第弐話 【1】 椿の日常
それから数日後、おじいちゃんが酒呑童子さんを扱き使わせて、家は何とか直りました。
その間、僕は美亜ちゃんの部屋にお邪魔していたよ。
本当はわら子ちゃんの所に行きたかったけれど、あの4人の徹底した守りの前には、もう為す術が無かったよ。
そして今は、毎朝の日課となっているシャワーを浴びています。
やっぱり、夏は寝汗で臭いかも知れないからね。ちゃんと朝にシャワーだけでもして、寝汗を流さないといけません。
男だった時は気にしなかったというか、気にならなかったのだけど、やっぱり女の子になると、その辺りが気になってくるんだよね。面倒くさいけれど、こういうのはしっかりとしておかないとね。そう、女の子として。
「ふぅ……寝汗を気にするようになるなんて、心も女の子になっていると思った方が良いのかな?」
シャワーを止め、正面のガラスに映る自分の姿を見つめると、僕はそう呟いた。
顔付きは、男子の時とあんまり変わらないけれど、体はもう誰が見ても、完璧な女の子。しかも最近、胸が大きくなってきているのです。だから今は、前より少し大きめのブラを着けている。
それにしても……胸が目立つようになると、男子の視線が顔から胸というように、僕を見る場所が増えるんだよね。
今まではこれも、あんまり気にはならなかったんだけれど、胸にまで視線がいくようになると、流石に不快に思うよ。
「う~ん……これのどこが良いのかな?」
僕はそれを確認するようにして、ゆっくりと自分の胸を触ってみる。
「……あっ、ダメダメ。何だか変な気分になっちゃう」
これって、慣れてきたからなのかな? 女の子の体は、色々と敏感過ぎます。
「そろそろ上がらないと。朝ご飯が冷めちゃうよ」
急いで浴室から出ると、バスタオルで体を拭いて、その後に耳の中の水気を取っていく。そして尻尾も、タオルを優しく当てる様にしながら、水気を取っていきます。
僕は尻尾と耳が1番敏感で、特に尻尾なんか掴まれたら、変な声が出てしまって、悶えちゃうんだよね。だから、そうならないように気を付けながら、しっかりと水気を取らないといけない。
「んっ……! よし、これくらいにしておいて……っと」
そして最後に、体を震るわせる様にしながら、尻尾と耳の毛を震わせると、残った水気を吹き飛ばしていきます。濡れた犬が、体をブルブルと震わせている感じでね。
ただその後は、壁に飛び散った水気を拭き取らないといけないんですよ。これが面倒くさい……なにか良い方法がないかな。
尻尾と耳がついた事で、お風呂上がりにする事が増えましたよ。
「う~ん、尻尾と耳は良いんだけれど、濡れた後の処理が大変なのが困るな……」
ドライヤーで髪を乾かしながら、僕はそう呟く。
女の人の支度は、男の人の倍はかかるって言うけれど、僕は更に倍かかります。
最近だと、男子でも時間をかける人居るよね。人によっては逆に、女子よりも時間がかかったりする人が居るみたい。信じられないや。
「よし、完璧」
下着姿のまま、ドライヤーで尻尾も完璧に乾かすと、いつもの巫女服に着がえ、鏡の前で最終チェックをし、髪や服に乱れが無いか見ていきます。
やっぱりさ、女の子としてのマナーと言うか、これはエチケットだからね。ついでに笑顔の練習もしておきます。うん、可愛い。
「いや~椿ちゃん。完・璧に恋する乙女だねぇ」
「へっ?! 里子ちゃん?! いつから居るんですか?
