第拾陸話 【1】 八坂の目的
僕はこの場所から、何とかして逃げられないかと考えているけれど、本当にここは出入り口が無いんじゃないかと思わせるくらい、一面壁ばかりなのです。
そして、後ろから近付いて来る八坂さんの声。
もう僕の知っている、あの八坂さんの声じゃないような、そんな感覚にさえ陥ってしまうくらい、声に凄みがあるんです。
「さて。そんな君が入学して来たからね。ようやくと思っていたのに、君は何もかも忘れたままだった」
「そんなの、僕のせいじゃ……」
「そう、君のせいじゃないんだ。私は知っているよ、君が人間になった理由を。しかし、いい加減に戻っているかと思いきや、とんでもない。あまりにも強力な術によって、君は人間のままで一生を過ごそうとしていた」
そして遂には、僕の直ぐ後ろにまでやって来ていて、耳元でこう囁いてきた。
「だから『電磁鬼』で、少し痛めつけたんだよ。その刺激で元に戻るかと思ってねぇ」
「なっ……?! あの時のイジメは、あなたが?」
「あぁ、そうさ。おかしいと思わなかったかい? 悪い妖怪から半妖を守ろうとする生徒会が、あれだけ頑張っているのに、あんなにも簡単に侵入を許し、あんなにも簡単に操られてしまっていたんだよ? おかしいよね?」
そこは……考えていなかったです。
相手がAランクの妖魔だったから、半妖の人達じゃ対抗出来なくって、皆と同じ様に操られていたんだと、僕はそう思っていました。
「Aランクの妖魔は、そう簡単にはーー」
「この僕も居たのにかい?」
「あっ……」
「それに、辻中君や如月君。あの妖魔に対抗した半妖の子は、他にも居たよ。赤木君も、そうだったねぇ。君は、少し勘違いをしていたのさ」
そして徐々に、八坂さんの声が低くなっていき、僕にその悪意を見せ付けてきます。
「だけど全て、この僕の神具『神言葉の扇子』で、考えを変えさせて貰っていたんだよ。因みにこれは、意識なども変える事が出来る。この扇子に書かれた言葉は絶対なのだよ。その言葉は全て、神の言葉として扱われ、世界の理までも変えてしまうのさ。それで、他の半妖の子達を押さえていたのさ」
そんな恐ろしい道具を使っていたなんて。
それに、妖具でも無かったです。つまりこの人は、半妖でも無ければ妖怪でも無い可能性が出て来ました。
だって、久しぶりに会った八坂さんからは、妖気が一切感じられなくなっていたのです。
今まで感じていた多少の妖気は、その扇子で誤魔化していたんですね。
だけど僕だって、もう引きません。
「八坂さん……! あなたの目的は、いったい何なんですか!」
そう。結局、ここに人を集めた理由が分かりません。またのらりとくらりと、肝心な事をぼかしています。
「ふふ、強くなったものだね。だけど、少し遅かったね。僕としては、もっと半妖の人達を世間に広めて欲しかったんだ。その恐ろしさをね。人の畏怖する心を、私は欲していたのだよ」
「半妖の人達と人間達とを仲良くさせる為に、僕に橋渡しをさせていたんじゃ!」
「そんな事をして何の意味がある?」
そのあまりの言葉に驚いて、ようやく僕は後ろを振り向き、後ろから迫っていた八坂さんを睨もうとしたのだけれど、そこに立っていたのは、あの八坂さんじゃなかったです。
初老の、校長先生らしい風貌では無く、白髪も髭も無くなり、顔の整った、銀髪の綺麗な青年が立っていました。
あれ? だけどこの顔、何処かで見たような……。
「……それが、あなたの本当の姿ですか?」
「本当の姿? さぁね。そんなのは忘れたよ」
「へっ?」
「私はもうとっくに、自分の姿を忘れている。だからこうやって、好きなように姿を変えられるんだ」
すると、いきなり僕の目の前で、いつも見ていた初老のあの姿に変わりました。
見慣れたスーツ姿に、何を考えているのか分からない笑顔。僕の知っている八坂さんが、そこに立っていたけれど、また突然青年の姿に戻りました。
こっちの姿は、白狐さん黒狐さんが着ている、神職の人が着る様な服を着ているから、八坂さんじゃないような気がします。まさか、別人なんじゃ……。
「本当にあなたは、八坂さんですか?」
「おいおい。私にしか分からない事をいっぱい話しただろう?」
それもそうでした。それなら間違い無く、この青年があの八坂さんなんですね。
「何度でも聞きます。八坂さん。あなたは何者ですか?」
「貴船神社の神様から聞いているだろう? 八坂神社の守り人さ」
「それなら、あなたの目的は?!」
もういい加減、この探り合いは結構なんです。時間を稼がれているって、僕でも分かります。
皆が祈っているこれは、儀式なんです。神棚に向かって一心不乱に祈っているけれど、もう一つ何か呟いているんです。これは……祝詞?
