第拾漆話 【2】 手も足も出ない
「止まって下さい。それ以上の接触は、私が止めます」
先ずは目の前にいる、この負なる者を止めないといけません。
ですが、この者。邪気も何も無く、ただ命令された人みたいに、淡々と物事をこなしているという感じがするのです。
「おやおや。やはり止めるか。しかもその状態では、その扇子の能力も効かないね」
当然ですよ。神妖の妖気を全身に巡らせていますからね。
あなたのその扇子は、神妖の妖気を持っている者には効きにくいんですよね。
「だからと言って、それで勝負が決まる訳ではない。扇子無しでも、私は戦えますよ」
そう言うと負なる者は、私の横を通り過ぎました。待って下さい、速いです。すると、次の瞬間ーー
「ぐっ……!」
私の近くで空を割く様な音がし、その次にはもう、私の体が切り裂かれる様な感覚に陥り、同時に体が軋み、そのまま裂かれていきました。
ですが、そんな強力な力は存在しません。これはーーやはり今のこの状態は、幻覚です!
「つっ……! あんまり舐めないで下さい! はぁ!!」
私は振り返ると同時に、通り過ぎた負なる者に向かって斬りつけます。だけど……。
「なっ……?!」
「幻覚も、そう長くは持たないと考えていたよ。私の神術では、君の足止めにもならないね。だけど、それによる行動の予測は、私の方が上だったようだね」
御剱で振り払う事も出来ず、この負な者に易々と、しかも片手で受け止められた?
ありえません。この私が……浄化の力を持つ、この私が……。
「この……! 金華爆矢!」
今度は、尻尾の毛を硬くして飛ばし、当たった先から爆発させていきます。
これにも浄化の力が付いていますが、負なる者は平然としています。
「くっ……! 何故」
「おやおや。誰が扇子は1枚だ、と言いましたか?」
そう言うと負なる者は、反対の手にもう1枚の扇子を持ち、それを見せてきました。
そんな……まさか。同じ能力を持った扇子を、2枚も用意していたのですか?!
「さぁ、新たな力を手に入れる為、その者を殺して下さい。天津甕星様。もう本当に、私には不要なので」
「はっ……! しまっ……!? あぅっ!!」
すると、さっきまで私の視界に居た邪なる者が、急にその姿を消し、次の瞬間には私の後ろに現れ、同時に激しい衝撃も受け、勢い良く前に吹き飛んでしまいました。
「あぐっ!! ぐぁっ!!」
そして、1度地面で大きく跳ね、受け身が取りにくくなった瞬間、壁に激突してしまいました。
何でこうも、体が上手く動かないのですか。もしかして、この頭痛が関係しているのですか?
「君のその意識は、相当我慢が効くようだが、体はか弱いあの子のもの。そしてその頭痛は、その子の記憶が蘇ろうとした時に起こるものだよ。強力な封印が解かれる時の反動かな?」
「はぁ、はぁ……くっ。ですが、私には関係の無い事です」
「直接は関係が無くても、その子に君の意識が移った時の記憶だからね。そりゃ多少は、君にも影響が及ぶだろう」
確かに……徐々に頭痛が酷くなり、体が上手く動かせなくなっている。
これでは、こいつらを滅する事が出来ない。どうなっているんですか? 私の体は。私のこの意識は、どうなってしまうのですか?
