第捌話 【1】 2つの封印と妲己の捨て身
黒狐さんの魂もその手に収め、両手に2つの魂を持った天狐様は、慌てて何かを探しています。
「くそ! 流石にこれではマズい。急いで仮の体に入れないと」
確かに、白狐さんと黒狐さんの魂は、徐々にその輝きを失っていっています。まさか、そのまま消えるのですか?!
「あぁ、もしかして。それ、しばらくしたら消えるのですか?」
それを見た幼い僕は、天狐様に向かってそう言うけれど、妲己さんに掴まれている影の腕を、中々振りほどけずにいます。
妲己さんはそれだけ、妖気を込めているんですね。だけど、それも無理をしているのか、表情がキツそうです。
「金狐、銀狐! まだなの?! 流石にこれ以上はキツいわよ!」
「もうすぐよ妲己! それにしてもあなた、その状態で分離は使わないの?」
「自分よりも力が上の者には効かないのよ! だけど、不安定な状態のこの子なら、私の精神を中に入れれば、何とか分離できるはずよ!」
僕のお母さんの言葉に、妲己さんがそう返します。
確かに分離が出来るのなら、何も妲己さんの精神を中に入れなくても、僕の神妖の力と、混ざってしまった神妖の力を分離してしまえば良いだけの話ですからね。
だけど、そういう欠点があるから、そうするしか無かったんだ。
そして、妲己さんがそう叫ぶ中、僕のお父さんとお母さんの妖気が、信じられない程に高くなり、そして天狐様に向かって叫びます。
「よし! 準備が出来たぞ!」
「天狐、狭間の方を……!」
「分かっている。だが、その前に白狐と黒狐を……」
そう言うと天狐様は、白狐さんと黒狐さんの魂を、裏稲荷山の上空へと上げ、そして何処かに飛ばしました。
「ふぅ……人間界の伏見稲荷の方に、仮の体の空きがあった。とりあえず急場しのぎにそこに入れたが、やれやれ……新たな体を作ってやれそうにはないな」
それが、僕が学校帰りに通っていた時、いじめが辛くて毎日行っていた、あのお稲荷さんの石像だったんですね。
そしてその後、天狐様も険しい表情を浮かべ、僕を見ています。
そんな中で、幼い僕は既に、妲己さんの影の妖術から脱していました。
「くそ。八坂も閉じ込めようとしたのだが……あいつ、いつ逃げた?!」
あっ、本当だ……気が付いたら、八坂さんがどこにもいないですよ。
いつ逃げたのかと思ったけれど、華陽を人間界に帰した、あの時しか考えられないですよね。あの時、一瞬の隙を突いて、華陽と一緒に扉を潜ったんだ。
その後、八坂さんがどうなったかは分からないけれど、ただ虎視眈々と、自身の目的を達成させようと、ずっと行動していたのでしょう。
そして、幼い僕はゆっくりと、僕のお父さんとお母さんに近付いて行きます。
「やれやれ。最初に何とかしないといけなかったのは、あなた達でしたか」
だけどそれをまた、妲己さんが止めようとしてくるけれど、幼い僕は、今度は沢山の尻尾でそれを防ぎ、そして妲己さんを捕まえてしまいました。
「あなたはもう限界でしょう? だからあなたも、もう死んで下さい」
そして、残りの尻尾で妲己さんを貫こうとした瞬間、僕の沢山の尻尾は、突然現れた一本の光に次々と掴まれていきます。
「銀雷線!」
これは……僕のお父さんが、その身を雷のようにして、幼い僕の尻尾を一本ずつ掴んでいっているのですか?
ただこの妖術、物凄い妖気の量で、お父さんはこれも同時に妖気を溜め、準備をしていたんだ。
「くっ!」
「さっ、大人しくしていて、椿。直ぐに終わるから」
「なっ!? うぐっ!」
驚く間もないくらい、僕のお父さんとお母さんは、幼い僕を取り押さえてしまいました。
お父さんが尻尾を掴み、それで油断をした所に、お母さんが幼い僕の影から分身体を出し、そして一気に取り押さえる。あっという間の連携プレーでした。
だけど……何だろう、これ。歯医者を嫌がる子供を説得しているような、そんな雰囲気がするのは、僕の気のせいでしょうか?
そして今度は、妲己さんが叫びます。
「天狐、今よ! 私の魂を肉体から剥がして!!」
つまり、精神というのは魂の事なのですね。という事は、半年前の僕の体には、2つの魂があったのですか?
人間には出来ない芸当……と言いたいけれど、僕は人間にされていたはず。妲己さんの魂は、僕の妖怪としての力と一緒に、体の奥底に封じられていたのかな?
