「言わないで!」
美亜ちゃんがここまで顔を真っ赤にするなんて、よっぽど恥ずかしかったんでしょうね。
「まぁまぁ、皆さんが良い人で良かったでしょ? 生徒達が言ってきてくれたから、椿ちゃんも学校から去らずに済んだんでしょ?」
里子ちゃんが自分の体を洗いながら、僕に向かってそう言ってくる。
確かにそれはその通りだし、あれから校長先生も、皆が怖がっていないならって、特別に学校に通う事を許してくれたしね。
それと何故だか知らないけれど、美亜ちゃんの事も皆気に入っちゃって、来週辺りに、美亜ちゃんも学校に転入させるそうです。
これは美亜ちゃんの意思は完全に無視で、生徒の皆の要望でした。
「ねぇ、学校って勉強する所よね? 何を勉強するの? 何を持って行けば良いの?」
たけど美亜ちゃん、意外と乗り気です。別に良いですけどね。
「ちょっと待って、確かもう直ぐ期末テストだし、その後は直ぐ夏休みだからね。夏休み終わってからの方が良いんじゃ無いかな?」
僕がそう言うと、美亜ちゃんはどこか納得した顔をして「人間って大変ね」と呟いていた。
それは人間じゃ無くなってから分かったけれど、学校に行かないと、将来の生活が苦しくなる人間達の社会って、ガチガチに縛られて身動きが取れない様な、そんな息苦しさを感じちゃうね。
別にそうじゃ無くても生きていけるのに、将来がどうの、安定した生活がどうのって、皆が皆口を揃えて言っている。
それが幸せなら良いだろうね、それが幸せなら……ね。
「ところで椿ちゃん、難しい事を考えるのは良いけれど、勉強の方はどうなの? テスト近いんでしょ?」
体を洗い終えた里子ちゃんが、湯船に浸かりながら僕に言ってくる。その瞬間、こっちは血の気が引いていった。
美亜ちゃんに向かって、期末テストがあるよと言っておきながら、頭がそれを受け入れるのを拒否していたよ。
「最近なんか忙しくて、べ、勉強はしてないや……」
ノートは取っているし、何だかんだ宿題もちゃんとやっている。だけど、特別にテスト勉強とか、そう言うのはやっていない。ちょっとヤバいかも知れません。
「あら、丁度良いわね。その勉強と言うの、ちょっと見せてくれる?」
「うっ、別に良いけれど。勉強見たら、美亜ちゃん絶対学校行かないでしょ?」
「あら、私はどんな事からも逃げないわよ」
それなら良いんですけどね。
とりあえずお風呂上がってから、寝る前に少しテスト勉強をしておこう。
―― ―― ――
しばらくして、お風呂から上がった僕は、自室の机に向かいテスト勉強を始めます。
和室の部屋だからね、机の方は足が低くて、椅子を使わないタイプの物です。それでも、前の家よりは数倍マシだよ。
『ふむ。人間とは、こういう事から学ばないといけないのか、なんと不便な……しかし椿よ。お主はもう、勉強等する必要はないぞ』
「その様ですね、白狐さん……」
机に広げていた問題集を手に取り、それをパラパラと眺めていた白狐さんに言われ、納得してしまいました。
宿題をやっていた時に気付いてはいたけれど、問題を見ると、あっという間に答えが頭に湧いてくるんですよね。
それは数学だけじゃなく、物理、生物、国語、歴史、果ては英語まで。1回見ると、もうその答えが分かっちゃうし、英語なんて、その訳が全部頭に流れ込んでくる。
真面目にやっていた成果なのかなって、自分で思っていたんだけれど、今白狐さんに言われて確信しました。
妖怪に勉強は不要。
どういう原理なのかは分からないけれど、妖気が脳に何かしらの影響を与えているのかな?
成長する度に妖気が増え、その妖気が脳に影響を与え、そして知恵を与えてくれるのかな?
それでもどちらでも良いです。僕は余計な心配をしてしまっていた様ですね。
ただ問題なのが――
「大丈夫? 美亜ちゃん?」
僕の横で、頭から煙を出している美亜ちゃんの方です。
やっぱり、この妖怪の知恵と言うのは、妖気に関係しているのかな。妖気の少ない美亜ちゃんは、その……おつむも弱いようです。
「ふ、ふふ、ふふふふ。こ、これで勝ったと思わないでよね」
「いや、別にそうは思っていないけれど、本当に大丈夫?」
「今に見てなさいよ! 魚を使った妖怪食を食べまくって、絶対あんたを越えてやるんだから~!」
美亜ちゃんはそう叫ぶと、僕の部屋を全速力で出て行きました。
魚を食べたら頭が良くなるし、そこに妖気を込めた妖怪食なら、確かに一石二鳥なんだろうけれど、単に美亜ちゃんが好物だから、そう言ったんじゃないかな。
「ふぅ……テスト勉強はいっか。白狐さん黒狐さん、もう寝――無いです、やっぱりテスト勉強します」
布団に潜ろうと思って、そのまま後ろを振り向き、白狐さんと黒狐さんの目を見たのが、僕の運の尽きかな。
とんでもなく楽しそうに、爛々と目を光らせた白狐さん達。何をしてくるかなんて、そんなの一目瞭然でした。
『こらこら。白狐がさっき、勉強はする必要は無いと言っただろうが』
「い~や~! 離してぇ! 目が肉食獣の目になっていたんだよ~! 食べられるぅ!」
黒狐さんに襟首を掴まれ、布団へと引きずられる哀れな僕……。
毎回寝る度に、この2人の寵愛なんかを受けていたら、あっという間に女の子に――というよりも、その前に身が持たないんだってば。
だけど、まだ体は許していない。
