私立御神楽高校暴行事件
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。
俺はクエン酸が好きだ。
クエン酸を摂取しなければ落ち着かない体なのだ。
いつも大量に購入するのだが、数日で消費しきってしまうため、近所のスーパーやコンビニに頻繁に買いに行く。
今日もまた、俺は行きつけのスーパーへと向かう。
サプリメントのコーナーは……あそこか。
売り場へと向かう足取りが弾む。
クエン酸のあの独特な酸味を思い出すだけで口に唾液がたまる。
次の瞬間、世界が色を失う。
「クエン酸が……ないだと?」
一気に口の中の水分が失われ、膝から崩れ落ちそうになる。
挫けそうになる意識を叱咤して、地球の自転よりも高速で最寄りのコンビニへと向かう。
「噓だろ……ここにもないのかよ……」
その後も町のスーパー、コンビニをすべて回ったが、クエン酸はどこにも無かった。
世界は徹夜明けのようにグニャグニャと歪み、耳からはクエン酸からのささやき声がする。
「どこかに……クエン酸は……」
真っ暗闇だった視界に、突如光が差す。
学校の購買だ……。あそこに行けば、クエン酸のサプリが買える。
もはや前後左右の間隔などなく、宙に浮いている気分だが、それでも足を交互に出し、確かに大地を踏みしめる。
「ハア……ハア……。クエン酸……」
俺は、学校が嫌いだった。
そもそも、クエン酸を摂り始めたのも、学校生活から逃げたいがためだったのだ。
しかし、今の俺にとって、学校とは砂漠を彷徨う遭難者にとってのオアシスのようだった。
やっとのことで購買に辿り着き、客が来るたび嫌そうな顔をする受付のおばちゃんに聞く。
「ク、クエン酸……あるだけください……」
おばちゃんはやっぱり嫌そうな顔をして
「品切れ。今は無いよ」
とか抜かしやがった。
次の瞬間、俺の視界は真っ暗になった。
──後に、渡辺裕之(十七歳)が引き起こしたこの事件は、「私立御神楽高校クエン酸事件」として、後の世まで語り継がれることになる。
第一通報者の田中雅子さん(五十四歳)はこう語る。
「あの時は驚きましたねぇ。クエン酸が無いって言ったら、急に叫び出して、購買のある廊下の窓を素手で割り始めたんですよ。あの時は猛獣が目の前にいたみたいで、怖かったですねぇ」
通報を受け、最寄りの交番から巡査階級二名が現場に到着したとき、辺りは凄惨を極めていた。
近年、防犯・防火対策により、学校の窓ガラスを割ることは困難を極める。一般の人間であれば、ハンマーで叩いてもせいぜいヒビを入れるのがやっとであり、素手での破壊は絶対に不可能である。
──結論から言えば、購買部の存在する御神楽高校北校舎二階のガラスは、すべて素手によって粉々に破壊されていた。
校舎内には、暴れる犯人を止めようとして反撃を喰らった多数の生徒が積みあがっており、その様は日本アルプスを想起させた。彼の暴虐非道ぶりを見たものは、皆口を揃えてこう語る。
「あれは人間じゃない。修羅だった」と。現在の戦力では、到底対抗不可能と判断した二名の巡査により応援が要請され、地域の警察は、持てる総戦力を彼に投入したが、無駄だった。
ヤクの禁断症状により覚醒した渡辺の前には、秩序の象徴たる警察手帳も、一般変質者に対抗するための警棒も税金の無駄と化す。
わずか五分間の戦闘で、公権力は全滅した。
猛獣には狩人を。凶暴な獣を目の前にした無辜の人の希望は、もはや平均年齢六十八歳の猟銃会の面々しかなかった。
事態を重く見た地方行政により特別に麻酔銃の使用を許可された彼らは、「ようやく人が撃てる」と意気揚々と御神楽高校に赴いた。
猟銃会メンバーが校庭に到着したころ、渡辺は池の鯉を貪り食っていた。もはや彼を止めるものはおらず、邪魔をすればその瞬間に殺されるかのような緊張感が漂う。
「こんな緊張感は、三十五年前に儂の浮気がバレて妻が包丁を持ち出してきたとき以来じゃわい」
そう話すのは、猟銃会リーダー、森田孫一(七十一歳)。全盛期より肉体は衰えていたが、射撃能力、目に宿る殺気は一分も衰えてはいない。
「ガウッ……グルルルル……」
もはや人語を話さない渡辺に、森田が照準を合わせる。
「安らかに眠れい、坊主よ。」
耳をつんざく音がして、撃鉄が上がる。力を失った渡辺は、ゆっくりと地面に崩れ落ち、砂埃が立ち上る。
こうして、私立御神楽高校クエン酸事件は終結した。
重傷者十名、軽傷者二十一名を出したこの事件だが、幸いにも死者はいなかった。
なお、捕獲された渡辺には、薬物検査が実施されたが、陽性反応が検出されなかったため、心身喪失とみなされ、無罪となった。
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