第陸話 【1】 約束の話
それから数日後。僕はようやく、自分の体が動くようになりました。
そしてこの日、僕はカナちゃんに呼ばれ、ある公園へと向かっています。レイちゃんに乗りながらね。
白狐さんと黒狐さんは任務です。旅行に行っていた間に、2人への任務が溜まっていた様で、忙しくしていましたよ。
とにかく、今日カナちゃんに呼ばれたという事は、旅行の時に約束した事を、ちゃんと守ってくれる様ですね。カナちゃんの過去の事を、僕に話してくれるっていう約束をね。
それにしても、気付けばもう8月です。
蝉の鳴き声も一層うるさくなって、茹だるような暑さの前に、僕も汗が止まりません。フサフサの尻尾もあるから、余計に暑いよ。一応これでも夏毛だけどね。
こんな暑さなら、氷雨さんか氷魚ちゃん、そのどちらかでも、僕と一緒に来て貰えば良かったよ。我慢が出来なくなったら、冷やして貰えるようにね。そう考えたけれど、この2人は夏が駄目でした。
連日の猛暑の前に、氷雨さんも氷魚ちゃんもダウンしちゃっているんだ。雪女さんは、夏が苦手だからしょうがないですね。
「それにしても……妲己さ~ん。緘口令は解けたよ~何で僕の過去の事、教えてくれないんですか?」
レイちゃんに、もう少しだけ上空を飛ぶよう指示をした後、僕は妲己さんに文句を言った。
ちょっとでも人に見られたら、空飛ぶ少女として、週刊誌か何かのネタにされそうですからね。それと単純に、暑いからです。上空の方なら、風もあるから涼しいはず……。
「ちょっと、妲己さ~ん」
返事が無いから、しつこく呼び掛けますよ。
【うるさいわねぇ……ていうか、良いの? 私の悪事を聞いちゃって。私がやった事を聞いたら、あんた警戒するでしょう? それが困――って、あんた何ニヤニヤしているの!?】
「別に~」
まだ教えてはくれないということですね。
必死に悪役ぶろうしている妲己さん。そうしないといけない理由があるのかな? それとも単純に、何かしらのコンプレックスがあるのかな。
教えてくれないのなら良いです。僕の記憶が戻ればいいだけの話なんで。
【ちょっと、椿。あんたまさか……私と会った所の記憶まで戻っているんじゃ……】
「戻ってませ~ん」
【嘘つきなさ~い!!】
いや、本当にね。会った直後までしか思い出せていないし、妲己さんがあの後に何をしたのか、それは分からないからね。
本当に悪い事をしたかも知れないし、亜里砂ちゃんの悪事を止めようと、妲己さんが戦ったのかも知れない。まだ油断は出来ませんね。
【こら~! 椿! 体乗っ取るよ!】
「出来るならやってみてよ?」
そう言いながら僕は、巾着袋に入れている刀剣を取り出した。いつ何があるか分からないからね、こうやっていつも持ち歩く事にしたのです。
【あっ、ちょっと……ま、待ちなさい。卑怯よ、それは。くっ、あんたの体の中にいるのに、何で記憶を覗けないのかしら……】
「魂まで一緒になっていないからでしょ?」
普通に考えたら分かりそうなのに。いや……この感じは、分かって言っているんでしょうね。
そんな事をしている内に、カナちゃんと待ち合わせをしている公園に着きました。やっぱり、レイちゃんは速いですね。
だけどこの公園、実はその場所が伏見ではなく、市内にある京都御所の近くにあるのです。
カナちゃんは何で、こんな所を待ち合わせ場所にしたんだろう。それならそれで迎えに行くのに……。
カナちゃんの家からだと、伏見からになるから、ここまで遠いと思うよ。だから集合の時間が、お昼の2時だったんだね。
「あっ、カナちゃん発見。周りに人は……うん、居ない。レイちゃん、お疲れ様。降りるよ」
「ムキュッ!」
そして僕は、颯爽とレイちゃんの背中から飛び降りて、カナちゃんの待つ公園に降り立ち、同時に彼女に声をかけました。
「カナちゃん。お待たせ!」
「きゃっ!? えっ? 椿ちゃん?! 何て方法で降りて来てるの!」
カナちゃんの直ぐ近くに降りたら、めちゃくちゃ驚かれた上に、直ぐに怒られちゃいました。
いや、でも……あれくらいの高さからだと、白狐さんの力を使っていれば、無傷で飛び降りられるのに……。
「人が居なかったとはいえ、何かあったらどうするの!?」
完全に僕のお姉ちゃんです。僕は、カナちゃんの妹になったつもりは……。
「ご、ごめんなさい……」
でもやっぱり、怒られているなら謝らないといけない。
だから僕は、尻尾を垂れ下げて耳を伏せ、反省の意思を体で表現しています。
「くっ……」
あれ? おかしいな。カナちゃん、頭を抱えて悶えているような……。
「ま、まぁ、良いよ。とにかく行こうか」
あっ、持ち直した。良かった。それより、今のは何だったんだろう?
