一週間の道のり 六日目 夜
霞がかったようにぼんやりとした気持ち。
そんな気持ちで空を駆ける。
私は結局、母を守れなかった。
それどころか、逃げてしまった。
変貌し狂ってゆく母を見て、恐ろしくなった。
竜の血肉を喰らい、恍惚とした表情を浮かべるアレを母と信じたくなかった。
人の状態だからあの程度で済んだのだ。
もし、狼人だったら……。
考えるのはやめておこう。
始めの内は、母さんだったし、アレの片鱗が少しあっただけだ。
三日目の夜には、一時的になり切りだして。
四日目には、半ば混じっていた。
五日目には、少し暴力的だけど竜を鍛えるのが目的だった。
だけど今日は違う、間違いなく竜を殺す気でいた。
母さんを信じていたから、母さんが何とかできるからと、言ってたから。
待ってしまった。
アレは、直ぐに消すべきだったのに……。
空はイヤになるくらい澄んでいて、星の光が私を苛む。
「ゴメンなさい」
優しい母さんを守れなかった。
私は、悪い子だ。
助けられてばかりで何も返していない。
私は一体何を望んでいたのか?
母さんの幸せなのに。
気付けばいない。
私では救えない。
なら、頼るしかない。
母さんが言うには出雲に神が居ると言っていた。
きっと助ける術を知っているに違いない。
けれど、もし無かったら……。
その時は、私の手で。
決意を胸に空を強く蹴る。
目的地は出雲。
全てを清算するために……。
時は少し遡り、森の中。
もう日が沈む頃。
「……寝過ごした」
竜牙が目を覚ました。
身体を触り、傷の状態を診る。
腹の傷は既に塞がっているが、目が復活するにはもう少しかかりそうだ。
身体は良い、問題なのは時間だ。
余裕を持って見当をつけていた一週間という期間。
このままだとそれに間に合わない。
「少しノンビリし過ぎたな」
あの二人と居る時間が心地よくて。つい、長引かせてしまった。
「楽しかったなぁ」
竜の十六歳、本当なら遊びたい盛りだ。
奪われた時間を思い出させてくれた。
あの二人には感謝している。
だからこそ、これ以上巻き込めない。
「少し怖いな」
出雲を前にして、逃げたくなった。
死にかけて、生きたくなった。
もっと、二人と過ごしたい。
もっと、生きていきたい。
生きることへの欲。
俺は、それを忘れていた。
だからこそ、行くと決めた。
「幸せになるんだ」
全部終わらせて、生きて二人の所に行こう。
もう、復讐だけじゃない。
幸せになるために、過去を清算するんだ。
「急ごう」
二人より先に出雲に行って、明日は二人と過ごして再会を約束しよう。
大陸の教団がどれ程強くても、負ける気なんてない。
何せ俺には負けられない理由があるのだから。
竜に変化する。
同時に、何かが変わった気がする。
「イクゾ」
翼を広げて、何時もより綺麗な夜空へと、飛び立つ。
目標は出雲。
世界を楽しむようにゆっくりと飛ぶ。
「アァ、セカイハ、カクモ、ウツクシイ」
気持ち一つで世界がこうも変わるとは……。
感動していると、馬の蹄が地面を蹴る音が後ろから聞こえてきた。
振り向くと一匹の麒麟がいた。
「キリン、トハ、メズラシイ」
急いでいるのか、相当な速さで近づいてくる。
ん?近づいてくる。
よくよく見てみると、麒麟は目を瞑っていた。
「マサカ」
顔の鱗が青色に変色した気がするくらい、血が下がる。
麒麟は間違いなく、こっちに向かってきている。
「オイ!」
怒鳴るが麒麟は止まるどころか、気づきもしない。
それどころか……。
「ナニヲ」
微弱な電気のラインを直線状に引く。
魔力の質から負と正が交互になっていることが分かった。
嫌な予感がする。
麒麟が足に電気を纏った。
右と左の足に負と正の電気が……。
右足が正の電気を踏むと弾かれたように前に飛び出る。
相当な負担が掛かる行為だ。
俺は麒麟の身を案じてしまった。
「ムチャダ、ヨセ」
しかし麒麟は止まらない。
それを繰り返す度にどんどんと速くなる。
このままだと不味いことになる。
麒麟を止める為に、構える。
踏ん張りの効かない空中で随分な無茶をするものだと考えるが。
麟と同じ麒麟を見捨てたくはなかった。
「トマレ!」
その言葉に麒麟は止まる事なく走り続けて……。
俺に直撃した。
麒麟の角が深々と腹に刺さる。
想像以上の強さで吹き飛ばされそうになったが何とか耐えた。
麒麟をしっかりと抱きとめる。
麒麟もそれには気づいたのか、足を止めた。
「フゥ、イッタイ、ナニヲ、イソイデ、イル?」
腕の中にいる麒麟に問う。
麒麟は震えているようだ。
落ち着かせる為に頭を撫でてやる。
「どうして?」
頭に麟の声が響く。
となると……。
「オマエハ、リン、ナノカ」
「うん」
見てみると、麒麟の顔には確かに麟の面影があった。
「ロウガハ、ドウシタ?イッショジャ、ナイノカ?」
問うと、麟は目から涙を流した。
一体、どうしたのだろうか?
