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ファンタジー

深夜ダンジョンで落とし物を拾っていたら、配信者全員の嘘が見えるようになりました

作者: くるみ
掲載日:2026/07/10

 会社を辞めた翌週、私は深夜ダンジョンの清掃員になった。


 前職は、広告会社の営業事務。

 毎日、終電ぎりぎりまで働いて、朝は吐き気をこらえながら出社していた。


「真柴さんは要領がいいから大丈夫だよね」


 上司はいつもそう言った。

 私は要領がよかったわけではない。

 断る気力がなかっただけだ。


 三年目の春、駅のホームで電車を待っていた時、ふと自分が一歩前に出そうになっていることに気づいた。


 怖くなって、その日のうちに退職届を出した。



 それから一か月、私はほとんど眠って過ごした。

 昼と夜が逆転し、人の多い場所に出るのがつらくなり、でも貯金は減っていく。

 そんな時、求人サイトで見つけたのが、深夜ダンジョン清掃員だった。


『未経験可。夜勤。会話少なめ。危険手当あり。落とし物回収、簡易清掃、低階層巡回』


 会話少なめ。

 その一文に惹かれて、私は応募した。


     *


 ダンジョンは、十年前から世界各地に出現している。

 日本では、東京湾岸にできた巨大な地下迷宮が一番有名だ。


 通称、東京第三ダンジョン。

 国の管理下にあり、探索者ギルドに登録した者だけが入れる。

 そして今、ダンジョン探索は一大娯楽でもあった。


 剣と魔法で魔物を倒す配信者。

 宝箱を開ける瞬間を中継する動画。

 危険階層でのチャレンジ企画。


 世間は毎日のように、ダンジョン配信で盛り上がっている。

 ただし、配信が終わった後のダンジョンは、わりと汚い。


 飲みかけの回復ポーション瓶。

 折れた矢。

 焦げた魔導ライト。

 誰かが落とした携帯食料の包み紙。

 魔物の粘液が乾いた床。

 宝箱から出たけれど配信映えしないから放置された、よくわからない石。

 私はそれらを、深夜二時から朝六時まで黙々と片づける。


 仕事は地味だ。

 けれど、嫌いではなかった。

 ダンジョンの夜は静かだ。


 昼間のような歓声も、配信者の大げさな叫び声も、コメント欄を意識した笑顔もない。

 足音と、台車の車輪の音と、遠くで水が落ちる音だけ。

 誰かに急かされることもない。

 誰かに「大丈夫だよね」と押しつけられることもない。


 私にとっては、ちょうどいい暗さだった。


     *


 その日も、私は第三階層の配信許可区域を回っていた。

 夕方に、人気配信者グループ「プラチナアーク」が大型配信をしていた場所だ。

 彼らは若くて顔がよくて、戦い方も派手で、登録者数は百万人を超えている。

 私は詳しくないが、同僚の瀬野さんが言っていた。


「今日の夜は荒れてると思うよ。あの人たち、撮れ高のために魔物を集めるから」


「危なくないんですか?」


「危ないけど、登録者数が多いと注意もしづらいんだってさ」


 嫌な話だと思った。

 実際、現場は荒れていた。


 壁には焦げ跡。

 床には割れたポーション瓶。

 魔物寄せの香の燃えかすまで落ちている。


「これ、禁止じゃないの……」


 私は手袋をはめ直し、証拠用の小袋に香の燃えかすを入れた。

 その時、瓦礫の隙間で、青白く光るものを見つけた。


 ビー玉ほどの透明な球体。

 中に細かな文字が流れている。


「配信用の魔道具かな」


 手に取ると、表面にひびが入っていた。

 落とし物回収袋に入れようとした瞬間、球体がぱきりと音を立てた。


「え」


 青白い光が、私の指先から手首へ流れ込む。


