第壱話 【2】 恋ってなんですか?
車に揺られる事2時間弱、ようやく目的の旅館に着きました。
ここは、丹後半島にある琴引浜の近くで、ここの砂は、歩くとキュッキュッと音がする鳴き砂で有名なんです。仕組みは確か、表面摩擦とか何とか言っていたけれど、僕には難しくて分からなかったです。
実はおじいちゃんは、昔ここの近くに住んでいたらしくて、旅館もその時の友達がやっているらしいです。というかその友達が、例の妖怪食を作る職人さんなんだって。
「お~大っきな旅館~」
車から降りた僕は、旅館の前に行き、その大きさに驚いた。
手前の方は和風の旅館で、入り口は大きく造られていて、建物は3階建て。横に広く、そこから客室の窓が幾つか見える。
だけど、その後ろに繋がっている、同じ様な和風の大っきな建物が凄いんですよね。まるで別世界に来たかの様な、そんな雰囲気で、手前の建物よりも大きいのです。まるでお城みたい……。
でもこんな所に、こんなにも大きな旅館ってあったっけ?
周りにはあんまり民家は無く、建物の後ろは山で、前方には海が広がっている。だから、こんな建物があったら目立つし、話題にもなるはず。
『ん? どうした椿。何を不思議そうな顔をしている?』
すると、僕の荷物を持った白狐さんが、横から話しかけてきた。
「いや……こんな所に、こんな旅館あったっけと思って……」
『椿。一応言っとくがな、後ろの建物は一般人には見えないからな』
白狐さんが答えようとしたら、黒狐さんが答えてきましたね。
分かれて運転していたから、黒狐さんは2時間程、僕と喋れていない。だからなのか、やたらと黒狐さんが引っ付いてくるんですけど……。
「あ~ここの旅館を経営している人が、妖怪だもんね」
そう納得しながら、僕が後ろの大きな建物を見上げると、窓から首だけの人――と言うか、妖怪が通り過ぎた。
つまり後ろの建物は、妖怪専用と言う事ですか。だから、一般人には見えない様にしているのですね。
そして皆が車から降りると、受付けをする為に、おじいちゃんだけが人間の姿になり、そのまま旅館の出入り口へと向かった。
後ろの建物には、別で出入り口があるそうで、一般の人も利用するこっちのホールで、皆がぞろぞろと待っているのは、色々と危ないらしいです。たまに見える人がいるからね。
しかも、ここの旅館は意外と人気で、今も人間用の旅館の方には、沢山の人達が出入りしています。
だから、駐車場で受付が終わるのを待っているしかない。暇なんだよね、この時間は。
待っている間に、カナちゃんと雪ちゃんに耳を触られて、夏美お姉ちゃんに尻尾モフモフされているけどね……。
「うぅ……おじいちゃん、早く戻ってきてぇ」
「はぁ~椿ちゃんの耳……ふにふにしてて、相変わらず触り心地最高~」
「同感」
「ん~椿の尻尾も、モフモフしてて最高よ~」
うぅ……僕は皆のぬいぐるみじゃ無いのに。それにモフモフしたいなら、レイちゃんも居るんだよ。それなのに、なんで僕なんでしょう。
すると、旅館の出入り口の脇から、見た事ある子が顔を出し、猛ダッシュでこっちへ向かって来ます。
あの丸みを帯びた耳と尻尾は、まさか……。
そういえばこの旅館って、妖怪食の職人さんが経営しているし、管理や接客の方を、その奥さんに任せているって、来る時におじいちゃんが言っていた。
つまりですね、その娘である“あの子”が居るのは、当然の事なんです。
「椿姉さん!! お久しぶりです!!」
そう叫ぶと、くノ一志望の化け狸、やんちゃ印の楓ちゃんが、僕のお腹に突進して来ました。格好は相変わらず、くノ一みたいな忍び装束です。
「ぐはっ?! ちょ……楓ちゃん。久しぶりって、あれから何週間かしか経っていないよ?」
尻餅をつきながらも、楓ちゃんをしっかりとキャッチ。そのまま返事をするけれど、楓ちゃんはキラキラした目で、僕を見ていた。
それと夏美お姉ちゃんが……こんな状態でも尻尾を離さなかったよ。そんなに僕の尻尾が気に入ったのでしょうか……。
「何週間は、自分にとっては久しぶりなのです!」
楓ちゃんはそう言うと、僕のお腹にグリグリと頭を押し付けてくる。
あれ? 何この、過度なスキンシップは……。
「それに、自分気付いたんです。何週間も姉さんに会えない間に、積もり積もっていくこの想いに、この恋心に!」
「はい?! ちょっと楓ちゃん、今何て言いました?!」
「あの……椿ちゃん? この子何?」
「椿、説明を……」
それに反応して、カナちゃんと雪ちゃんが怖い顔しています。僕は君達の恋人てはないから、怒られる筋合いはないはず……だよね。
『ほぉ……舎弟ならまだしも、そう来たか』
『つまりそれだけ、椿が魅力的だと言う事だ。それは良いのだが、逆にライバルが多くなって困るな』
白狐さん黒狐さん、僕のせいじゃないと思います。そんなつもりで皆と接している訳じゃ無いからね。
でも、皆に目でそう訴えても、既に一触即発なのか、僕の訴えが通らない。
だからさ、僕の頭の上でバチバチと火花を飛ばさないで。
「椿。あんたいつの間に、こんなにも……お姉ちゃん、ちょっとだけ見直したわ」
夏美お姉ちゃん……これは別に、見直さなくても良いです。僕は迷惑なんですよ。
白狐さん黒狐さんだけでも大変なのに、何でこんな事になるのでしょう。
確かに、皆に慕われるのは嬉しいけれど、それ以上を求められると、どうしたら良いか分からずに、僕の頭がパニックになりますよ。慣れていないですからね……。
「でもさ、あんたがそんな風にどっちつかずで、ちゃんとハッキリとしないから、皆が我先にって、あんたを狙うんじゃ無いの?」
そんな僕の様子を見ながら、夏美お姉ちゃんが言ってくる。尻尾を握ったままでね。
「椿。あんたは優しいし、誰も傷つけたく無いっていうその気持ち、分からなくも無いけれどさ、人との付き合いの中でその接し方は、程々にした方が良いわよ」
少し重い口調でそう言うと、お姉ちゃんは僕の尻尾から手を離し、受け付けをしているおじいちゃんの元へと向かって行った。
お姉ちゃんの最後の言葉。それはやけに真剣で、僕の心に深く突き刺さる。でも、何でお姉ちゃんはあんな言い方を?