「ふむ。しかし、それにしても長いですね……まさか、彼女の封じられた記憶が、今完全に蘇ろうとしているのですか? そうなると、相当頭が痛んでいるはずです。それなのに、まだ立ちますか」
当然です。私の存在意義は、ただ1つ。
「負なる者を、滅すべき者を滅する事が、私の存在する理由なのですから!」
それでも負なる者は、不敵な笑みを浮かべてきます。余裕ですね。
「屈しないその態度は、まさに天津甕星そのものですね。ですが、神は2人も要りません」
「それは、そっくりそのまま返して上げますよ」
そして、御剱を突きつける私に対して、負なる者は扇子を広げ、それを私に向けてくる。邪なる者は、隙あらば私を殺すつもりでいる。
一瞬の隙、一瞬の油断。
それがあれば、どちらかの首が飛ぶ。そんな空気の中で、私は頭痛を堪えながら、負なる者を睨みます。
そして、ほんの一瞬のまばたきの後、私の目の前に、邪なる者がーー
「偽りの神、殺す……」
「くっ……!! させません! 金華神威斬!」
邪なる者が腕を振り下ろす瞬間に、私は浄化の炎を纏わせた御剱を振り抜きます。
それは私の方が速く、邪なる者の体を切り裂いた。だが、邪なる者は浄化の炎では燃えず、切り裂いた体も瞬時に戻っています。
「いったいどんな体をーーって、これで動揺はしませんよ! 負なる者!」
「おや、気付いていたのかい」
邪なる者を先に攻撃させて、私の油断を誘うつもりだったのでしょうけれど、ちゃんとあなたも居るという事を、失念はしていませんでしたからね。
そして私は、振り抜いた腕をそのまま外側に振り払い、私の横から攻撃してくる、負なる者に斬りつけました。
その負なる者は、驚きながらも私の攻撃に反応してきます。
「甘いよ」
「甘いのはーーそちらです! 金華浄槍!」
それでも私は、負なる者の行動にしっかりと気付いていましたよ。
この負なる者は、私の攻撃を防ごうとして、扇子を前に向けて広げているけれど、私はそれを読んでいて、槍にした尻尾を少し下げ、負なる者の腹部目がけて突き出します。
「だから、甘いって言っているんだよ」
「なっ?! くっ……!」
だけど、それすら止められてしまいました。また片手で……。
いったい、どんな反射神経と瞬発力を持っているんですか? これで扇子の力を使っていないなんて。
「ぐっ……つぅ!」
とにかく、掴まれた自分の尻尾を何とかしようとしたのですが、遂に私でも我慢が出来ない程の激しい頭痛に襲われてしまい、その場に膝を突いてしまいました。
「ふむ。最早戦闘は出来ない様だね。しかし参ったね。このタイミングでか……あぁ、なる程。これは少し、この先の計画を変更しないとね。天津甕星様、悪いですけどーー天津甕星様?」
負なる者が思案顔でそう言った後、邪なる者を見たのですが、恐らく予想外だったのでしょう。屈服させるのが難しいと言われる神が、その足を止め、私を見ているんですから。
「なる程、そう言う事か。此奴の本来の力。その神の力は、かなり強大だな。そっちを奪う方が、遙かに良い」
こいつ……流ちょうに話してきている。さっきまでとは違う。徐々に意識がハッキリとしてきているのか?
だけど私の方は、この激しい頭痛によって、徐々に意識が遠のいていく。駄目だ……今、ここで倒さないと。こいつらを、このまま逃がしては……駄目だ。
この世界がーー人間界が、更に妖界まで……滅びて、しまう。
「うっ……! ぐぅぅ……!! に、逃がしは……」
そんな思いで、私は必死に手を伸ばし、邪なる者を掴もうとする。あわよくばそのまま掴み、直ぐに浄化の炎でーー
「あぅっ!!」
だけど、邪なる者が掌を下に向けた瞬間、私は上からの衝撃波を浴び、そのまま地面に押し付けられてしまった。
駄目だ。今のと頭痛で……もう、意識が……腕が、上がらない。拳が、強く握れない。
「天津甕星様。覚醒しつつありますか。しかし、まだです。この子の記憶が蘇るのなら、このまま泳がせておきましょう。それよりも私達は……」
薄れゆく意識の中で、私は確かに見た。負なる者が、邪なる者に耳打ちをする所。
そしてその瞬間だけ、無いはずの口が現れ、眼球の無い目は細くなり、そいつは笑みを浮かべていた。
「おぉ。そうか。良かろう……」
そして、負なる者が扇子を上に上げると、何かの衝撃が放たれ、天井が破れて穴が空き、そいつ等はそこから去って行こうとしていた。
「それじゃあ椿君。しっかりと、自身の記憶を辿りたまえ。その後で、再び会おう」
ここから去って行く間際に、負なる者がそう言い放ち、邪なる者と飛び立ってしまった。
その直後、私は意識を失った。
でも意識を失う直前、辺りの景色が教室みたいな部屋になり、扉が開く音と同時に、誰かの叫び声が聞こえてきた。
ーー ーー ーー
ふと気が付くと、僕は真っ白な空間に立っていました。