第拾漆話 【1】 天津甕星
黒い球体の脱神。それを御剱で浄化しようとしたけれど、謎の結界で阻まれてしまい、あげく僕の神妖の力で覚醒し、今にも球体から何かが出そうになっています。
脈動も強くなっていて、禍々しい気も膨れ上がり、僕はもうそこには近付けない程に、それに恐怖を感じています。
金狐の状態じゃなかったのに……神妖の妖気は最低限で、浄化が出来るレベルに留めていたのに、それでも利用されてしまいました。
「咄嗟でも、万が一の事を考えているなんてね。多少はやるようになったようだけれど、まだ甘いね」
そして八坂さんは、ゆっくりとその球体に近付いて行きます。
駄目……止めないと。だけど、体が恐怖で動かないです。こんな時に、僕は……!
「さぁ、君達もご苦労様。もう休みたまえ」
そう言うと八坂さんは、手に持った扇子に文字を浮かび上がらせます。今度は『休息』という文字を書いています。
その瞬間、この場所で祈っていた全校生徒、それに捜査零課を含む半妖の人達が全員、その場に倒れ込みました。
「皆?!」
えっと……寝息が聞こえているんだけど。もしかして、寝ている?
だけど、待って下さい。八坂さんの扇子で寝ているという事は。
「八坂さん。その扇子の効果って、いつまでですか?」
「鋭いね。この文字が消えるまでさ」
やっぱり。八坂さんがその文字を消さない限り、皆はこのままなんですね。
「八坂さん……! 皆を元に戻して下さい!」
「それは出来ないね。脱神の覚醒とその維持には、人と半妖の信仰心が必要なのさ。それで捕らえさせて貰ったが、今起きられてしまうと、恐らく植え付けたその信仰心が無くなり、脱神の力が弱まってしまう」
なる程。神様は人の信仰心があれば、より多くの願いを叶えられたりするみたいです。だけど、信仰心の薄れた現代では、それは不可能です。
だけど、八坂さんのあの扇子で、無理矢理に信仰心を植え付けて、脱神を拝ませれば、そいつに力を与える事が出来るという訳ですか。
「妖怪達が、人の恐怖心を糧にしているように、神様は人の信仰心を糧にするのさ。だから、その信仰心を持ったまま寝ていて貰わないとね」
「それなら。あなたを倒して皆を起こせば!」
「もう遅いけどね」
八坂さんがそう言った瞬間、その黒い球体が割れる音がして、そこから濃い紫色のオーラを放った、ドス黒い体をした何かが現れました。
もう、何かなんです。これが神だなんて思えない。
眼球の無い白い目が、キョロキョロと辺りを伺っているけれど、出来るだけ目を合わせたくないです。
人の形ではあるけれど、服なんてないし、無機質みたいなその体には、紫の線で幾何学な模様が刻まれ、それが光っています。ついでに口も無いです。
でも、待って下さい。こいつ……何処かで見たような……。
するとそいつは、僕の存在に気付いたのか、こっちに顔を向けてきます。そしてーー
「妖狐……神……滅ぼす」
「あっ、あぁ、うぁ……」
その声を聞いた瞬間、思い出しました。
僕が再びこの姿になって、そして白狐さん達と一緒に妖界へ行った時、その時頭に浮かんだ記憶。幼い僕が妖界で出会った、あの恐ろしい存在。
あの時出会ったのは、人語を理解する妖魔、つまり妖魔人だと思っていたけれど、こいつだったんだ!
そして、僕の両親が追っていた存在が、こいつだったのなら、邪妖は脱神の事。
僕の両親が邪妖に関して調べ、そしてそれを追っていて、退治等もしていたのなら、妖界の伏見稲荷で起こったのは、まさか……。
「あっ、あぅ! あぁぁぁ!!」
そんな事を考えていたからか、僕の頭が急に痛み出しました。
しかもこれ、記憶を思い出しそうになる時の頭痛だけど、今までとは比べ物にならないです。
「覚醒おめでとうございます。いや、復活と言うべきですか? 天津甕星様」
そして八坂さんは、頭を抱えて座り込む僕を横目に、そいつに近付いていく。
その前に、何て言いましたか? 日本神話に出て来るような、神様の名前が聞こえてきました。
だけど僕は、それよりもこの頭痛を抑えないといけない。でも、頭痛が治まってくれないです。
「うっ……くぅ。はぁ、はぁ」
「妖狐……! 我が力……返せ!」
何を言っているの? いったいどういう事ですか? 僕はあなたの力なんて、力……なんて。
【ふざけるな! 何故こいつが降りて来た! こいつは従わない者として有名なのだぞ! 逆にこいつを従える事が出来れば、それは相当な力を得られるが、不可能だ! 返せ! 弾く前に返すんだ!】
誰? 誰かの叫び声が、僕の頭を駆け巡る。いや、これは僕の記憶? 封じられていた、記憶の断片?
