第弐話 【1】 特級の妖狐
閃空を倒したけれど、力尽きてしまった僕は、そのまま美亜ちゃんに全て委ねて寝たのですが……。
『椿! どうした?! 大丈夫なのか?!』
『いったい何があった!!』
白狐さんと黒狐さんの大声で、目を覚ましちゃいました。
もう少しだけ寝かせてくれても良いのに……まぁ、良いです。僕が起きたのを見て、白狐さん黒狐さんが安堵していたので、何か勘違いされていた様ですね。
「椿、起きたの? それなら、ちょっと降りて……」
「えっ? あっ……ごめん! 美亜ちゃん!」
良く見たら、美亜ちゃんは汗だくになっていて、必死で僕をおんぶしていました。
そんなに僕、重かったのですか? 途中までは、代わりの雲操童さんを呼んだだろうし、ほんの少しの距離だと思うけどな……。
だけど、僕が美亜ちゃんから降りる前に、今度は近付いてきた白狐さんにだっこされてしまいました。
「わぁ!! 白狐さん! もう大丈夫だから! 歩けますから!」
『いいや。服もボロボロで傷だらけだ。我が治癒するから、そのままでいろ』
そう言うと、白狐さんは僕を治癒しながら、おじいちゃんの家へと運んで行きます。
白狐さんの手から発する治癒の光は、凄く暖かくて、優しく輝いていて、とても落ち着きます。
そう思うと、千一君もこんな経験をしていたら、あんな風にはならなかったんじゃないのかな?
子供の無垢な想いすら利用する華陽。絶対に、捕まえないといけません。
そんな事を考えながら、僕は大人しく白狐さんによって家に運ばれて行く。
『椿よ。何があったか、しっかりと話して貰うぞ』
やっぱり、白狐さんには気付かれていました。
こんなにしおらしくなっていたら、当然ですよね。するとその横に、今度は黒狐さんが現れ、僕の腕を引っ張ってきます。
『白狐。治癒が終わったなら、あとは俺が抱っこして運ぶ』
『嫌じゃ。全部我がやる』
『貴様! 毎回毎回役得を!』
『お主の日頃の行いのせいじゃ!』
また喧嘩が始まっちゃいました。この2人は相変わらずで、その反応が逆に僕を元気付けてくれる。
もう僕は、身も心も、この2人に依存しちゃっているのかな?
だから、どちらかを選ぶなんて出来ないよ。選んじゃったら、もう1人はどうなるの? 疎遠になるの?
そんなの嫌だよ……僕は、ずっと2人と一緒に居たいです。
「よいしょっと……」
『つ、椿?!』
黒狐さんが機嫌を悪くしたら困るし、僕の方から黒狐さんの方に移動して、いっぱいくっついておきます。
当然だけど、黒狐さんはそれで感動してしまって、そのまま僕を抱っこするやいなや、スキップしながら家に向かって行きます。
いや、ちょっと……揺れるから普通に歩いて下さいよ。
『やれやれ……まぁ、しょうが無いの』
それを呆れた顔で、でも微笑みながら見ている白狐さんは、心が広いですね。
「椿。後で尻尾触らせなさいよ」
あっ……美亜ちゃんの事を忘れていました。
ごめんなさい、ちゃんと後で尻尾を触らせるから、呪わないでね。
◇ ◇ ◇
家に入った僕は直ぐに、凄くお腹が空いたと訴えます。
丁度お昼ご飯になりそうだったから、里子ちゃんが皆のお昼を作っていたけれど、慌てて僕と美亜ちゃんの分を作り始めました。
ごめんね、里子ちゃん。だけどね、嬉しそうに尻尾を振っているから、これは別に良いのかな?
