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  杜人閑話……鵥と守人『壇ノ浦今昔』




快晴、ようやく春の気配がし始めた衣更月の終わり。



「やいや、壇ノ浦は今日も元気だねぇ」



眼下に走る荒潮は昔から何一つ変わる事なく轟いている。

おそらく何百年経とうと、この海は変わらず速く、変わらず海の難所で在り続けるだろう。


鵥鳴女は適当な浜に降りると静かに胡坐をかいた。


変わったのは時代。

時代が変われば礼儀も変わる。


きっと本土でこんな真似をしたら雉や黄鶲の姐さん方に叱られるだろう。


鵥は自分が叱られる様子を空想して苦笑いしながら……

けれども、あの時代の自分達で在るように胡坐が良い、そう思った。


そして、酒と杯、肴と小皿を取り出す。



「いつの間にか神様になっちまったもんだからよ、

 こういうもんも供えられるくらいには偉くなったらしい。

 ただね、どうにもあたしだけじゃ畏れ多くて飲めやしねぇからさ、アンタも付き合いな」



すっかり定型句となった飲み始めの祝詞。

潮の匂いに亡き鳰鳴女を想う。



「肴はよぉ、わざわざ志賀から持ってきたんだ」



干し蜆を小皿に盛って、つついと前に出しながら、

「アンタの故郷の、しかも旬の物で作った贅沢品だよ」と微笑んで。


小さなそれを一つ口に放り込んで、噛みながら酒を流す。

酒精に戻され染み出した貝の旨みが頬を緩ます。



「そうそう、そういえばだね、ちょいと聞いとくれよ」



返事は別に返って来なくても良い。

親友がここに居ないのだという事も知っている。


ただ、忘れない為に、この場所で彼女を想う。


杜人神が引き起こした大騒乱の後、

鳴女の中でも古参の面々にだけ明かされた真なる龍の正体。

その背で生まれたモノは皆、気付かずとも全てが繋がっている。


それと、仏教には輪廻転生という概念があるらしい。


二つを耳にしてふと思った。


ミシャグジの名の下で生き死に、霊と成り消えた先にあるのは……?