「マサカ、テキニ、ヤラレタノカ!」
「違う」
角を腹から引き抜き、首を横に振る麟。
「ヤラレテハ、イナイノダナ」
俺は答えに安堵する。
しかし、麟は俯き悲しんでいる。
狼牙はこういう時、麟に何をしていただろう?
確か、抱きしめていた 。
思い出した俺は、それを実行する。
キツくしないように、怯えさせないように、優しく、そっと、けれど強く抱きしめる。
「カナシムナ。
オレガ、イル。
ダカラ、タヨレ。
オレハ、ミカタダ」
麟の震えが止まる。
そして、俯いていた顔を上げた。
その瞳には哀しみがあった。
「お母さんが、壊れたの」
その一言を皮切りに狼牙の事を話す麟。
その話によれば、女になったせいで壊れてしまい、それを治す手が出雲にあるかもしれない。とのことだった。
「ソウカ、ソンナコトニ、ナッテイタノカ」
「私は守れなかった」
語り終えた麟は不安と哀しみで再び俯いてしまった。
そんな麟の頭を撫でて励ます。
「アンズルナ、アレハ、ツヨイ」
「どうして、そんなことが言えるの」
意気消沈とした声。
「アレハ、オマエノ、ハハダ。アレガ、オマエヲ、オイテ、ユクワケガ、ナイ」
「そうかな」
少し明るくなった声。
「キット、カエッテクル」
「少しだけ、信じてみる」
多少は元気を取り戻せたようだ。
麟の顔に精力が戻る。
さっきまでの消沈としている様は見ていられなかった。
俺も今まではあんな顔をして生きていたのだな。
希望も無く、過去ばかりに囚われたその姿は、まさしく亡霊であった。
けれど、今は違う。
「リン、オレニハ、ユメガ、デキタ」
麟が顔を上げてこちらを見る。
だから、高らかに宣言しよう。
「オマエト、ロウガガ、ユルスナラ、オレモ、カゾクニ、シテホシイ」
麟の目が見開かれる。
麟を見据えて、俺は宣言する。
「ソノタメニモ、ロウガヲ、タスケルゾ。フタリデ」
「うん」
腹を据え、二人は出雲へと向かう。
狼牙を救う為に……。
深く、暗く、全てが溶けた闇の中でソレは起きた。
「……」
ソレの瞳からはとめどなく涙が流れている。
「……」
慟哭する気力も無く、ただただ、涙を流すばかり。
「……」
ソレの心は哀しみと怒りと恐怖で満ちていた。
「……」
ゆらりと立ち上がる、その様は正に幽鬼であった。
「……」
ソレは大事な者に捨てられたと思っている。
「……」
ソレは愛したと思っている。
「……」
けれど、本当は違う。
「……」
ソレは愛されたかっただけなのだ。
「……」
絶望にまみれたソレの頭に一つの人物が浮かんだ。
「彼なら、妾を愛してくれるかしら……。」
ソレは出雲へと歩き出す。
ただただ、愛されることを夢見て。
一匹の狼は番いを求めて彷徨うのだ。
次回、シリアスがシリアスじゃなくなるかもしれません。
私にもわかりませんから。