第捌話 【2】 さようなら、皆
光に包まれている幼い僕は、ひたすらにお父さんとお母さんに向かって手を伸ばしています。
もう2度と会えない。それは、幼い僕にとっては無慈悲な言葉でした。
「パパ~!! ママ~!! 嫌だ~!!」
自分の体も変化していき、頭の中からも、色々なものが抜けていく感覚がして、幼い僕は必死になって、それが嫌だと叫びます。
「椿、この事は忘れるんだ。俺達の事も覚えていたら、思い出してしまうかも知れない。辛いだろうが、全て消させて貰う」
「椿。あなたは、新しい妖怪の生を歩みなさい。ついでに、あなたをある場所に送っておくわ。そこの妖怪達は、良い妖怪達ばかりだから、きっと幸せな生活が出来るはずよ」
僕のお父さんとお母さんは、順番にそんな事を言ってくるけれど、幼い僕はそれを聞きたくなくて、必死に自分を包む光を叩いています。だけど、出られなかったんです。この光の中から。
そして更に、そう言っているお父さんとお母さんの体が、足下から石化していっているのが見えました。
「パパ~!! ママ~!!」
それを見た幼い僕は、更に泣き叫んじゃっています。だけどお父さんとお母さんは、幼い僕に笑顔を向けてきました。
「椿、大丈夫だ。妖界で妖気を失っても、妖界を漂う妖気で、ギリギリ体は保たれるんだ」
「代わりに石化しちゃうけれどね。でも、大丈夫よ。私達は永遠に石像になろうとも、あなたを愛し続けるわ」
そう言ってくれるのは嬉しいけれど、この時天狐様はいったい何をーーと思ったら、天狐様も石化していっていました。
つまり、3人とも妖気を使い果たしていたのです。それだけとんでもない妖術だったという事なんですね。
「ふっ……もうここは、2度と開かれないだろう。良いのか? 金尾、銀尾」
「えぇ、愛する娘の為ですから。だけど椿、あなたのせいでは無いわ」
「そうだ。この事は、忘れるんだ。そして、幸せな生活を送れ。それが俺達の願いだ」
「ヤダァ! そんなの嫌だぁ!! わた……僕、良い子にするから! だから行かないで、離れないでぇ!!」
既に幼い僕の体は男の子になっていて、咄嗟に「僕」って言って叫んでいました。
精神も男の子になってきているんですね。凄い妖術です。
だけど、幼い僕の叫びは空しく響き渡り、そしてその体は、ゆっくりと上空に浮かんで行きます。
「嫌だ嫌だ嫌だ!! 戻って! パパとママが! パパとママがぁぁあ!! うわぁあん!!」
小さくなっていくお父さんとお母さんの姿を見ながら、幼い僕はまだ泣き叫ぶけれど、疲れが溜まっているのか、それとも妖気を使い過ぎたのか、徐々に意識が遠くなっていき、そしてそこで、僕の意識は途切れました。
ーー ーー ーー
その後の記憶は、鞍馬天狗のおじいちゃんの家の庭で、目を覚ました所からでした。
もうその時には、僕は何もかも忘れていました。何でそこに居たのか。お父さんとお母さんの事も思い出せず、何で泣いているのかも分からずに。
そこからは、僕がおじいちゃんに教えて貰い、蘇らせて貰った60年の記憶です。
だからこの記憶の映像は、もうここで終わっていて、僕はまた、真っ白な何も無い空間に戻っていました。
「どうだった? 君の封じられた記憶は」
すると僕の後ろから、狐のお面を付けた子供達が、僕に話しかけてきます。
「妲己さんの体の事、白狐さん黒狐さんの事、お父さんとお母さんの事。妖界の稲荷山で起きた事件。結界が張っていると言うよりも、そこが狭間になったから、そこに行くどころの話じゃなかったのですね。うん、全部思い出しました」
それでも、嫌な気分にはならないです。だって、もう終わった事。
だけど、白狐さん黒狐さんに対しては、また別の感情が湧いてきています。特に黒狐さん。本当は、妲己さんと両想いになりそうだったなんて。それなのに僕は、黒狐さんを横取りして……。
「これで分かったと思うけれど、君は妲己の力によって、その力を分離され、強力過ぎる天照大神の力よりも、天津甕星の力が、強く表に出るようになった」
そしてまた、狐のお面を付けた子共達が、僕に向かって言ってきます。
「そして、自分の母親と父親の強さを目の当たりにした君は、母親の方の強さに惹かれた。だから、その力を使う時だけは、君の思念に引っ張られ、その意志が金狐の姿を取り、あの口調になった。という訳だよ」
更に、別の子も続けてそう言ってくるけれど、僕自身の事だから、それは何となく分かりました。
でも僕は、それ以外の別の感情が湧いているんです。