 痛みはなかった。

 けれど、視界の端に、見慣れない文字が浮かんだ。


『真偽字幕、起動』


「……しんぎ?」


 私は思わずあたりを見回した。

 誰もいない。


 床には粘液。

 壁には焦げ跡。

 そして、私の視界には、薄い水色の文字が揺れている。


『発言、記録、映像、行動の真偽を判定します』


「いや、困る」


 思わず声に出た。


 困る。

 本当に困る。

 私はただの清掃員だ。

 真偽など判定しなくていい。

 壊れた配信用魔道具は落とし物として届けて、帰って寝たい。


 そう思ったのに、その日から私の視界は少し変になった。


     *


 最初に気づいたのは、翌日の休憩室だった。

 同僚の瀬野さんが、缶コーヒーを開けながら言った。


「いやあ、昨日ちょっと腰やっちゃったけど、大丈夫大丈夫」


 その瞬間、瀬野さんの頭の横に文字が浮かんだ。


『嘘。腰部打撲。階段下降時に痛みあり』


 私は缶のお茶を取り落としそうになった。


「瀬野さん、腰、ちゃんと医務室で診てもらった方がいいです」


「え、なんで?」


「歩き方が変です」


「そう?」


「階段、痛いですよね」


 瀬野さんは固まった。


「……なんでわかったの」


「なんとなくです」


 真偽字幕のことは言えなかった。

 自分でも信じられない。

 けれど、念のため医務室へ行ってもらうと、瀬野さんは軽い打撲と診断された。


「真柴さん、すごいね。観察眼あるんだ」


「いえ、たまたまです」


 そう答えながら、私は水色の文字を見ないように目をそらした。


 たまたまではない。

 見えてしまったのだ。


 人が隠している痛みも。

 言葉と事実のずれも。


     *


 それから、私はなるべく人の配信を見ないようにした。

 けれど、深夜清掃員をしていると、嫌でも配信者とすれ違う。


 夜の延長配信を終えて帰る人。

 許可時間ぎりぎりまで粘る人。

 清掃員を背景扱いして、カメラを向けてくる人。


「今日も余裕でしたね。下層の魔物も大したことないです」


『嘘。第七階層には到達していない。第三階層で撮影』


「この剣、視聴者プレゼントにします。俺たちにはもう必要ないので」


『嘘。耐久値低下。売却不可のため処分目的』


「初心者にも優しいコラボです。全員で楽しく攻略しましょう」


『一部嘘。初心者を囮役にする予定あり』


 私は見なかったことにしたかった。

 見なかったことにして、床を拭いて、瓶を拾って、朝になったら帰ればよかった。


 けれど、ある夜、それができなくなった。


     *


 第五階層の安全区域で、若い女性配信者が一人、座り込んでいた。


 名前は春原ゆい。

 最近デビューしたばかりの新人で、人気グループとのコラボ配信中だと聞いていた。

 彼女は膝を押さえ、青ざめた顔をしていた。


「あの、大丈夫ですか?」


 私は清掃用の台車を止めた。

 ゆいさんは、慌てて笑った。


「大丈夫です。ちょっと休んでるだけなので」


『嘘。右足首捻挫。痛みにより歩行困難』


 私は息を呑んだ。


「同行者は?」


「先にボス部屋の確認に行ってます。私はすぐ追いつくので」


『嘘。同行者は置き去りを認識。救助予定なし』


 胸の奥が冷えた。

 コラボ相手は、プラチナアークだった。

 私はゆいさんの配信端末を見る。

 画面には、遅延配信中のコメント欄が流れていた。


『ゆいちゃん遅れてる?』


『演出かな』


『プラチナアーク優しいから大丈夫でしょ』


 優しい。

 その言葉の横に、視界の字幕が浮かぶ。


