第七話
火曜日。今日から新学期だ。
気持ちの上では高校生活も終盤なのに、これで二学期の始業式だというのだから、おかしなものだ。
あくびをかみころす生徒が多いなか、ごたぶんにもれず奈月も眠気が抜けずにいた。
「ギリだ。ギリだった……」
一緒に登校した孝までもが優れない顔色をしているのはめったにないことだが、やはり後半に持ち越した課題が大きな負担になったのだという。
朝から彼はその苦労を語り通しだ。
「今朝も走りながら数式やら英単語やらが頭から抜けないんだ、おかしいだろ」
寝坊しそうだったと語るわりに、走る余裕はあったらしい。
「後半はもうややこしい設問ばかりで、誰かに訊こうにも、どいつもこいつも連絡がとれねえし」
沙也は休み中、編曲に打ち込んでいたのだそうだ。
奈月も郁といる間は着信を通知しないようにしていたし、その後も家に居着かずふらふらしていた。
結論からいえば、正解だったと思う。
休み期間中、友人とはいえ、男の泣き言など聞きたくはない。
「得意分野を後回しにしてたのだけが、マシっちゃマシ。それでもキツかったなー」
「そのぶんいい思いもしたんじゃなかったっけ。どうだった、デート」
「おお、小島な!」
デートという名の買い出しに、美桜と出かけたはずだった。
「いや、あいつは、すげえ」
デリカシーに欠ける孝にもわかるほど、魅力があふれていて圧倒されたのだという。
「あいつ、うじうじしたところがなくていいな。何を選ぶにも決断がはやくて、すかっとした。沙也とは違うな」
内向的でストイックなところのある沙也とはタイプが違いすぎるので、比較はどうかと思ったが、語る孝の表情は明るかった。
「モテるやつってのは、顔だけじゃねーな。こっちまで気合い入るわ」
どうやらそこそこ楽しかったようだ。
収支の合った秋休みだったといえるだろう。
奈月も、秋休みは思いのほか楽しかった。
「おーっす」
廊下で孝が沙也を見かけて、声をかけた。
沙也と並んで、郁がいた。
「おはよう、二人とも」
奈月が声をかけると、視線が合うなり、郁はわずかに頬を紅潮させ、足早にその場を立ち去った。
「お、おはようっ」
うわずった声だけが残り、教室のドアの向こうに背中が消える。
孝が舌打ちを漏らす。
「何だあいつ」
「うん、今日も、か……」
かわいいよね、といいかけて、それはさすがに率直すぎるだろうと思いとどまる。
「か?」
「いや、急いでいたみたいだね」
郁に置いてけぼりをくらった沙也が合流した。
「奈月ったら、まだ郁と仲直りしてないの?」
批判がましい目を向けるのはやめてほしい。
「まだって何さ」
「何かいじわるしたんでしょう。いきさつは聞いてないけど、郁がひとを避けるなんて初めてだもの。ちゃんと謝ったの?」
「謝っては……、ないけど」
「ほら!」
だらしのない子ね! とでも言いたげな顔をする。
「大丈夫だよ、ちゃんと電話したし、話したから」
かるくいなして、ドアをくぐる。
教室に入ると、いつも視線が勝手に郁を探す。
郁はさっそくクラスの女子生徒につかまっているらしく、――なぜかその子と視線が合った。
「やっぱり、――でしょ!」
テンションの高い、そんな声が聞こえる。
「ちがっ……、え、わ、わかんない!」
めずらしく郁が取り乱した風で、言い返した。
席を立つ郁と、ばちっと再び目が合った。顔が赤い。
「ごめん、ちょっと……、パス」
そんなことをもごもごと言って、声をかける間もなく、今度は教室を出て行った。
(うん?)