ミシャグジに還り、そしてまた生まれ出ずるのではないだろうか。


巡る時の最果てで、彼女の魂とまた出会えるかもしれない。

どのような姿なのかも、いつになるのかも分からないが鵥は少しだけ希望を持っている。


もっとも、会ったからどうというわけでもなく、

彼女であって彼女でない者をきっと遠目に見守るだけなのだろうが、それでも、だ。


それは並大抵の縁では成しえない奇跡だろう。

だからこそ親友がこの場所に居るように振る舞い扱うのだ。

忘れない為に、自分が彼女と深い縁を持ち得ているのだと刻む為に。


祀られて九州を任されたとはいえ、土地の神々との約束で長くは居られない。

かと言って自分しか出来ない仕事が増えたのでそちらも疎かにはできない。


本来ならば毎日のようにここへ訪れたいがしょうがないのだ。

その分、自分が体験した事や耳にした面白い出来事、仕事を土産のように話す。


こうして彼女は年に数度、近況をこの地で散った鳰の思い出に報告するのだった。




******




そうして、一刻も話した頃。



「……でよー、鶫の奴が露骨に仕掛けるもんだから、

 雉の姐御がピリピリして面白いのなんのって、っと、もうこんな時間か」



太陽が大分傾いてきたのを確認して軽く溜息を吐いた。

おおよそこれぐらいで彼女は楽しい時間を切り上げる。

後は残った酒と肴を海に供えるのが常だ。


鵥が腰を上げると背中に控えていた今津守人が声をかけた。



「もう、よろしいので?」


「ああ、後は掃除して帰らないとね」



黄昏時、それは魔と人が出逢い易いひと時。


見据える先、潮の流れに混じって不穏な気配が漂う。

夜が近づけば壇ノ浦は潮の速さだけではなく尋常ならざる海となるのだ。


そこかしこから沸き出した恐怖の顕現が武者や火の魂となり水面から浮上してきた。


積もった怨念、伝承による想像、実際に海の持つ危険。

合わさったそれらがある種の信仰として畏れを生む。


見えぬ者には水難を象った脅威となる畏れ。



「賑やかなのは嫌いじゃないが、こいつは良くない」



親友の思い出が哀しみの源となっているのが癪に障る。

何百年も昔の残滓共が関係の無い奴らを傷つける、それも鵥には許せない。


来る度に沸いている無形の者共とのすっかり恒例となった戦いである。

墓掃除のようなものだ。


守人に目線で合図すると彼は一振りの太刀を彼女に渡し、

自らも抜刀して海を睨み付けた。


向けられる祓えの力に気がついた海の悪意達が浜へ集まってくる。

この軍勢はどうやらたった2人と見て勝てると踏んでいるらしい。


侮ってくれればそれで良い。

まずは不用意に近づいてくれた尖兵の骸霊を一閃。



「ず~っと素手喧嘩(すてごろ)ばっかだったけど、

 あたしもすっかり剣士になった気がするよ」


「鵥様、努々油断めされぬよう」


「分かってるよ。

 剣理に関しちゃアンタが師匠だしね」



影からの奇襲を背中を任せた守人が鮮やかな手並みで迎撃。

その実力に対する安心感と連帯感に軽口も飛び出す。

すると、それを挑発と取ったのか堰を切ったように霊群が波と押し寄せた。



「へんっ、あたしに勝ちたきゃ山犬様でも連れて来いっての」


「……鵥様、それは少々情けなくはないですか」


「ええい、誰しも苦手はあるもんなのっ!」



更に一閃、厄が散る。

さあ、奴らが人々を苛む前に大掃除と洒落込もう。




******




「……よ~し、疲れた」



夜空に星が輝き出してようやく海はただの海へと戻った。

隣では守人が息を整えながら刀の手入れをしている。



「毎度毎度、数だけは多いんだから困ったもんだ」


「私が付いていく以前は御一人でなさっていたのですよね」


「まあね、墓参りの恒例行事だったからさ」



喧嘩は得意なんだ、と鵥は自慢するように二の腕をポンポンと叩いた。



「でもま、守人、アンタが来てから楽になったよ」



遠地で自由に動ける鳴女は自分一人。

九州の地で身内と呼べる相手は今までいなかった。


大騒乱の日、真っ先に帰ろうとした鵥を

今津と結び付けてくれた津蟹には感謝してもしきれない。


『我は付いていけぬが、この地の縁として何ぞ力には為れぬのか。

 玉姫の愛したこの地が大蛇に穢されんとするを防いだ恩、まだ返せておらぬ』


蒙古襲来の折に持ち出された眼石が記憶していた森戸の者の力。

今津に遺されたその面影を見つけ出したのはその至宝だった。


世の中、何がどうなるか分からない。

情けは人の為ならずか、そう小さく呟いて数奇な縁に想いを馳せた。


それからしばし星を眺めて、いざ帰ろうかとした時に鵥は思う所があって口を開く。



「そういや守人、アンタそれだけの腕があるなら何処ぞへも仕官できそうだったのに」



どうしてそうしなかったのだ、と問うた。

応えは簡潔にして彼らしいものが直ぐに返ってきた。



「何処かに仕えてしまえば、いつか来る恩返しの時に身分が邪魔になりましょう」



だから庄屋の跡取りというちょっとした権限を持ちながらも動き易い絶妙な位置で

今津村の森戸の血は何代にも渡って『その時』の為に研鑽を積んできたのだと。



「それにこうして鵥様と共に、

 無辜の人々の為に退魔の剣を振るえる自由は悪くありません」



少しだけ照れるように頬をかいて守人ははにかんだ。

この人助け気質はきっと杜人の血なのだろうなと鵥はクスリ笑う。


血、血か……。

壇ノ浦に居るからだろう、自分を振り切って海へ飛び込んだあの日の鳰が思い出される。


怨霊渦巻く海の底から彼女が引っ張り上げたのは一人の少女だった。

死を覚悟して海に沈み、意識を失おうとも神器を抱えたまま離さなかった強い少女。


鳰の死に至った消耗がその少女を怨霊から庇った為なのは知っている。


神器を確保した後、こっそりと落人へ引渡したのだが

あの尊い血も何処かへ繋がっていたりするんだろうか。


当時は親友が消えてしまった哀しみと、生かした方が残酷だろうという恨みもあって

落人への引渡しを勝手に行ったのだけれども、今静かに振り返れば

鳰の魂と引き換えに生を得た少女の血が何かを成しえていれば良いなと自然に願える。


過去を乗り越えるとはこういう事なのか。

時間は哀しみも恨みも癒し、思い出が心を強くしてくれる。


どこか清々しい気分になった鵥は守人の手をぐぃっと引っ張った。



「さ~て、それじゃあ帰るかね。

 今津まで飛んでいくからしっかり掴まりなよっ!」


「えっ、ちょっ、この体勢はそのっ」



横抱きの何が不満なのか、ごたごた文句を言い出した守人を無視して

晴れやかな気分のまま海面を走る風に乗って濃藍の空へ飛び立った。













一旦空に出てしまえば飛べない守人は安全の為、大人しくしがみ付くしかない。

それが少しばかりいけなかった。



「その、この体勢だと、あの、胸がですね」


「…………」



言われて気付く己の状態。


ちなみに鵥は鳴女の中では女性として豊満な膨らみを有している。

横抱きされた守人は落ちないように鵥側に身体を傾けて、言うなれば抱き合う形だ。

となれば、双つの山はぐっと押し付けられるわけで。



「あの、鵥様、聞いてらっしゃいますか?」


「……う、うるせー、役得だと思って静かに掴まってなっ!」



もはや羞恥心から開き直って叫ぶしかなかった。


勢いのまま守人を抱きかかえた鵥は自身の行いと守人の胸板の厚さに

守人は鵥の母性とそのやわらかさに顔を赤くしながらの夜間飛行。


鵥鳴女の壇ノ浦参り。

こうして今回はなんとも間抜けに終わったのだった。


思い出の中の鳰に、何をやってんだか、そう笑われたような気がした。




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[一言] 執筆されてから10年もたって発見したことを悔やまれます リアルタイムで追いかけたかった そして閑話はこれて終わりですか? 続きがあるように思えるので気になります
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