もしかして、お姉ちゃんがギャルになって、今みたいな性格になったのには、何か原因があるのかな。
「椿。あんたのお姉さん、昔何かあったの?」
僕の横に立ち、今の様子を見ていた美亜ちゃんが、僕にそう言ってくる。
だけど、僕だってあんなお姉ちゃんは初めてなんだ。なにか同じような事で、取り返しのつかない事をしたのかな……。
「分かんないよ。お姉ちゃんと一緒に暮らし始めた時から、お姉ちゃんはギャルだったから」
「それでも、あの言葉は真に迫ってたわね。椿、周りの人との付き合い方、今のままで良いなんて思ってないわよね?」
そう言うと、美亜ちゃんは僕を試すかの様にして、座り込んでいる僕を見下ろしてくる。
でも、そうやって見下ろされると恐いので、とりあえず楓ちゃんを離して立ち上がり、しっかりと美亜ちゃんを見て頷いた。
「うん、分かってるよ。いつまでも、皆に甘えるわけにはいかないって事は」
「……それなら良いわ」
すると美亜ちゃんは、少しご機嫌な様子になって、お姉ちゃんの後を追うように、受付をしているおじいちゃんの元に向かって行った。
「う~ん……自分からしたら、姉さんが甘えている様には見えないっす」
「楓ちゃん、それは人によるよ。それとさ、楓ちゃんの気持ちは嬉しいけれど、僕に対してのその気持ちは、多分恋心じゃないと思うよ」
とにかく、先ずは楓ちゃんを説得しないといけないね。
そして僕は、少しだけ屈んで同じ目線になると、しっかりと目を見て話し始める。
「むっ……恋心じゃないっすか」
「おじいちゃんが言っていたけれど、人間と同じ様に、幼体の妖怪にも、憧れを恋心と勘違いしちゃう子が居るってさ。楓ちゃんのも、多分それだよ」
僕は、この子よりもお姉さんなんだから、ちゃんとしないと駄目だよね。
楓ちゃんも、僕の言う事なら間違いないって、そんな風にでも思ってくれているのか、しっかりと話を聞いてくれている。
「とにかくさ、恋ってものはそんな簡単じゃないよ。もっとドキドキするし、その人に会えないとソワソワしてしまって、その人の事を考えると、今どうしているんだろう? とか、他の異性と仲良くしていないだろうか? とか、考えてもしょうが無い事ばかり考えちゃうものだよ」
「た、確かに……自分のは違いますね。ただ、姉さんに会いたかっただけっす」
分かってくれて何よりです。
カナちゃんと雪ちゃんの誤解も解けたし、白狐さんと黒狐さんは、最初から分かっていたって顔をしています。
「でも、それだけ具体的に言えるって事は……もしかして姉さん、恋してるんですか?」
「んえっ?!」
楓ちゃんの華麗な返しに、声が裏返って変な返事をしてしまいました。
それよりも……これ、どうやって誤魔化そう。確かに、自分が経験した事の様に、何故かスルスルと言葉が出て来たけれど……それって、つまり……。
「――っ?! くっ……」
一瞬だけ、白狐さん黒狐さんを見て確認しようとしたけれど、見事に目が合っちゃった。
しかも、凄い笑顔で見られていて、突然顔が熱くなったし、慌てて目を逸らしてしまったよ。
見られた……真っ赤になっていたかも知れない顔を、完全に見られた。
「椿ちゃん、ご馳走様」
「何がですか、カナちゃん」
恥ずかしいので、それ以上は言わないで欲しいんですよね。
そんな気持ちを込めて、僕はカナちゃんに目で訴えます。あんまり効果なさそうだし、こっちもこっちで凄い笑顔でしたね。
「あ~なるほど、それが恋っすね。良く分かったっす」
「いや、違っ――わないけれど、いや……そうじゃ無くてさ……あ~もう! それ以上は言わないでぇ!」
その場に居られなくなった僕は、焦って駆けだしていた。旅館とは反対方向の、海の方に向かって。
もう限界なんです、頭が沸騰しそうなんです。
だから、海で頭を冷やして来ます。