あんなに落ち着きのない素振りは初めて目にする。
一方の女子生徒は、やけにすがすがしい笑顔を浮かべていて、余計にわけがわからなかった。
「奈月」
昼休みに、呼び止めた沙也の顔が怖かった。
「私の友達に、手を出したの」
「なにそれ」
唐突に。
出してはいないが、出していたとしても、威嚇される筋合いはない。
「休み中、一緒にいるのを見たって。付き合ってるのかって、なぜか私が訊かれた」
「それはそれは」
そんなどうでもいいようなことを、気の毒に。
「ああ、秋休みね」
感慨深い。あれはいい鍛錬になった。がっつり理性が鍛えられた。
思わず遠い目をしてしまう。
「郁は逃げてばかりで、ちっとも会話にならないの。すごく様子が変」
「ふうん、それで?」
「どうにかして」
きっぱりと沙也は言い放った。
「いや、無理でしょう」
原因もわからないのに、どうしようがあるというのか。
「少し待って、落ち着いたころに話を聞いたらどうかな。もちろん沙也が」
どうも今日は、郁とやけに視線が合ううえ、その都度露骨に避けられてばかりいるのだ。
「僕じゃないほうがいいんじゃないかな」
なんにせよ、同性の友人のほうが話しやすいだろう。
もしも自分に含むところがあるのだとしたら、それなら彼女は率直に奈月に語ってきかせるはずだ。
「心当たりはないの」
「ないね」
「それとも、後ろめたすぎて言えないの」
「まいったな、どれだけ信用がないのか、よくわかったよ」
(やれやれ)
どことなく理不尽な思いをした一幕だった。
新学期ともなれば、学園祭の準備が本格的に始動する。
この日のホームルームは時間を延長して、役割の分担を決めることとなった。
いつもは郁と孝が前にでるところを、実行委員の沙也と叶が黒板に解説をまじえて書き記していく。
「決めるのはこの四つ」
音響、照明、ダンス、演奏。
音響と照明は二名ずつ。
美術、衣装、振り付け、打楽器作り、編曲は事前に手分けをして行い、音声はあらかじめ録音しておくのだという。
「まずは、立候補をつのりたいと思います」
奈月は迷わず、演奏の項目に名乗りを上げた。
全体的に、ダンスを希望する生徒が少ないようだ。
なるべく人数を半々に分けたいらしい実行委員側が、こんな提案をした。
「おそらくイメージがわかないと思うので、デモンストレーションをやろうと思います」
教壇の前が片づけられ、沙也が自身でアレンジしたのだという音楽を鳴らし始めた。
秋休みの間に叶と密な相談を行っていたらしい。
曲に合わせた振り付けで、叶がステップを踏んで踊る。
「簡単だからこれ! だれでも出来るから」
捻るポイントなどを口頭でわめきながらも、さすがに踊り慣れているらしく、動きにはキレがある。
曲は民謡をベースにしてあるものの、そこにフォルクローレをブレンドしてあるのだろう。
ゆったりとしたもの悲しいパートと、シンプルなリズムのくり返しが、妙に耳に残ってなかなか優れた出来映えだった。
(頑張ったんだな)
わずか五分ばかりの曲ではあったが、床にぐっと伏せたポーズで叶が踊り終わると、教室には拍手があふれた。
「本番では、鳴子の代わりに、土鈴を持って踊ろうと思う。あと、まだ試作段階だけど、衣装はこんな感じ」
叶に手招きされて前に出たのは、美桜だった。
手には藍色の浴衣に、赤い手ぬぐいを何枚も重ねて持っている。
「浴衣は借り物、手ぬぐいは安物なの。でも、工夫次第でかわいくなるのよ」
そう言いながら、叶に浴衣をはおらせて、手ぬぐいを頭、腰、両腕に、手際よく巻きつけていく。
「インナーは黒で統一ね。あとは髪型を工夫して、お化粧をすれば完璧。どう?」
「かわいい!」
そんな声がちらほらあがる。
どうやらデモンストレーションには一定の効果があったようだ。
もちろん、具体的なビジョンを各自で思い描けたというのが一番だったが、ダンスを希望する生徒はあきらかに増えた。