カナちゃんの怒りは収まったし、何だかご機嫌な様子だから、僕も嬉しくなっちゃうよ。
そして、カナちゃんの後に続いて歩き始めたけれど……その僕の姿を見て、カナちゃんが何かに気付いたのか、体を小刻みに震わせている。
しかも「可愛い」なんて言葉も聞こえてきた。何の事だろうと思って、自分の姿をよく確認してみると、何て事は無かったです。僕は嬉しくて、尻尾を振っていただけでした。こんなので悶えるなんて……。
「それにしてもカナちゃん、何でこんな遠い所に? ここに、何かあるの?」
「…………」
返事が無い……ただの悶えている人の様だ――じゃなくて、カナちゃん……早く戻ってきてよ。そうしないと――
「キュ~ン……」
「ちょっ……?!」
はい、トドメです。耳元でこんな切ない鳴き声を出されたら、一貫の終わりでしょ? あ~あ……カナちゃんが、いっぱい鼻血出しちゃっています。
でもこれ、我ながらとても恥ずかしいし、凄く寒気がしましたよ。それでも、カナちゃんには効果抜群でしたね。白狐さんや黒狐さん、雪ちゃんにも効きそうだけれど、これは一日一回しか出来そうに無いよ。主に、僕の精神力の問題で……ね。
それから暫くして、やっと復活したカナちゃんに案内され、住宅街のある場所に着きました。
だけどそこは、完全に更地で何も無い場所。更に、売りに出されているにも関わらず、何年も買い手がつかないのか『売地』の看板がボロボロになっていました。
「カナちゃん、ここって……」
何となく、ここが何なのかは想像がついたけれど、それでも僕は、カナちゃんに聞いてみた。
するとカナちゃんは、切なそうな表情をしながら、口を開いた。
「ん、そうだよ。私が小さい頃、ここにあった家で、お父さんとお母さんの3人で暮らしていたの」
今は何も無い……もうそれだけで、ここで何が起きたのかは、ある程度まで絞れる。
絶対に、何か悪い事が起きたんだ。それはきっと……カナちゃん自身も、あんまり話したく無い程の。
「椿ちゃん、私は悪い娘だよ。それでも、良いの?」
カナちゃんは、不安そうな顔で言ってきます。
僕は、カナちゃんを拒否するつもりは無いから、ちゃんと答えるよ。今の僕の気持ちをね。
「カナちゃん。僕も、まだ全部では無いけれど、過去を教えたよね。それなのにカナちゃんは、僕から離れなかったよね。だから、僕も離れないよ」
「ふふ……ありがとう、椿ちゃん。大好きだよ」
2回目ですね、大好きって言われたの。しかも、これは多分だけど、愛してる方のですね……カナちゃん。
流石に僕まで恥ずかしくなってくるよ。こんなにも真っ直ぐな好意を向けられるとは、夢にも思わなかったからね。
「それと、ごめんね。私は椿ちゃんに、一つだけ嘘をついたの」
「ん? 嘘? と言うと?」
「私、輪入道の半妖じゃないの」
えっ……だけど、あの時からずっと、カナちゃんの目は嘘を言っている様な目じゃなかったし、妖具だって……。
「何の半妖か、分からないの」
なるほど、そういう事ですか。
カナちゃんの言葉を聞いて、何故か納得しちゃいました。嘘を言っている自覚が無かったんですね。
つまり、自分でも何の半妖か分からないけれど、何かの半妖だと言っておかないと、自分の事が怖くなってしまう。だから何でも良いから、何かの半妖って事にしておきたかったんだね。
そうしている内に、カナちゃん自身、嘘が本当の事の様になっていったんですね。
「私、拭いきれないの。何の半妖か分からない恐怖が……だって、私は……お父さんを――殺したから」
「カナちゃん……」
カナちゃんは目に涙を浮かべ、今にも泣きそうになっている。
泣いちゃえば楽になるのに、何故か必死に我慢しているのは、きっと僕に、弱い自分を見せたく無いんでしょうね。
カナちゃん、本当に君って人は……。
「話して、カナちゃん。カナちゃん自身の事。それをおじいちゃんに言えば、何か分かるかも知れない。それと、僕は絶対に逃げないよ」
そして僕は、カナちゃんの頭を撫でる……けれど、カナちゃんの方がちょっとだけ背が高いから、手がギリギリでした。
「くっ……ぬっ、う……」
これはもう、弱気になっている姉を、妹が一生懸命元気づけている絵になっちゃっているよ。どうしてこうなるの……。
「もう……椿ちゃんったら。何であなたは、いちいちそんなに可愛いのかな」
「それは僕にも分かりません」
そのおかげなのか、カナちゃんにちょっとだけ笑顔が戻った。
それと、さっきので気が楽になったみたいで、ゆっくりと過去の事を話し始めました。僕を信じ切った目をしながらね。