『嘘。安全確認なし。魔物寄せ使用済み』


 私は無線を取った。


「こちら深夜清掃、真柴。第五階層安全区域で負傷者を確認。右足首捻挫疑い。魔物寄せ使用の可能性あり。救護班をお願いします」


 無線の向こうで、職員が緊張した声を返す。


『了解。現在地を固定してください』


「ゆいさん、立たないでください。足を冷やします」


「でも、配信が」


「配信より足です」


 私がきっぱり言うと、ゆいさんは驚いたように目を見開いた。

 それから、唇を噛んだ。


「でも、迷惑をかけたら、次から呼んでもらえなくなるって」


「呼んでもらわなくていいです。置き去りにするような相手とは」


 その言葉に、ゆいさんの目から涙がこぼれた。

 私は清掃用の保冷剤をタオルで包み、彼女の足首に当てた。


「大丈夫です。救護班が来ます」


「清掃員さんなのに、どうして」


「清掃員だからです」


 私は周囲を見回した。


 壁際には、燃え残った香の灰。

 魔物の足跡。

 そして、まだ新しい血の跡。


「配信が終わった後に、何が残っているか見るのが仕事なので」


     *


 その救助は、思わぬ形で広まった。


 ダンジョン内の安全記録用カメラに、私がゆいさんを救護班へ引き渡す様子と、プラチナアークが禁止薬具を使用していた証拠が映っていたのだ。


 もちろん、私の顔は伏せられた。

 けれど、ネットではすぐに話題になった。


『深夜清掃員、冷静すぎる』


『新人を置き去りにしたって本当?』


『清掃員さんの「配信より足です」が刺さる』


『プラチナアーク、説明して』


 プラチナアークのリーダー、甲斐斗はすぐに釈明配信をした。


「僕たちは彼女を置き去りにしたわけではありません。一時的に別行動を取っただけです」


『嘘』


「魔物寄せの香なんて使っていません」


『嘘』


「清掃員の方が状況を誤解したのだと思います」


『嘘』


 私は寮の小さな部屋で、その配信を見ながら、胃が痛くなった。


 嘘の文字が多すぎる。

 画面いっぱいに並ぶ水色の字幕に、目が疲れる。

 私は配信を閉じた。


 別に、誰かを暴きたいわけではない。

 ただ、怪我をした人を放っておけなかっただけだ。

 けれど翌日、ギルドから呼び出しがあった。


     *


 会議室にいたのは、探索者ギルドの安全管理課長と、ダンジョン庁の職員だった。

 私は椅子に座るなり、頭を下げた。


「勝手に無線を使ってすみません」


「いえ、適切な判断でした」


 安全管理課長は、そう言って書類を差し出した。


「むしろ、こちらからお願いがあります」


「お願い、ですか」


「真柴さん。あなたには、清掃員の仕事に加えて、夜間の安全巡回補助をしていただきたい」


「私が?」


「あなたは現場の違和感に気づくのが早い。禁止薬具の痕跡、負傷者の状態、配信者の置き去り。いずれも、通常の巡回では見落とされる可能性がありました」


 私は困った。

 違和感に気づいたのではない。

 見えてしまっただけだ。

 けれど、真偽字幕のことは、まだ誰にも言えなかった。


 壊れた魔道具が体に入ったようです、などと言えば、検査か隔離か、どちらにしても面倒なことになる。


「私、戦えません」


「戦闘は求めていません」


「配信者と揉めるのも得意ではありません」


「揉める前に職員を呼んでください」


「人前で話すのも苦手です」


「必要ありません」


 課長は、少しだけ笑った。


「あなたにお願いしたいのは、派手なことではありません。落ちているものを見ること。残っている痕跡を拾うこと。危ないと思ったら止めること。あなたが今までしてきた仕事です」