中には、楽器作りが面倒くさいという消極的な意見もあったものの、若干の調整の後に、メンバーが確定した。
進行役に不慣れな面々にしては、スムーズに話が進んだほうだと思う。
脇にひかえていた担任の教師の反応も上々だ。
決まったチームごとに別れて、リーダーも決めた。
音響は沙也が引き続き担当し、照明は演劇部の奴らが、踊りは叶が、演奏は軽音楽部でドラムを担当しているという、山崎がまとめることとなった。
事前の準備は、大きく分けて二つ。
美術、衣装、打楽器製作の、物作り。それと、ダンスや演奏の合同練習。
日数はまだあるものの、朝と昼休み、それに放課後しか時間がとれないとなると、さほどのゆとりもない。
とくに放課後は居残りを好まない生徒も多い。
「なるべく前倒しでやっていこう」
打楽器製作のチームを固めて、山崎が言った。
「まずは各自で、使えそうなものを持ち寄ってみようか。そうだな、三日以内に」
昼休みに、いくつか皆で作ってみようという流れになった。
担任の戸山も、廃材をあたってみてくれるとのことだ。
「なるべく今週中に目途をつけて、来週は練習に力を入れたい」
「実際に使ってみないと、勝手もわからないしな。いいんじゃないか」
「俺、明日までに作り方とか調べてくるけど、みんなも頼むな。いろんな形のやつがあったほうが面白いだろうし」
さっそく端末をいじって、太鼓について調べる奴もいる。
誰もが、時間の短縮のためなら、積極的に動く。
「横笛吹いてみたいな」
そんなことを言い出す奴もいて、結局、吹奏楽の経験がある奴だけに許可がおりた。
笛は、音を出すだけで難しい。
「やっぱりさ、楽器は素手で叩いてなんぼだよな」
孝も乗り気だ。
「でかいの作るぞ、ポリバケツ使って、皮張って。お前は?」
「僕は木製のが好きかな。いくつか作って、バチで叩くつもり。素手だとほら、手が痛いから」
「軟弱!」
「そんなとこで強がってみてもしょうがないでしょ」
今後の予定をおおまかなにたてて、この日は解散となった。
「サンプルデータを配布するので、聴いてきてください」
沙也が音源を配り、歌詞とあわせて覚えるようにと皆に伝えた。
もっとも、歌詞といっても意味のある言葉ではなく、ほとんどかけ声程度のものではあったが。
教室に残り、もらったデータを聴いてみた。
『ソーラン節』に、『コンドルは飛んでいく』と『花祭り』が混ざっている。
「これ、歌ってるのお前じゃねえ?」
同じく耳を傾けていた孝が顔を上げた。
「そうみたい」
既にメロディの一部と化し、相当加工されてはいるが、元は自分の声だ。
学期末に音楽室で録音されたものを、使えたら使うと、そういえば言っていた。
かなりめちゃくちゃなスペイン語で、雰囲気だけでしか歌わなかった覚えがある。
「ここまで原型をとどめていなかったら、どうでもいいけど」
「ソーラン節も、歌詞がなかったらなんか普通だな」
「やっぱりかけ声がインパクトあるんじゃないの」
「おー」
しかし渡された歌詞の一覧を見る限り、かけ声もラテンっぽい。
「これは楽しんだもの勝ちかな。勢いがあればいけそう」
「オレもそんな気がしてきた」
実行委員の下準備のたまものだ。
彼女たちにとって、秋休みはさぞかし短かったことだろう。
頭が下がる。
めずらしくこの日は、奈月よりも郁のほうが先に教室を出ようとしていた。
気がついて、奈月が声をかける。
「ばいばい」
「――さようならっ。また、明日ね」
なぜか一歩後ずさり、郁がぺこりと頭を下げる。
にぎる拳には力がこもり、こころなしか顔もこわばっているようだ。
(あれ?)
心当たりはないが、何か気に障ることでもしたのだろうか。
(いや、怒っているなら、また明日なんて言わないような)
考えてもわからないので、気にすること自体をすぐにやめた。
少しくらい怒っていようと、元気でいるならそれでいいのだ。