だけど、聞いた事が無いものです。それに、だいぶ言葉も古いのか、中身が理解が出来ません。
でも何となく、その感じからして、これは祝詞なんじゃないかなと思います。だって神棚に向かってなんて、それしか無いんだもん。
「目的か。しょうが無いなぁ。私はね、正直に言うと。華陽の、元の1つの体に戻り、人間界を恐怖のどん底に落とそうとするのや。茨木童子の、恐怖しなくなった人間達のせいで、消えゆく妖怪を救おうと、妖界と人間界の反転をし、人間界すらも妖界にしようとしたりする。そのどちらも、許せないんだ」
「はい?」
許せない? それじゃあ、何でこんな悪そうな事をして……。
「だから私はね、滅ぼすのさ。信仰心の無くなった、自分勝手な人間達も、神さえも利用しようとする、その傲慢な妖怪達も、全てが許せないのさ」
駄目です。一瞬だけど、それなら協力でもーーと思ってしまいましたよ。でも、この人の全てを見下すこの目は、華陽よりも茨木童子よりも、ずっとずっと凄いです。
だから僕は、咄嗟に後退ってしまいました。だけど、この動揺を気付かれたら駄目ですね。
「神を利用? まさか……神妖の?」
「おや。それは聞かされていたのか。それなのに、まだ妖怪を信じるのかい?」
「その通りです」
神妖の力を得る為の儀式。その為に生まれてしまった者。
始まりはどうであれ、妖怪の皆がそれを後悔しているのは確かなんですから。そうじゃないと、今でもその儀式をやっている事でしょう。
「やれやれ……君は、腑抜けてしまったのか。奪いとったこの学校で、もう少し長く試練を与えるべきだったのかな? そうだね。如月君も死んでおくべきだったかな?」
「八坂さん。それ以上言うなら、いくらなんでもーー」
「どうすると言うんだい?」
「はやっ……!!」
いつの間に、僕の目の前に……。
それも扇子の力なんですか? ちょっといくらなんでも、それは反則過ぎます。
「それに、君は知らないのかな? 妖怪の存続の原因と、亰嗟の戦力の増強の謎をね。華陽は言わずもがな、あれだけの大妖だ、未だに人々の記憶から消えないお陰で、力を維持出来ている。だけど、亰嗟はどうだろうねぇ」
「何が言いたいんですか?」
良く分からない事を。ここで僕と亰嗟に、いったい何の意味が。
「亰嗟はもう、その組織を維持するだけで精一杯なのさ。あんな鬼を呼び出しからね。反転もさせずに」
「なっ……!」
「本来の予定なら、甦った君の力を使い、反転鏡で妖界と人間界を反転させてから、十極地獄を呼び出すはずだった」
そうなると、僕達のあの潜入作戦は無駄では無かったのですね。あれだけの事をしたのです。茨木童子が焦ってしまい、呼び出すべきじゃないものを呼び出したのですね。
「そうですか。僕達の作戦が……」
「勘違いするなよ。君がまだ、自身の神妖の力を扱いきれていなかったからだ。彼等の計画の中の1つには、君が自身の神妖の力を扱いこなす事、それが前提のものがあったのさ」
そんな……それなら亰嗟は、茨木童子は……何としてでも僕の記憶を甦らせたかったんだ。そして、それをしようとしていた華陽と手を組んでまで……。
「私もねぇ。出来たら君に、自身の神妖の力を扱いこなして欲しかった。その方が、コレの覚醒は早いからね。だけど、君は出来なかった。結局君は弱いんだよ。弱いから皆、計画を変更せざるを得なかった」
弱い? 僕が弱いから? って、しまった。そんな事を考えている場合じゃ無かったのです。
禍々しい気が、神棚に? あそこに何かある! 黒い丸い球体? 何ですか、あれは!?
「そうそう。亰嗟が戦力を保持していたのは、妖界あっての事さ。そこから妖気を抽出していたし、妖具もしこたま集めていたのさ。そして人間界で活動をし、犯罪を犯し、人々に恐怖と不安を与え、負の気を集め、また妖界に流していた。そうすれば妖界は存続出来きて、妖気も順当に手に入る」
あぁ、分かりました。八坂さんの言いたい事が。
「亰嗟の中には、人間も居ますね」
「その通りだ。それを止められないどころか、助長するのが人間の汚い所だ」
だから八坂さんは、人間達も妖怪も滅ぼそうとしていた。そしてそれをするための者。
それを復活させる事が出来るかも知れなかった僕は、件の予言で、世界を変える存在になると、そう予言されたのですね。だけど……。
「八坂さん。あなたはまだ、何かを隠していますね」
「ふふ、鋭いねぇ。でも、もう時間が無いよ。どうするんだい? 椿ちゃん」
そんなのは決まっています。
ここから出られないのなら、今ここで! あの禍々しい気を放つ黒い球体を、完全に破壊するだけです!
「ふふ。私の計画はね、そんなに穴だらけじゃないのさ。椿ちゃん、悪いんだけれど……」
「うっ……!!」
何で? いきなり僕は、その場で正座をしてしまいました。まさか、扇子で?
あぁ……いつの間にか、扇子に文字が浮かび上がっていて『正座』って書いてありました。厄介過ぎますよ、その扇子。いったいどうしたら……。




