第拾話 【2】 脱神について
その日の夕方。
おじいちゃんの家で目を覚ました僕は、物凄く後悔していました。あんな……あんな物さえ飲まなければ。
お酒のせいとは言え、賀茂様にとんでもない事を……2人の神様の前で、遠慮も無しに騒いじゃいましたぁ!!
お布団から出られません。
『椿よ。そろそろ起きたか? って、何をやっとるんじゃ?』
「放っといて下さい……今はお布団から出たく無いです」
こういう時って、記憶が無くなったりする場合もあるんでしょうけど、僕の場合はハッキリと覚えているので、尚更なんです。謝っても許してくれそうにないです。
罰として、生きながらに100年間石像にとかされたりするのかな? そうなると、色々と大変な事になります。
悪巧みをしている妖怪達を止められなくて、人間界が無くなってしまうかも。いや、それ以上に大変な事が起こって、世界が滅んだり?
そんな中でも、白狐さん黒狐さんは消えずに残っていたりして、同じ様に消えずに残った石像の僕を、一生懸命守って、毎日磨いてくれたり……?
「でも、そうなると……体、触られちゃう? 別に白狐さん黒狐さんになら良いけれど……」
「何が良いんじゃ?」
あっ、チビ賀茂様だーーって、チビ賀茂様?! 布団の中にチビ賀茂様?!
「わぁぁあ!!」
慌てて布団から飛び出した僕を、ちゃっかり白狐さんが受け止めました。
『今回は早かったの』
「むっ……それってどういう事?」
多分半年前の、落ち込みの時の事を言っているんでしょうね。
あっ、それよりも。チビ賀茂様に言っても、賀茂様に伝わるはずです。だから、ちゃんと謝らないと。
「そうです、賀茂様ごめんなさい! 僕、とんでもない事をしちゃいました! どんな罰でも受けるのでーー」
「あ~よいよい。本体の賀茂は怒っとらん。それに、本来これを伝えるのも本体の役目なのじゃが、恥ずかしいから目を合わせられんじゃと。まさか、椿からキスをしてくるとはおーーむぐっ」
「それは言わないで下さい……」
確かに、あれを罰だとは言っていたけれど、僕は進んでやっちゃったんです。しかも、白狐さん黒狐さんの目の前で。
ただその後に、2人にはもっと凄いキスをしちゃったんですよね。あっ、しまった……思い出しちゃった。
あぁぁ……今、白狐さん黒狐さんと目を合わせられないです。恥ずかしくて、顔が熱くなっているんです。これ、絶対顔が真っ赤になっているってば。
「ふむ、可愛いの」
「それで、チビ賀茂様。いったい何の……」
「いや、なに。鞍馬天狗の翁からも許可を貰ったので、脱神の説明をと思っての」
「あっ……そうでした」
僕が酔っ払ってあんな事をしちゃったから、あの話はお流れになってしまったかと思いましたよ。
そう言えば、高龗神様はちゃんと帰ったのでしょうか?
でも、いつも通りのチビ賀茂様を見れば、多分ちゃんと帰ってくれたんでしょうね。そこはやっぱり神様だから、約束はちゃんと守らないといけないですよね。
「それで、その神っていったい何なのですか?」
「単刀直入に言おう。妖怪が神妖の妖気を得る為の儀式、あれで力を弾かれ、抜け殻となった神、それが脱神じゃ」
「……えっ? あっ」
そっか、そうだったんだ。
神妖の妖気を得る為の儀式は聞いていたけれど、何かが引っかかるなと。ずっと頭の隅で、何かおかしいなと、そう思っていたんですよ。それはこれだったんです。
神を呼び、その神を弾いて力だけを残し、妖怪に入れる。それが神妖の力を得る為の儀式です。だけど、そう。弾かれた後のその神様は、それからどうなるの? 僕はずっと、それが引っかかっていたんです。
妖怪の皆は、神妖の儀式の事を当たり前の様に言っていたし、その後の神様の事は、何も言っていなかったけれど、それはセンターから口止めされていたから、気にしないようにしていたんでしょう。でも、ちょっと待って下さい。
「待って下さい。力を弾かれたんですよね? それは別に、脅威ではーー」
でも、それに答えてきたのは白狐さんでした。
『そう思うじゃろ? ところが、力は無くともじゃ、向こうは勝手に呼び出され、身勝手に力を奪われたんじゃ。それは強力な負の塊となり、時に人間に多大な影響を与える事がある。それは、祟り神でもあるんじゃ』
「なっ!? まさか……あの時、滅幻宗の本拠地に居た、あの祟り神も?!」
『そう。あれも力は弱いが脱神であり、その成れの果てじゃ』
という事は、神としての力は奪われても、負の感情を長い年月をかけて研ぎ澄まし、強力な武器にしているんですね。
そして続けて、チビ賀茂様が話してきます。
「ところが、この脱神の中でも、上位の神が脱神となったら厄介じゃ。人間界すら滅ぼしかねない、恐るべき邪神になるのじゃ。今の所、それが現れたという記録や史実等は無いが、昔から一部の妖怪の中では恐れられていた事じゃ」
そうチビ賀茂様が言った後、僕はちょっと嫌な事を思い出してしまいました。
確か僕には、元々神妖の妖気が備わっていて、それに気付かず天狐様が、更に神妖の力を与えようとした。そしてそれが、あの金狐状態の力だとしたら?