 私は少し黙った。

 それなら、できるかもしれない。

 掃除ならできる。

 落ちているものを見ることなら、ずっとやってきた。


「わかりました」


 私が頷くと、課長はほっとしたように笑った。


「ありがとうございます。夜間安全巡回補助員として、手当もつきます」


「手当」


 思わず聞き返してしまった。


 大事だ。

 とても大事だ。


「はい」


「やります」


 課長が少し吹き出した。


     *


 夜間巡回補助になってから、私はますます配信者の嘘を見るようになった。

 けれど、不思議なことに、全員が悪い人というわけではなかった。


「俺、怖くないです。全然平気です」


『嘘。かなり怖い。撤退希望』


「今日の企画は余裕ですね」


『嘘。同行者の安全を心配している』


「コメント欄、無理しろってうるさいなあ。いや、冗談ですよ」


『本当。無理はしたくない』


 嘘は、悪意だけではなかった。


 強がりも嘘。

 見栄も嘘。

 大丈夫と言ってしまう弱さも嘘。

 前の会社で、私が何度も言った「大丈夫です」と同じ嘘。


 だから私は、少しずつ声をかけるようになった。


「今日は霧が濃いので、引き返した方がいいです」


「そのポーション、色が変わっています。飲まない方がいいです」


「コメント欄は見なくていいです。足元を見てください」


「怖いなら怖いでいいと思います。撤退も記録になります」


 最初は怪しまれた。

 けれど、私の注意を聞いた人たちが大きな怪我を避けることが増え、少しずつ噂になった。


『深夜の清掃員さん、やたら当たる』


『あの人が止めた配信、翌日通行止めになってた』


『清掃員さんが拾うもの、証拠能力高すぎ』


『夜掃除のナギさんって呼ばれてるらしい』


 やめてほしい。

 私はただ、静かに掃除をしたい。

 そう思っていたのに、ある日、ギルド公式から連絡が来た。


『夜間安全啓発用に、清掃視点の短い動画を作りませんか』


 私は即答した。


「無理です」


 課長は言った。


「顔出しなし、声も変えます。内容は、落とし物から危険を学ぶだけです」


「落とし物から」


「はい。配信者の名前は出しません」


 少し興味が出た。

 その動画なら、誰かを責めるためではなく、誰かが怪我をしないために作れる。


「一本だけなら」


 そうして始まったのが、ギルド公式の短い安全動画だった。


『深夜清掃記録』


 第一回は、変色した回復ポーション。

 第二回は、魔物寄せの香の燃えかす。

 第三回は、折れた矢の角度からわかる誤射の危険。

 私は顔を出さず、淡々と説明した。


「落とし物は、持ち主の失敗を責めるためにあるのではありません。次に同じ失敗をする人を減らすためにあります」


 その一言が、なぜか切り抜かれて広まった。


     *


 プラチナアークが完全に崩れたのは、冬の大型配信の日だった。

 彼らは第十階層の未確認区域へ挑むと宣言した。

 ギルドは許可していなかった。

 けれど彼らは、通常区域で配信を開始し、途中から勝手に未確認区域へ入った。


 私はその日、夜間巡回に出ていた。

 配信画面の中で、甲斐斗が笑っていた。


「ここは安全確認済みです。ギルドにも許可を取っています」


『嘘。許可なし。安全確認なし』


 私はすぐに無線を取った。


「第十階層、未確認区域への無断侵入を確認。配信者グループ、プラチナアーク。緊急遮断をお願いします」


『了解。位置情報を確認中』


 その瞬間、配信画面の奥で、壁が波打った。


 迷宮の壁が動く。

 未確認区域で時折起きる、階層変動だ。

 退路が変わる。

 魔物の通り道も変わる。


 甲斐斗の笑顔が固まった。


「え、ちょっと待って」


『本当。想定外』


 コメント欄が流れる。


『演出?』


『すごい』


『やばくない?』


 やばい。


 私は台車を押して走った。


 第十階層は清掃対象外だが、隣接する第九階層の排水路なら知っている。

 以前、スライムの粘液を流すために、古い排水ゲートの位置を確認したことがあった。

 階層変動で道が塞がっても、排水路は残る可能性がある。


「真柴さん、どこへ行くんですか!」


 瀬野さんの声が無線から飛ぶ。


「第九階層の排水ゲートへ向かいます。第十階層に接続しているかもしれません」


『危険です。救助隊を待ってください』


「待っていたら、魔物が来ます」


 視界の端に、真偽字幕が浮かぶ。


『第十階層、魔物接近。三分以内に接触』


 私は舌打ちした。


 本当に、こういう時だけ正確だ。


     *


 排水ゲートは、半分錆びついていた。

 私は清掃員用の鍵を差し込み、体重をかけて回した。


 ぎぎ、と嫌な音がする。


 隙間から冷たい風が流れた。

 つながっている。


「こちら真柴。第九階層排水ゲートから第十階層側への風を確認。誘導灯を設置します」


『真柴さん、救助隊が向かっています。無理はしないでください』


「無理はしません。仕事をします」


 私は清掃用の魔導ライトを床に並べた。

 青い光が、細い通路を照らす。

 その奥から、誰かの叫び声が聞こえた。


「こっちです!」


 私は声を張った。


「光の方へ来てください!」


 最初に現れたのは、プラチナアークのサブメンバーだった。

