第参話 【2】 天狐様
天狐様の姿を見る前に、あり得ない人物の登場の方で、僕は驚いています。だけどこれは、僕の記憶。
子供の姿をした、八坂と呼ばれた人が現れた瞬間、僕の頭の中にも、その事が記憶として刻まれます。でもこの時の八坂さんは、子供の姿です。
白い袴に、白い薄手の着物。この格好は……狐のお面を付けていて、僕の心の中にも出て来るあの子達と、全く同じ格好だよね。違うのは、お面を付けていない事。
だけどその顔立ちは、旧校舎で見た青年の姿の八坂さんそっくりです。あれを幼くした感じですね。
そして、今気が付いたのが、この時の八坂さんの目に陰があること。何か、良くない事を考えているような、そんな目です。
だけど、幼い僕はそれには気が付かなかった。天狐様という方が気になっていたので、八坂さんの方はあんまり見ていませんでした。
「すまんな、八坂。案内してくれ」
「はい、こちらです」
僕のお父さんが八坂さんにそう言うと、案内を命じました。それに素直に従う八坂さんは、僕達に背を向けて、境内の奥へと案内していきます。
う~ん……八坂さんにしては物腰も柔らかいけれど、それはこの場所だからなのでしょうか? すると、その子はポツリとこう言ってきます。
「皆さん。天狐様には、気を付けて下さい」
「分かっている。今日の予定にも関わらず寝ていたのも、何かの準備をしていて、それで疲れて寝入ってしまわれたのだろう」
「そうですね。しかし流石は銀狐様。見抜いていましたか」
「当然だ」
僕のお父さんにも「様」付け。この時の八坂さんは、それだけ従う立場を徹底しています。
やっぱりこの子は八坂さんですね。旧校舎の時だって、あの神様に対して従う立場を徹底していましたから。
「そうなると、やはり“あれ”をする気よね。八坂、あの事は?」
「知っています。知っていて、それでも尚……」
「そう……良いわ、八坂。あなたでは、警告すら出来ないでしょうからね」
「申し訳ないです」
そう言う八坂さんは、拳を強く握り締めていて、凄く悔しそうにしていました。余程、天狐様がやっている事が許せないのかな?
それに八坂さんって、本来ここに居るはずじゃ無いですよね? 八坂神社の守り人だよね? 何でここに居るのでしょう。
すると八坂さんは、強く握り締めた拳を解くと、次に幼い僕の方を見てきました。
「可愛い娘さんですね。って、これは……この娘は!?」
「あぁ、気付いたか? 流石だな。だが、この事はーー」
「えぇ、分かりました。天狐様もご存知で無いなら、この事は胸に秘めておきます。ですが、ようやく……なのですね?」
「そうなるかどうかは、この先次第だ。ただ俺達としては、椿にそんな事はさせたくは無いんだ。だが、お前の事を思うと……」
「いえ、大丈夫です。それはもう、天運に任せるしかないですから。それなら尚更、天狐様の行動は止めなくてはいけません。今日はその為に、面会をされるのですね」
「あぁ、椿の神妖の妖気の事も伝えないといけない。先に勝手な事をされる前にな」
何の話やらサッパリです。
でも確かに、こんな会話をしていました。何でしょう……僕にいったい、何が? 僕の力の事なのかな? お父さんとお母さんがさせたくない事って?
幼い僕はおろか、今の僕ですらこの時の会話はサッパリです。
「パパ、ママ。私もお話したい~」
「はは、悪い。椿、今のは聞かなかった事にしてくれ」
「え~?!」
僕のお父さんのその言葉に、幼い僕は頬を膨らませ、不機嫌さをアピールしています。
「悪いな。もう天狐様の所に着くのだ」
「さっ、椿。身だしなみは大丈夫かしら?」
すると、お父さんがそう言った後、お母さんが僕の服の乱れや、髪の乱れをチェックしていきます。
あっ、幼い時の僕の服装は、当然巫女さんっぽい服です。子供用の小さい物だから、子供にコスプレさせているみたいです。この頃から既に、僕はこういうのを着せられていたのですね。
「さっ、着きました。天狐様を呼びに行って来ますので、少々お待ち下さい」
そして、ある大きなお社に辿り着いた後、八坂さんがそう言って、その社の中に入っていきました。
ここは拝殿する場所かな……と思ったんだけれど、神棚が無いんですよ。
形はそのまんまそれなんですけど、色々と道具が足りなくて、ただその建物だけがあって、正面は大きな垂れ幕がしてあるだけです。
辺りは砂利で敷き詰められた地面で、その他にも小さな社が点在しているけれど、どちらかと言うと、お守りを売っている建物の大きさと同じで、その形も同じでした。
だけど、そこにも何も無さそうなので、用途が分からない。と思っていたら、中でずんぐりとした体型の何かが寝ていました。
何ですか? あれは……。
幼い僕はそれにビックリして、お母さんに引っ付いています。そんな僕の頭を、お母さんは笑みを浮かべながら撫でてきます。
尻尾振っちゃって嬉しそうですね、幼い僕は。本当に僕は、お父さんとお母さんが大好きだったんです。
するとその後、その大きな社の垂れ幕の奥に、誰かの影が現れました。
そして、大きな4本の尻尾を靡かせ、僕達の正面に座ります。
いよいよ、天狐様が登場。というわけですか。
「椿、緊張しなくても大丈夫よ。私達が居るから」
「は、はい」
幼い僕は緊張もしてしまっていて、お母さんの体に引っ付いたままです。流石にそれでは、年相応では無い様に見えるので、お母さんが僕を離してきます。こういう所は、しっかりと厳しくする親でしたね。
そして遂に、垂れ幕が上がっていくーーのだけれど、そこに座っていたのは、4本の尻尾を付けた、等身大の狐のぬいぐるみだけでした。
あれ? 人型に見えたのに、いつの間に獣に? それよりも、いつの間にぬいぐるみに?