「呼び捨ては止めろ。まぁ良い、遠慮無くいくぞ!」
そう言うと天狐様は、妖術を発動し、妲己さんの魂を抜き取ります。
そして妲己さんは、自分の魂が抜かれた時に、意図して体をそっちに倒していたのか、中央の吹き抜けにそのまま落ちて行きました。
「妲己……あなた、そこまで徹底的に……」
そうか! こうしたら妲己さんの体は、もう2度と……。
つまりこの時点でもう、華陽の目的は達成させる事が出来なくなったんだ。
それなのに、今なお目的を達成させようとしているなんて。華陽が哀れに見えてきましたよ……。
「さて、次は俺達だな。椿にはもう、2度と会えなくなるだろうが……」
「そうね、あなた。でも、椿をこのままにしておく訳にはいかないわ。この子の明るい未来の為に、親が体を張るのは当然の事よ」
そして、そんな僕のお父さんとお母さんを見て、天狐様も申し訳なさそうな顔をしています。
「すまぬ。今回ばかりは、この私も償いをしないといけないな」
「本当よ、天狐」
「あぁ。だから、この裏稲荷山全体を狭間にし、そして私はその中で、番人に徹しよう。2度とここに、人が来ないように……な」
天狐様はそう言うと、両手をバッと広げ、そして掌を輝かせていきます。
どうやら、ここを狭間にするための妖術を発動させるのでしょう。それを見た僕のお父さんとお母さんも、押さえている幼い僕に更に近付き、そして優しい笑顔を向けてきます。だけど幼い僕は、まだ必死に暴れています。
「くっ! このままで良いと思っているのですか!? あなた達は!」
「もちろんよーーと、ハッキリとは言えないけれど、この世界はそこまで弱くないわ。きっとまた、綺麗な世界になるわ」
幼い僕の言葉に、僕のお母さんはそう言います。
「だから、俺達はこの世界を信じている。お前の意志は、まだ早い」
世界を、信じる。
そんなスケールの大きい信じ方をするなんて、僕のお父さんとお母さんはやっぱり凄いですね。
そして2人は、幼い僕の額に手を当てると、妖術を発動させました。
「「封鎖封印」」
すると、僕のお父さんとお母さんの尻尾の毛が、沢山の鎖に変わり、幼い僕の体に突き刺さります。
「かはっ……あっ……」
「大丈夫よ、椿。痛くないわ。ちょっとあなたの中の力を、私達に移して封印するだけだから」
「しかしマズいな。かなり抵抗される。妲己の魂を!」
「そうね、天狐!」
「なるほど。分かった!」
すると天狐様は、自分の手の中にあった、黒い光を放っている妲己さんの魂を、幼い僕の元に向かわせます。するとその黒い光は、勝手に僕の中に入って行きます。
「流石は大妖だな。たとえ魂になっても、しっかりとその意識があり、自ら向かって行くとは」
「言葉は発せ無くても、ね。だけど、あなた……これ以上はもう、私達の妖気が……」
「信じられない。まだ、半分しか……」
そして、妲己さんの魂が幼い僕の中に入った後、それを見た僕のお父さんとお母さんはそう言います。
でも、お父さんとお母さんの鎖は、何かが通っているかのようにして真っ黒になっていき、お父さんとお母さんの中に入っていっている様な気がします。それでも、まだ半分なのですか?
すると、幼い僕はゆっくりと目を閉じ、何かを呟きます。
「愚かな事を……人は、妖怪は、世界は……この妖界の存在によって、その命運を左右されている。妖怪達の力が、その何よりの証拠……でしょう」
「確かに。人間界にいる妖怪達は、存在を忘れられたら、妖気があろうと無かろうと力が出せなくなり、最悪消滅する」
「逆に妖界に居る妖怪達は、妖界のあり余る妖気で、たとえ存在を忘れられたとしても、その存在を維持できるわね」
幼い僕の言葉に、お父さんとお母さんはそう答えます。
なる程。だから人間界に居る妖怪達は、センターが制限をさせながら、その存在を忘れさせないようにと、目立たないように活動をさせているんですね。
それだけ厳しいからか、妖界から人間界には、おいそれと妖怪達はやって来なかったのですね。
「そんな不安定な世界。いずれ歪みが生じます」
「だから俺達はな、世界はそれ程弱くないと信じている」
「決して、何かが起きるなんて事は無いわ」
お父さんとお母さんのそんな言葉を聞いて、幼い僕は少しだけ笑みを浮かべています。
「そうですか……まぁ、そう信じていなさい。世界は……いずれ……ですが、私は……諦めませんよ……」
「くっ、ダメだ……まだ抵抗するか!? 仕方無い、分離された力を半分だけ封印する。それぞれに分けるぞ!」
「そうね。こうなったら、妲己に賭けるしかないわね。それと、あの妖術も!」
「分かっている!」
「「性別変化! 記憶封鎖!」」
幼い僕の最後の抵抗に、強力な妖術で妖気が切れかけているお父さんとお母さんは、自分達の体に移して封印する力を、それぞれ半分までにして、あとは僕の中の妲己さんに、管理して貰う事に賭けたみたいです。
そして、お父さんとお母さんの尻尾の鎖が、砂みたいになって崩れていきます。
その後、幼い僕に向かって、お父さんとお母さんが新たな妖術をかけます。
すると、幼い僕の体は光に包まれ、そして宙に浮いて行きます。
「くっ、力が……! 私の、体が……うぅ、あぁぁ……!!」
そして、僕の体は徐々に変化していきます。そう、男の子の姿に……。
「女の子のままだと、華陽や八坂に狙われるかも知れないしな」
「そうね。だから椿、あなたが慌てて言ったあの願い、叶えてあげるわ」
すると、そんなお父さんとお母さんの言葉に反応するようにして、幼い僕は口を開きます。
「パ……パ? ママ……?」
それは、白金の妖狐になる前の、いつもの僕でした。毛色も尻尾の数も、何もかも元に戻っていました。
やっと戻れた。この時の僕は、そう思っていたけれど、その後直ぐに、悲しさが込み上げてきたのです。
『もう2度と会えない』
この言葉は、白金の妖狐の状態でも、いつもの幼い僕にしっかりと届いていました。