 顔面蒼白で、足を引きずっている。

 次に、カメラ担当。

 最後に、甲斐斗がよろめきながら出てきた。


 彼は私を見るなり、泣きそうな顔で叫んだ。


「助けてください!」


『本当』


 その文字を見て、私は少しだけ息を吐いた。

 嘘ではなかった。

 今、この人は本当に助けを求めている。


「全員、壁際へ。足元を見て。走らないでください」


「魔物が、すぐ後ろに」


「わかっています」


 私は台車からスライム凝固剤を取り出した。

 本来は床清掃用だ。

 けれど、魔物の粘液にも効く。


 排水路の奥から、濁った音が近づいてくる。

 私は凝固剤を床に撒き、魔導ライトを蹴って奥へ転がした。

 光に反応した大型スライムが、こちらへ滑り込んでくる。


 その瞬間、床の凝固剤が反応し、スライムの表面が白く固まった。


「今です!」


 救助隊が到着し、拘束魔法を放つ。

 大型スライムは排水路の中で動きを止めた。

 甲斐斗たちは、全員救助された。

 大きな後遺症が残る怪我人はいなかった。

 それが何よりよかった。


     *


 後日、プラチナアークは活動停止になった。


 無許可区域への侵入。

 虚偽説明。

 禁止薬具の使用。

 新人配信者の置き去り。


 過去の危険行為も次々に明らかになった。

 甲斐斗は謝罪配信をした。


「僕は、数字ばかり見ていました。視聴者数、登録者数、同接、切り抜きの再生数。危険を大きく見せれば見せるほど、数字が伸びると思っていました」


『本当』


「けれど、助けを求めた時、来てくれたのは、僕が軽く見ていた清掃員の方でした」


『本当』


「本当に、申し訳ありませんでした」


『本当』


 私はその配信を、休憩室の隅で見ていた。

 嘘の文字は出なかった。

 だからといって、全部が許されるわけではない。


 でも、少なくとも今の謝罪は本当だった。

 それで十分だと思った。

 瀬野さんが隣に座り、缶コーヒーを差し出してくる。


「有名人だね、ナギさん」


「やめてください」


「深夜清掃記録、登録者数すごいことになってるよ」


「見てません」


「見た方がいいよ。収益化できるって」


「収益化」


 私は缶コーヒーを受け取った。


 大事だ。

 とても大事だ。


 瀬野さんは笑った。


「真柴さん、そこだけ反応が正直だよね」


     *


 それから半年。

 私は正式に、ダンジョン庁の夜間安全監査員になった。

 仕事は相変わらず夜だ。

 清掃用の台車も押している。

 ただ、制服の腕章が少し変わった。


『夜間安全監査員』


 そう書かれた腕章を見て、ゆいさんが笑った。


「ナギさん、似合ってます」


「そうですか?」


「はい。すごく」


 彼女は足の怪我から復帰し、今は安全重視の探索配信をしている。

 無理をしない。

 撤退を恥ずかしがらない。

 危険をきちんと説明する。


 その姿勢が支持され、以前よりずっと穏やかなファンが増えたらしい。


「今日の配信でも、ナギさんの動画を紹介していいですか?」


「顔を出さないなら」


「もちろんです」


 私は少し考え、つけ足した。


「あと、怖い時は怖いと言ってください」


 ゆいさんは、はにかんで頷いた。


「はい。ちゃんと言います」


『本当』


 視界の端に浮かんだ文字を見て、私は少し笑った。


     *


 深夜二時。

 配信者たちが帰った後のダンジョンは、今日も静かだ。


 床には、空になったポーション瓶。

 壁際には、折れた矢。

 安全区域のベンチには、誰かが忘れた手袋。

 私はそれらを一つずつ拾い、記録していく。


 落とし物は、ただのごみではない。

 誰かが無理をした証拠。

 誰かが怖かった証拠。

 誰かが助けを求める前に残した、小さな手がかり。

 それを拾うのが、私の仕事だ。


 視界の端では、今も時々、真偽字幕が揺れる。


 最初は嫌だった。

 嘘なんて、見えない方が楽だと思っていた。

 けれど今は、少しだけ違う。


 嘘が見えるから、人を責めたいわけではない。

 嘘の奥にある痛みや危険を、見落としたくないだけだ。


 私は清掃用の台車を押しながら、通路の先へ進む。

 今日もまた、誰かの配信が終わった後のダンジョンを歩く。


 派手な戦闘も、歓声も、コメント欄もない。

 けれど、ここには確かに、次の誰かを守るための仕事が残っている。

 私は床に落ちていた小さな魔石を拾い、回収袋に入れた。

 そして、胸元の小型カメラに向かって静かに言う。


「深夜清掃記録。第百二回。今日は、落とし物の手袋からわかる低体温の危険についてです」


 ダンジョンの奥で、水の落ちる音がした。

 私は少しだけ笑って、台車を押す。


 会社を辞めた日、私は自分が何もできない人間になったのだと思っていた。


 けれど、違った。

 誰かの派手な光になれなくてもいい。

 誰かが帰った後に残されたものを拾い、次の誰かが安全に帰れるようにする。

 それも、ちゃんと仕事だ。

 それも、ちゃんと誰かを救う。


 だから私は今日も、深夜のダンジョンを掃除する。

 嘘の奥にある、本当の危険を見逃さないために。

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