「天狐様?」
「またお戯れですか?」
流石に僕のお母さんも首を傾げ、お父さんがそう言って辺りを見渡すけれど、誰も居ないですよね?
すると、幼い僕の後ろに急に妖狐が現れ、そしてーー
「バゥ!!!!」
「ぴゃぁっ??!!」
あっ、思い出しました。確かこれで……。
「狼~!!」
「んっ? おぉっ?!」
自分自身の妖術に目覚めて、それを発動しちゃったんです。
そして、出現させたけん玉を手にして、思いっ切り後ろの妖狐目掛けて、けん玉の玉を投げつけたのでした。
「うごっ?!」
しかもそれは、その妖狐の顔面にクリーンヒットして、そのまま転倒しちゃいました。
確か僕は、犬じゃなくて狼が、特に大きな狼が苦手なのでした。もちろん、昔襲われたからなんですけどね。
だからさっきみたいにして、重低音の犬の鳴き真似なんかをされちゃうと、それを狼と勘違いして、パニックになっちゃうのです。
「むっ……天狐様に言うのを忘れていたな」
「そうね。でも、これは天狐様が悪いわね。それよりも椿。あなた、今妖術を?!」
「おぉ、そうだ! 初めての妖術だ。びっくりして発動したとは言え、何とも椿らしい妖術だな」
それはそれで恥ずかしいと思うけれど、この時の僕はただ、両親の喜ぶ顔を見るのが何よりも嬉しかったんです。
お母さんに更にしがみついた幼い僕は、その言葉を聞き、ちょっとだけ緊張が解れた様です。少しだけ、笑顔を浮かべています。
それよりも、天狐様は大丈夫なのでしょうか?
4本の尻尾を持った男性の妖狐。毛並みはしっかりと整っていて、少し濃いめの茶色をしていますね。
服は当然狩衣だけど、もっと神々しくなるようにする為なのか、色々と装飾が施されています。
だけど今は、大の字になって伸びているから、神々しくも何とも無いですね。
イタズラ好きの妖狐なのでしょうか? ある意味、1番妖狐らしいですよ。
「天狐様。いい加減、お起きになってはどうですか?」
すると、大きな社の傍に立っていた八坂さんが、天狐様に向かってそう言ってきます。
「ふっ、はは。驚いて泣く姿を見ようと思ったら、まさか反撃されるとは思わなかったわ。見事見事」
そう言った後、天狐様はむくりと起き上がり、胡座をかいて僕を見てきます。それはジッと、一切視線を逸らさずにです。だから、僕の中の天狐様の第一印象は『怖い妖狐』でした。
やっぱり妖狐のトップだからか、その目は鋭く、荒々しい雰囲気を持っている天狐様には、恐怖が真っ先に芽生えます。髪だって荒々しいですからね。
そして次の瞬間、天狐様は更にとんでもない事を言ってきました。
「その子が、金狐銀狐の娘、か……うむ、気に入った。そいつを我が嫁にする!」
「「なっ!?」」
天狐様のこの言葉に、僕のお父さんお母さんも、そして幼い僕も、目を丸くしてしまいました。
でもね、幼い僕はこれと同じ事をしているんですよ。あり得ないと思っていても、自分もそうだったのです。これはもう「他人の振り見て我が身を直せ」です。
この時の僕は、自分と同じ事をしてきた天狐様にあり得ないと感じ、そして全く同じ事をしていた自分自身が、急に恥ずかしくなってしまったのです。