第壱話 【1】 全ては潜入の為
僕を呼ぶ声が聞こえる。僕を心配するこの声は……誰だろう。
「椿ちゃん……椿ちゃん!」
あっ、この声、わら子ちゃん?
ゆっくりと意識が戻っていく中、僕の耳にわら子ちゃんの声が聞こえてきました。
えっと、僕はどうして……あっ、そうだ! 滅幻宗の人達に捕まったんだ。
そこでようやく、今までの事を思い出した僕は、目を開き急いで身体を起こします。
「きゃぁ?! びっくりした……」
「あっ、わら子ちゃん。って、いったた……」
「あっ、大丈夫? とりあえず手当はしといたけれど、何処かまだ痛む?」
わら子ちゃんが心配そうな顔を向けるけれど、それよりも僕は、自分が何処に居るのかを確認しないと。
だけど目の前に、丈夫そうな鉄格子があったので、牢屋なのは間違いないようです。
カビ臭いし静まり返えっているし、辺りが薄暗いです。それに、ボロボロの壁の隙間からは、ネズミさんが顔を出していました。
「ここは?」
とりあえず、自分が居るのが牢屋なのは分かったけれど、それが何処の牢屋なのか確かめたかった僕は、わら子ちゃんに聞いてみました。
「ここは滅幻宗の本部で、その地下にある牢屋だよ」
「えっ、本部……ですか?」
わら子ちゃんも気絶していたのに、何で分かったんだろう。
いや、それよりも僕は、色々な感情が入り混じっていて、それどころじゃないです。何より、皆が心配なのと……そう、玄葉さんの事です。
「玄葉さん。何で裏切って……」
「あっ……」
「わら子ちゃん、おじいちゃんの家で何があったの? 玄葉さんが何で、あんな事を? 玄葉さんだって、この前わら子ちゃんの事を抱きしめて。それが、全部嘘だなんて!」
「つ、椿ちゃん。ちょっと落ち着いて……」
「落ち着けません! それに、わら子ちゃんだってショックでしょう? ずっと一緒に居た人なんだよ!」
それなのに、わら子ちゃんは全く動じていません。何で、どうしてですか。
「椿様、少し静かにして下さい。敵に感づかれます」
「感づかれるって何が?! 僕はそれどころじゃないんですよ、玄葉さん! って、えっ? 玄葉さん!?」
あれ? 玄葉さんの声が聞こえたから、普通に返してしまったけれど……何で鉄格子の外側に、玄葉さんが居るんですか?! いつの間に……。
「だから椿ちゃん、落ち着いてって……」
「申し訳ありません、お二人とも。この様な汚い所に居て貰って」
えっ? えっ? 何がいったい、どうなっているんですか? 何で玄葉さんは、いつも通り普通に話しかけているの。
「すみません座敷様、椿様。敵を欺く為とはいえ、あの様な事をしてしまいまして」
そう言いながら、玄葉さんは僕達に頭を下げてきました。
「あのね、椿ちゃん。玄葉さんは、滅幻宗の本部を突きとめる為に、スパイ活動をしてくれていたの」
「ス、スパイ活動……」
あぁ……そっか。それで玄葉さんは、あんな行動を……よ、良かった……。
それにしてもちょっとやりすぎというか……相手にやられたフリをするよう言ったのも、恐らく玄葉さんなんだろうけど……盾でこっこりと防いで、こっちの虚を突く作戦なんて、あいつらに出来そうにないからね。敵の信頼を得るため……なのだろうけど。
とにかく、玄葉さんが裏切ったのじゃなくて良かったです。
「えっ? 椿ちゃん、大丈夫?!」
「ご、ごめん。安心したら、力抜けちゃって」
僕がその場に倒れちゃったから、2人とも慌てて様子を見に来てくれました。その姿を見て、本当に玄葉さんが裏切った訳では無い事が分かって、泣きそうになりましたよ。
「すみません……この事を言ってしまえば、リアリティに欠けると言われ、翁から口止めされていたのです」
確かにね……白狐さん黒狐さんも含め、僕もその事を知っていたとしたら、例え演技でもあんなやり取りは出来ません。本当に裏切られたと思ったからこそ、出来た事です。
「それと、向こうの心配は要らないですよ。私達が去ったら、直ぐに現れるようにと、龍花達には言ってあります。そして、私がスパイ活動をしていた事も、皆様に説明しているはずです。今頃は、こちらに向かっているでしょう。私の持っている、この発信機を頼りに」
そう言って、玄葉さんは小型の発信機のようなものを取り出しました。
なるほど。あそこで滅幻宗の幹部を潰すより、本拠地の場所を特定し、思いどおりになったと思って気が緩んだ所を、一斉に襲撃し、滅幻宗のトップごと、纏めて捕まえるということですか。
「ということは、僕達がやることは?」
「滅幻宗の親玉の正体を探り、可能なら捕まえます」
要するに、今までのように追い返すだけじゃきりが無いし、相手が動き出しているみたいなので、こちらも動く事にしたのですね。