「ふふ。本当に君は、白狐と黒狐の事しか頭に無いね」
そして、それを見抜いたかのようにして、また別の子が話しかけます。
全員同じ狐のお面を付けているし、声も一緒なんで、区別が付きませんね。
「だって、いつも一緒にいたから。あんなに一生懸命、僕を取り合っていたんです。でもそれは、この時の記憶が無いからで、この時の記憶が戻ったら、もう黒狐さんは……」
「君は、黒狐の方が好きだったのかな?」
「ふぇ? あっ、あれ?」
何でだろう、何でか分からないけれど、勝手に涙が溢れてくる。悲しさが押し寄せてくる。
あぁ、そうなんだ。僕は、僕は黒狐さんの方が……。
それは、ほんの僅かな差です。
黒狐さんの方が、喋り方が人に近くて、身近に感じていたんだ。だから、たとえ変態で情けなくても、どこか人間っぽかったのに惹かれていたのですね。
もちろん、白狐さんも同じくらい好き。だけど白狐さんは、伏見稲荷のお稲荷さんだから、どこか敬遠しちゃう気持ちが出て来ていました。あれだけ色々したけどね。
「それで? 君は全てを思い出したかな? 僕達の事も」
あぁ、結局僕に言われた使命とか、そういうのが分からないままです。だから僕は、その子達に向かって首を横に振ります。
「そうか。つまり、それはまだなんだね……」
「それじゃあ……」
「まだ、使命の時では無いって事だね」
順番に話しても、皆一緒だから分からないです。
中には女の子も居るけれど、声は一緒なんですよ。何なんだろう、この子達は。
「あの、君達はいったい?」
それを聞こうとした時、徐々に僕の意識が遠くなっていきます。
この感じは……嘘でしょう? もう目を覚ますんですか? でも、まだです。まだ最後に、この狐のお面を付けた子供達の事を……。
「僕達の事が分かるのは」
「君が、使命を果たすその時だけ……」
そう聞こえた瞬間、目の前が突然真っ暗になり、そしてしばらくして、体が横たわっている感覚に襲われました。これは多分、目を閉じて寝ているんですね。
あんな映像を見ていたし、その後も真っ白な空間に立っていたから、一瞬寝ているのが分からなかったです。
そして僕は、ゆっくりと目を開けます。
そこは、見慣れた天井に見慣れた部屋。おじいちゃんの家の、僕の部屋でした。
更に両脇には、白狐さんと黒狐さんが寝ていて、部屋の中では他の皆も、別で布団を敷いて寝ていました。
美亜ちゃん、雪ちゃん、里子ちゃん。楓ちゃんにわら子ちゃんに、龍花さん達4人も。部屋がいっぱいじゃないですか。僕、そんなに皆に心配をかけちゃったの?
そう思って、枕元にあった僕のスマホを手にすると、画面に表示された日付を見ます。
「嘘? あれから2週間も経ってるの?」
空腹感も、妖気が切れた感じもしません。
あっ、でも。横に食器とかがいっぱい置いてあるよ。皆で僕に食べさせていたんですね。ありがとう。
そしてその後に、半年前の夏、海で言われた酒呑童子さんの言葉が、頭をよぎりました。
『お前は、白狐達の下には居られなくなる』
それって、この罪悪感から、白狐さん黒狐さんの下には居られなくなる。そういう事だったのかな?
そのまま、気が付いたらまた僕は涙を流し、両脇の白狐さんと黒狐さんを見ます。
この白狐さん黒狐さんは、仮の体に魂が入っているだけ。本来の妖狐の体じゃないんです。
予備として、天狐様から沢山妖気を貰えてたとしても、魂自体に妖気を溜めるのは困難だし、出来てもほんの少量だけ。
それなのに半年前。僕が暴走した時、僕を元に戻す為にと、天狐様から渡された妖気を使い切っちゃったんだ。
「白狐さん黒狐さん。ごめんなさい」
そして、溢れてくる涙と一緒に、自然とその言葉も出て来ました。
本当の、心からの謝罪が。
それと同時に、僕は意を決しました。
今1番危険なのは、八坂さんと華陽。だけど今、その2人が見つけにくいのなら、もう一つの組織を何とかした方が良いですね。
そこで僕が暴れれば、それに反応して、2人が出て来るかも知れません。
そう考えた僕は、布団から出て立ち上がると、タンスへと向かい、パジャマからいつもの巫女服に着替えました。
皆を危険に晒す事は出来ない。白狐さん黒狐さんを、これ以上消耗させる訳にはいかない。
これは僕の問題。僕1人で片付けるんです。
幸い、目が覚めてからは力が溢れている。しかも、全く暴走する気配が無いです。これなら、いけそうな感じがする。
そして僕は、自室の窓に向かうと、その後後ろを振り向き、白狐さん黒狐さん、そして皆を眺め、一言だけ小さく呟きます。
「さようなら……皆」