「返せ……我が、力」
「ん……? まだ、不完全なのか? 信仰心が足りないのか? もっと沢山の人々と、半妖の奴等の信仰心が要る。そうなると、場所がーーいや、その前に。君の中にある天津甕星の力を、取り返そうとしているのか」
「はぁ、はぁ……僕の、中に? そいつの、力が……?」
まさか、僕も神妖の儀式を?
お母さんの手紙にあった、天狐様がやった勝手な事と言うのは、僕にも神妖の儀式をやったという事? 神妖の妖気を既に備えていた僕に、更にこいつの力を?
「うっ……ぐぅっ!」
駄目です。これ以上は、僕の中の何かが暴走して、溢れそうになってきて、僕が僕じゃなくなってしまう。
僕は、僕なんだ。気をしっかり保たないと!
でも……もう。意識が、何処かに持って行かれそうで。そして……僕は、僕で無くなっていく。
違う、私は……。
「天津甕星様。まだそんな不完全な状態では、あなたの膨大な力を戻そうとしても、体が耐えられません。いったい何十年、抜け殻でいたと思っているのですか? その間に、体が脆くなっているのですよ。力無き神は、信仰されなければ朽ちる一方なのです」
「うっ、ぐぐ……黙れ。神、妖狐、滅ぼす!」
「くっ……流石です。1番屈服させにくい神ときたものです。私の言う事など、一切聞きませんか」
そうですか。では、今が1番のチャンスという事ですね。
「御剱、華螺羅狗斬!」
「なっ?! 椿くーーいや、君は。あぁ、その状態だよ。それは、天津甕星様の力なのだよ。その金狐の状態は、中途半端な星神の力を宿した、不安定な状態なのだよ!」
うるさいですよ、負なる者。あなたは扇子が無ければ、その体術しかない。
今の私に扇子は効かないので、単純に体術だけ警戒していれば良いです。
しかし、先程の攻撃も弾かれますか。斬撃に浄化の力を乗せ、それを連続で叩き込んだのですけどね。
「さて。それでも力を安定させる為にと、本来の神妖の力の『繋ぎ』として、この力を固定されたのです。これは、私の力です」
「では、その意識は何なのだい? 君は椿君じゃない。でも、今1度確認して分かったよ。そう、その絶対に屈服しない上から目線の態度。君は、天津甕星の意思だ」
そう言ってくるこの負なる者の言葉。こんなものに納得したくなかったけれど、妙に腹にストンと落ちるものがあった。
あぁ、そうなんだ。この私は、そうなんだ。
「その様ですね、天津甕星。あなたは私、私はあなた。ですが……私はもう、妖狐椿としての意識の方が強いのです。だから滅しなさい! 負なる者、邪なる者!」
そして私は、御剱を強く握り締め、その黒い体をした天津甕星に斬りかかる。
だけどそいつは、ちょっと手を前に出しただけで、強力な衝撃波を生み出し、私を吹き飛ばしてくる。
「くぁっ! つぅ……」
そしてその後、壁にぶつかった私に、ゆっくりと近付いてくる。このままでは、私は力を取られ、この意識までも取られてしまう。
もう殆ど表には出られないけれど、欠片しかこの意識を出せないけれど、私にとってこの力は、とても大切なものになっている。だから、取られるわけにはいかないのです!
「金華浄焔! 金華浄槍!」
そして、近付いて来るそいつ目がけ、浄化の炎と、その炎を纏わせ槍にした尻尾を突き刺します。
だけどそれは、そいつの体に刺さる前に、軽々と止められてしまい、炎も一切効いていません。でもそれは、考えていた通りです。
「つぅあ!!」
私はそのまま、尻尾をそいつの腕に巻き付かせると、思い切り勢いを付けて、そいつを投げ飛ばそうとするけれど……これは、重い。1トンどころじゃない程の重量を感じます。
すると今度は、突然強い眠気に襲われてきました。
「うっ……まさか……!」
「やれやれ。2人とも、少し落ち着きたまえ。天津甕星様。彼女の中のあなたの力は、もう取り戻せませんよ。あれはもう、例の儀式によって、彼女のものになってしまっています。だから、私が与えます。新たなあなたの力をね」
「力。新たな、力……」
「えぇ、興味あるでしょう? それなら、私と」
その負なる者は、星神だった邪なる者に近付いていく。
こう何回も距離をとって接触しているのは、こいつでも完全には、この邪なる者を扱えていないからだろう。ただ、そこにつけいろうとしてもこの有様。
この邪なる者、強い。
このままでは、負なる者の思い通りになってしまう。それはさせません。
例えこの意識が消えて無くなろうとも、今ここで、邪なる者を討つ!