そしてその後に僕は、地下の大広間に行き、お昼ご飯を待っている皆とおじいちゃんに、さっき起こった事を説明しました。
もちろん、黒狐さんに抱っこされたままですよ。
でもいい加減、椅子に降ろしてよ……皆の微笑ましいものを見る視線が、すっごく恥ずかしいです。
「ふむ……そんな事が。学校、閃空。妖魔人の人格。う~む」
そしておじいちゃんは、眉間にしわを寄せながら、小さく唸り出しました。
特に学校の事はショックだったらしく、凄く驚いていましたよ。確かに、八坂校長先生とおじいちゃんとは、それなりに交流があったみたいだし、裏切られた様な感じなのでしょうか。
「八坂め……あやつ、いったい何をしようとしとるんじゃ」
問題が1つ増えちゃったようです。
「良かろう。そちらの方は、龍花達に探りを入れさせる。して、その様子だと、まだ何かあるのだろう?」
「あっ、うん。これです」
そう言って僕は、両親からの手紙を巾着袋から取り出し、おじいちゃんに見せます。
「む? それは……」
「僕の両親の手紙です。ごめんなさい。センターの虚さんが居た所で見つけたんだけれど、そのままおじいちゃんに渡すと、読ませてくれそうになかったから、読み終わるまで黙っていました」
おじいちゃんは厳しいし、僕の記憶を戻したくは無いだろうからね。
するとおじいちゃんは、呆れた顔をしながら言ってきました。
「なんじゃ、そんな事せんでも読ましてやったわ。もうお主は立派な妖狐じゃ。儂等がとやかく言う権利は無い。お主の好きにして、好きに生きるが良い」
そう言うとおじいちゃんは、僕の手から手紙を受け取り、ひととおり目を通します。
何だか、おじいちゃんの言葉でちょっと泣きそうになりました。本来妖怪って、それぞれ自由に生きているからね。
今までは、僕がまだ未熟だったから、おじいちゃんは色々と言ってきたけれど、それをしないと言ってきたのはつまり、僕を一人前と認めてくれたって事。
「ふむ……それで、これを読んで分かったのか?」
「あっ、えと……その、レポートの方は、正直分かりませんでした」
例のレポートの方は、良く分からない単語が沢山出て来て、殆ど分からなかったのです。
それでも僕の考えでは、そこに記されていた邪妖は、地獄の鬼の事かも知れないって事です。
だからもしかしたら、この間茨木童子が出した地獄……それを司る、あの10体の鬼達も、その邪妖なのかも知れません。
だけど分からないのが、この言葉。
『天の者、その力剥がされし時、その肉体は負に満ち、邪妖となる』
何なのでしょう? 天の者って。
神妖の力の事? 僕のように『天』の神妖の力を持っている妖怪の事かな?
「このレポートは、お主の両親が書いたものじゃ。もう箝口令も無いから言うが、お主の両親である金狐銀狐は、ライセンス持ちの中で唯一の存在、特級持ちの妖狐なのじゃ」
「えっ?! ぼ、僕の両親が……1番ランクの高い、特級の持ち主?!」
驚き過ぎて、黒狐さんの腕から飛び降りちゃいました。黒狐さんは残念そうにしていたけれど、それどころじゃないです。てっきり特級は、別の妖怪なのかと思っていました。
あっ、でも……達磨百足さんが、最初に級の説明をした時に、特級の事で口籠もっていたような……この事だったんですね。
「うむ。驚くのも無理ないじゃろうな。そして、このレポートに書かれている事は、当時その2人にしか出来ないと言われていた、特級の特殊任務。邪妖の調査の報告書じゃ」
それをおじいちゃんから聞かれても、やっぱりまだピンと来ない。記憶が蘇りません。
「どうやらその様子からして、お前さんの記憶は、この程度では戻らんようじゃな。あの2人は、強力な記憶封鎖をかけたものだ」
「うぅ……」
何だかちょっと情けなくなってきた僕は、そのままゆっくりと正座をして俯きます。
「何故正座をするのじゃ?」
ごめんなさい、おじいちゃん。何となくなんです。
「とにかくそんな折りに、妖界の伏見稲荷で行方不明となった。そこはもう、椿と白狐黒狐にしか分からん事じゃ」
その時の事は、白狐さん黒狐さんも、もちろん僕だって覚えていない。まだ思い出せないんだ。あれからちっとも、封じられた記憶が出て来ないのです。
つまり僕の両親が、僕達にそれほど強力な記憶封鎖の妖術をかけたという事。
それだけの事が、その時に起きた。それだけでもう、とんでもない事が起きたんだって分かりますよ。
何回も何回も、繰り返しその事を確認され、恐くなってしまいます。
知りたいような、知りたく無いような……そんな気分になっちゃいます。
『なるほどの……椿の両親がそれほどの存在とはな』
『それならば、益々俺の嫁に相応しい。いや、お前じゃなきゃ駄目だな』
白狐さんと黒狐さんの頭の中は、それしか無いんですか? 封じられた記憶の事が恐くないのですか?
「白狐さん黒狐さん、恐くは無いんですか?」
その態度で逆に不安になってしまった僕は、白狐さん黒狐さんに聞いてみました。
『なに。どんな記憶だろうと、どんな事件が起きていようと、我等は揺らがん』
『椿を嫁にするという信念は揺らがん!』
駄目です……この2人は、相変わらず過ぎます。
だけど何でだろう。この2人を見ていると、不安や恐れが消えていきます。
でもそれと同時に、半年以上前に、海で酒呑童子さんに言われた事を思い出してしまいます。
《記憶が戻ると、もう白狐と黒狐の元には居られなくなる》
忘れたくても忘れられません。この半年間、それを忘れようとしたけれど、駄目だったんだ。
でもこの2人を、自分自身を信じていれば、きっと大丈夫だよね?
ねぇ、白狐さん黒狐さん。僕が理由もなく居なくなったら、ちゃんとしっかり見つけてね。