「分かりました。でもそれなら、わら子ちゃんを連れて来る必要は……」
「万が一、という事もありえます。だから、座敷様と一緒に居て貰い、幸運の気を受け、その万が一にも備えようという事です」
「でも、危なくないですか?」
「椿ちゃん。私がどんなライセンスを持っているか、覚えてる?」
「1級ですよね。うん、分かっているんだけれど……」
でも、今までのわら子ちゃんの様子だと、ちょっと不安なんだよ。
だけどね、今のわら子ちゃんは、自信満々な顔付きになっています。まるで別人だよ。
「椿様は、ライセンスを持って任務や依頼をしていた頃の、その当時の座敷様をご存知無いでしょう? これが本来の、座敷様です」
そんな……こんなわら子ちゃん、わら子ちゃんじゃないみたいです。だけど、信じられないという気持ちの反面、どこか嬉しくも感じている自分がいます。
これはあれかな、友達の意外な一面を見た時の、そんな感じに近いのかな? 僕にはちょっと分からないです。
「とにかくね、椿ちゃん。私も昔は、潜入捜査とか玄葉さん達と一緒にやっていたの。だから、心配無いよ。むしろ、椿ちゃんの方が心配だよ」
僕の方が心配されちゃいました。
「むぅ……それならあの時、わら子ちゃんは気絶していなかったんですね」
「あっ、ごめん。その通りだよ。敵の本拠地を知る為にね」
それを聞いて、僕だけ気絶してしまったのが、情けないやら納得いかないやら、とにかく良く分からない感情が湧いちゃいました。
でも、敵との戦いがまだ続いているのなら、のんびりしていては駄目ですね。
「それなら早くここから脱出して、敵の親玉を――っ、いたた」
まだ動こうとしたら、全身が痛みます。
敵の結界は本気のものだったから、僕のダメージは相当です。防御力を上げていても、このダメージなんて……。
「椿様、落ち着いて下さい。あれからまだ、1時間程しか経っていません。先ずはあなたの傷の回復と、体力の回復を優先しないといけません」
えっ? 気絶していたから時間が分からなかったけれど、それだけしか経っていないのですか。
「椿ちゃん。相手も少なからず、体力を使っているだろうから、直ぐに動く事はしないと思う。だから今は、あなたの力を回復させよう」
わら子ちゃんにまで心配されたら、どうしようも無いですね。それなら2人の言う通りにして、体力の回復に専念しますね。
それに今確認したら、妲己さんも寝ていました。今動いてもしょうが無かったです。
休むしか無いですね。この、汚い牢屋でね……。
「う~ん……こんな所で回復出来るかな?」
「も、申し訳ありません。こちらが動くまで、敵に感づかれる訳にもいかないので、毛布を差し上げる事も出来ません」
「椿ちゃん。玄葉さんへの仕返しは、それ位で良いよね?」
「うん。真剣に謝っていたし、これで許しますね」
「なぁ?!」
大声出したら敵に気付かれますよ。
だけどもう1つ、心配する事があります。僕と一緒に連れて来られた、湯口先輩の事です。
きっと今頃、酷い仕打ちを受けているんじゃないかと思うと、直ぐにでも助けに行きたいです。
だけど、さっきの戦いでだいぶ体力を消費したのは確かで、色々と事情が分かった瞬間、疲労感が襲って来ました。
「わら子ちゃん、ごめん。ちょっと寝るね……」
「うん、分かった。妖怪食もあるから、起きたら食べてね」
そう言ってわら子ちゃんは、隠し持っていた巾着袋を見せてきました。つまり、そこに妖怪食が入っているんですね。それよりも、今は疲労感の方が勝ってます。
「さっ、椿ちゃん。おいで」
「えっと……」
その後、わら子ちゃんが正座を崩した座り方をすると、そのまま自分の膝を叩いてきました。
つまり、膝枕をしてあげるって事ですか? 流石に恥ずかしいし、わら子ちゃんが疲れちゃうんじゃないのかな。
「わら子ちゃん、そこまでは……」
「それじゃあ、地面に寝転がって、ネズミさんにその可愛いお耳をかじられても良いの?」
「…………」
ネズミさんこんにちは……じゃなくて、流石にそっちの方が嫌ですね。ネズミさんと目が合っちゃって、何だかかじる気満々と言うか、むしる気満々なんですけど……。
どうやら僕の耳の毛は、巣の素材にするには最適らしいです。勘弁して下さい。
「えっと、それじゃあ膝枕で……」
「は~い。おいで、椿ちゃん」
仕方ないです。今回は仕方ないのです。
とにかく、起きたら腹ごしらえをして、作戦を聞かないといけませんね。多分、もう決まっていると思うしね。
そしてその様子を見た後、玄葉さんは戻っていきました。だけど、玄葉さんの方も気を付けて下さいね。