これ、お母さんの力だと思っていたけれど、どうも違うみたいなんです。でも、これ以上は分からないや。
だけどもし、その時呼んだ神様が、有名な神様だとしたら? そしてその神様が、力を抜かれて弾かれていたとしたら?
「どうした、椿。何か心当たりでも?」
「うっ、いや……まだ推測の域でしかないです。それと、頭が痛いです」
どうやら、僕の封じられた記憶と、何か関係がある様です。久しぶりに凄い頭痛がします。ちょっとこれは、立っていられないですね。
『椿!』
僕が倒れそうになった所を、今度は黒狐さんが咄嗟に支えてくれました。
「ごめんなさい……また、僕の封じられた記憶の事らしくて、頭が……」
『いや……それは、二日酔いの頭痛だぞ』
違います、絶対違います。そんな訳ないです。ちゃんと寝ていたから、酔いは収まっているはずですよ。だからこれは、封じられた記憶を思い出そうとして起こる、あの頭痛なんです。
「違います、黒狐さん。二日酔いの頭痛じゃないです。フラフラして吐き気がするけれど、二日酔いじゃないです」
『二日酔いじゃ』
「うむ。二日酔いじゃな」
白狐さんと賀茂様まで?! えっ? 本当にこれって、二日酔いなんですか? 甘酒一杯で、そんな……。
「まぁ、仕方ないだろう。何せ高龗神が、その甘酒のアルコール度数を上げていたからな。2倍に」
「お休みなさい」
チビ賀茂様からその言葉を聞いた途端、更に気持ち悪くなってきて、頭痛も酷くなってきました。
そんなもの飲むじゃなかったです。それよりも、言っておいて欲しかったですね。
そうやって、僕が再度お布団に潜り込んだ瞬間、誰か部屋に入って来ました。
「椿ちゃん。二日酔いは大丈夫? ご飯、食べられそうにないだろうから、お粥作ってきたよ」
この声は、里子ちゃんですか。嬉しいです。僕を気遣って、ちゃんとお粥を作ってくれるなんて。
それに、チビ賀茂様と話している間に、そんなに時間が経っていたのですね。もう晩ごはんの時間ですか。
「里子ちゃん、ありがとう。妖気が切れたら困るから、とりあえず食べておくね」
「は~い、そうして下さい。ちゃんと二日酔いにも効くように作ったからね」
そう言って里子ちゃんは、お粥を持って僕の横に来て、そのままその場に座りました。
あれ? 床に置いて行くと思ったら、何でそのまま座ったのでしょうか? ま、まさか……。
「里子ちゃん。一応、自分で食べられーー」
里子ちゃんに行動に移される前に、僕はお粥の入った小さな鍋の蓋を開けようとしました。だけど、その僕の手の上に、里子ちゃんの手が……あ、開けられない。そして、そのまま笑顔で僕を見てきます。
「椿ちゃん。分かってるでしょ?」
「あの……風邪ではないから、恥ずかしいんです」
「風邪なら良いの?」
「いや、そうじゃなくて……」
駄目です。手を離してくれないし、何よりも里子ちゃんが風邪を引いた時に、僕が食べさせて上げたんだけど、色々とやっちゃったからさ、あの後「絶対私も、椿ちゃんにお粥を食べさせて上げるんだから」と燃えていました。
つまり里子ちゃんは、この状況を虎視眈々と狙っていたんです。どうりで……お粥の準備が早いと思いましたよ。
「観念してね、椿ちゃん」
「うぐっ……分かりましたよ」
もう本当に、観念をするしか無かったので、僕は蓋から手を離しました。
すると里子ちゃんは、更に笑顔が増していって、そのまま蓋を取り、そして良い匂いのするお粥を、小さめのスプーンで掬い、僕の口元に持って来てくれました。そして、やっぱりこれも妖怪食。泳いでいるよ、お米さんが元気に泳いでいるよ!
「待って、里子ちゃん。これ、ちょっとタイミングをーー」
「駄目で~す。はい、あ~ん」
「いや、あ~んじゃなくて! 普通に泳いでいるならまだしも、シンクロナイズドスイミングみたいな動きしているから!」
「もう……早く食べてよ。冷めちゃうから。えい!」
「むぐぅ?!」
やっぱり無理やり食べさせられてしまいました。
口の中でめちゃくちゃ動かれて、しかも泳ぎながら踊っているので、簡単には飲み込めない。というか、噛めないよ!
「くっ……! くふっ……んぐぐぐぐ!! んっ……んぐっ。はぁはぁ……」
それでも何とか飲み込めたけれど、里子ちゃんが恍惚な表情をしちゃってます。
「あはぁ……久しぶりに椿ちゃんが、私の作った妖怪食で悶えてる~」
里子ちゃんは無視です。それよりも……。
「はぁ、はぁ……あの、後ろに並ばないで!」
白狐さんと黒狐さんが鼻血を出しながらも、里子ちゃんの後ろで鎮座しているんです! スプーンを持ってね。
「私も居るぞ~」
チビ賀茂様まで!?
何で皆、僕にお粥を食べさせようとしているんですか。でも、抵抗しようにも頭痛がするし、何より体に力が入らないのです。
だからその後は、順番に皆にお粥を食べさせられる羽目になりました。もちろんその度に、悶える事になったんだけどね……。
覚えておいてよね、里子ちゃん。