それでも、別に2人になら良いかな――とか、思春期の年頃だから、何となく興味が――とか、だんだんと僕の方が危なくなってきています。
昨日なんか、非常に危ない事を言いかけましたからね……。
「ちょっと、黒狐さん! 匂い嗅がないで~それと白狐さん、首筋舐めないでぇ!」
相変わらずの2人の変態フェチを前に、布団に引きずり込まれた僕は、身悶えしながらそれに耐えています。
そして、匂いを嗅いだり舐めたりする場所が、徐々に下へ下へって――
「待って! 白狐さん黒狐さん、それ以上は――!」
『そう言えば椿よ、昨日言いかけていた事は、いったい何だったのだ?』
どうやら覚えていたようです。白狐さんに言われ、僕は一瞬身体が硬直してしまった。
あの時は、眠気で変な事を言っちゃった。って事にしようかな? 今は恥ずかしくて、とても言えないですよ。
「えっと、その……僕、何か言ってた?」
『誤魔化しても駄目だぞ』
「いっ……ひゃう?!」
すると白狐さんが、僕の耳を舐めてくると同時に、耳元でそう囁いてきた。
それは駄目です、本当に駄目です。頭がクラクラしてきて、その内馬鹿になってくるよ。
『覚の能力が限定的で助かったな、白狐』
『確かにの。覚の能力で読まれていたら、我等の寵愛から逃げまくっていただろうな。さぁ言え、椿。昨日は何を言おうとしていた』
確かに、覚さんの能力が限定的なのが悔やまれる。
あれは学校内だけで、時間制限があって、しかも妖怪の心は読めないとなっている。
本体の覚さんの方は、そんな限定的では無いらしいんだけれど、僕はその力を特別に貸して貰っているから、限定的な状態になっちゃうのです。
『さぁ、吐け。椿よ』
『ふふ、椿の尻尾の匂いは最高だな』
「ひぁっ? あぅ……うぅ、言う、言いますから、尻尾と耳だけは止めてぇ!」
僕は、この2人の攻めには耐えられ無いのでしょうか? いや、当分は無理ですよね。
白狐さんなんて、稲荷の守護者。何百年も生きているのなら、僕みたいな子を手籠めにするなんて、とても簡単なんだろうね。もう覚悟を決め、あの時の続きを言うしか無いです……。
「あの、えと、女の子になれたら……その、ぼ、僕の――フ、ファーストキスを上げるって、言いたかったの……!」
あぁ……本当にに恥ずかしいです。耳まで真っ赤になっていそうです。その恥ずかしさのあまり、僕はそのまま布団を頭から被り、白狐さんと黒狐さんの視線から回避です。
だって、2人ともなんか、微笑ましいものを見る様な、そんな目をしているんだもん! 絶対馬鹿にしている! 純情過ぎとか、そんな事を考えていそうです。
『ふっ……椿よ、甘いな。そんなものは、今貰ってやる』
「へっ? んぅ……?!」
えっ、嘘でしょう? 白狐さんが布団をはね除け、ビックリしている僕に向かって、そのままキ、キスを――?!
「――っ、白狐さん。な、何で、なん……うぅ?」
一瞬にして起こった、唇への柔らかな感触に驚いていると、白狐さんの唇が離れ、物凄い優しい笑顔を向けてきた。
何で、今キスをしたのかを問い詰めようとするけれど、白狐さんのその笑顔のせいか、凄く意識してしまっていて、言葉が上手く出て来なくなった。
『ぬ、ぬぬぬ……白狐め! 椿のファーストキスは、俺が貰おうとしていたのに。それなら、俺はこっちを貰ってやる!』
「へっ? えっ、待っ! んぅっ?!」
今度は黒狐さんですか。
そりゃあ、ファーストキスを白狐さんに取られて、ヤケになるのは分かるけれど、そうヤケクソにはならないで欲しいです。
というかキスされた後、惚けている僕の口の中に、何かが――
「ん~ん~!? んぅぅうっ!!」
長い長い黒狐さんのキス。僕の口の中に入ってきたのは、黒狐さんの――つまりそれは、その……大人のキスというものでした。
黒狐さんの胸を必死に叩いて、そこから逃れようとするけれど、叩けば叩く程に、それに比例するかのようにして、黒狐さんの腕の力も増し、キスも力強くなっていく。
『ぷはっ、ふふ。どうだ、こっちのキスは俺が貰ってやったぞ』
『ぬぬぬ、黒狐よ。やってくれたな……』
そんな事はどうでも良いから、とにかく僕を離して下さい。
完全に骨抜きにされてしまった僕は、黒狐さんの腕に抱かれたまま、放心状態です。
『おのれ、それならば我もだ! これなら、ファーストキスの相手は両方になるだろう!』
「ひっ、ま、ら、らめ――んっ?!」
完全に呂律が回っていない僕の唇は、この夜、白狐さんと黒狐さんに蹂躙されまくりました。
だけど1番の問題が、それが全く嫌では無くて、それどころか安心してきている僕の心なんです。
そしてそれと同時に、何かを思い出しそうになってしまっている。
これじゃあ駄目だ。
僕の心の準備がまだだと言うのに、このままでは、僕の記憶の封が解けちゃうかも知れないよ。
だけどこの日の夜は、何も思い出せずに終わり、満足した2人に挟まれて、やっと眠りにつけた。
この2人、絶対に許さないよ。僕の心を弄んで。仕返しして上げないと気が済みません。
そうだ……絶対に僕からも攻めて、慌てさせてやるんだから。
その時、以前お風呂で里子ちゃんに言われた事を思い出した。
『昔は椿ちゃんが私を攻めてたのに~』
もしかして、昔の僕に戻りつつあるのかな……?