「えっと、椿ちゃんが自分の体に興味を持って、おずおずと触っている所から~」
「ということは、覗いていましたね……はぁ」
完全に油断したよ。里子ちゃんには気を付けないと、僕のお風呂とかも普通に覗いてきます。
でもね、里子ちゃん……それって男子がする事だよ。あなたがしてどうするの? それとね、やっぱり笑顔は必要でしょ? 別に、恋をしているからでは無いです。
「里子ちゃん。別に恋をしている人だけが、笑顔の練習をするわけじゃ――」
「あら、私はしていないわよ」
すると、里子ちゃんの後ろから美亜ちゃんが追撃してくる。止めて止めて、違うから……違いますから。
「いや、あの、でもね……別に、白狐さん黒狐さんの為とかじゃなくて……」
「白狐と黒狐にって言って無いでしょ?」
「うっ?! いや、美亜ちゃん違っ、違くて……そうじゃなくて」
「認めなさい、椿。自分が恋をしているって事を」
そう言うと美亜ちゃんは、僕の肩に優しく手を置いてくるけれど、感情を抑えられていないのか、悪戯っ子の笑みを浮かべています。
これは絶対に楽しんでる。でも、何故か反論が出来ない。何か、何か言わないと……誤解されちゃう。
『おい、どうしたお前達。朝飯は出来てるぞ、早く来い』
『まぁまぁ、黒狐よ。女子の支度には時間が……って、どうした椿よ。顔が赤いぞ? まさか、夏風邪か?!』
「ひっ、あっ、ち、違う。違います~!!」
何でこんなタイミングで、白狐さんと黒狐さんが来るんですか。しかも、気付かない内に顔が赤くなっていたなんて……最悪です。見られた見られた……更に心配までされてしまったよ。
気が付いたら僕は、洗面所から猛ダッシュで走り去っていました。
背後で2人が何か叫んでいたけれど、それどころでは無い僕は、ひたすら走ります。この家のどこかに向かって……。
―― ―― ――
しばらくして、家の中を迷走していた僕は、起きてきた楓ちゃんに見つかってしまい「朝ご飯を食べに行くっすよ!」と言われ、皆のいる大広間に向かった。
今は白狐さん黒狐さんと顔を合わせづらいんですよ、1人でどこかでコッソリと……とはいかないよね。
『おぉ、椿よ。大丈夫か?』
『顔を真っ赤にしながら逃げて行くとか、純情では無いか』
皆の居る広間に着くと、真っ先に白狐さん黒狐さんがそう言ってくる。
しまった……この口ぶりからして、美亜ちゃんと里子ちゃんが2人に告げ口している。
あの場は逃げるんじゃ無かった……いや、でも、咄嗟だったからどうしようも無いよ。
当然だけど、美亜ちゃんと里子ちゃんはホクホク顔で、美味しいそうにご飯を食べていますね。これをおかずにしないでほしいな……。
だけど、何故か嫌な気分にはなりません。
おかしいな……誤解されているだろうから、それだけは否定しようと思ったのに、否定したくない自分が居る……。
「姉さん、どうしたんすか? そんな所で突っ立ったまま、白狐さんと黒狐さんを見て……あっ、はは~ん。そうっすか、それは失敬失敬」
あっ、楓ちゃんにまで勘違いされた。
この子に関しては、何をしてくるか分からないから、出来たら勘違いして欲しく無かったのに。
「っ……! か、楓ちゃん、早くご飯を食べましょう!」
「姉さん、混乱してるのは分かるっすけど。そっちは出ちゃいますよ」
「…………」
あれ? 僕はいつの間に、後ろなんか向いてたの? もう駄目過ぎます、今日の僕は……。
『ふふ、黒狐よ……悪くない』
『だろう?』
「う~!」
事の原因の2人が、何を楽しんでいるんですか。
とにかく僕は、2人に少しでも抵抗をするべく、尻尾の毛を逆立て、更にそのまま垂直に立てると、自分が怒っている事をアピールします。
「椿ちゃ~ん。残念だけど、尻尾振って喜びのアピールしてるよ~」
「あれ?!」
里子ちゃんに言われ、自分の尻尾を確認すると、はち切れんばかりに尻尾を振っちゃっていました。
ごめんなさい……本当は嬉しいです。かまって欲しくて仕方が無いです。
「…………」
もう恥ずかしいのは無いけれど、何だか申し訳ない気分になる。
そんな感じで、無言のまま白狐さん黒狐さんを見ると、満面の笑みで自分の膝を叩いていて、僕に向かって「おいでおいで」をしていました。
つまりそれは、どちらかの膝に乗れと? それなら遠慮せずに行きます。白狐さんの方にね。
僕としては、気分を落ち着かせたい時は白狐さんなんです。
だから、そんなに睨まないでよ……黒狐さん。あとで黒狐さんにも、何かしてあげるから。
僕の毎朝は、いつもこんな状態でドタバタしています。
だけど今日は、何だか落ち着かない。遠くの方から、何かが近づいている様な、そんな気がする。
気のせいだったら良いけれど、用心しておいた方が良いかな。