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  杜人閑話……騒乱裏之一『黄鶲と山男』




これは騒乱記の裏にあった話。

黄鶲が胸にしまった出逢いの思い出。


時期に鈴虫達の鳴き納める季節だったが、

まずは出逢った何者かについて語ろう。






時は天下分ける一戦より十年、二十年と遡る。


それは少年の物語。







小さな農村に居たごく普通な少年……。

しかし、少年はある異能を背負わされていた。


その両の眼は他人の欺瞞を白と黒に見分けてしまう不思議な力を持っていたのである。

この異能が歯車となり、彼の人生は思わぬ方向へ転がっていく。







少年が『それ』に目覚めたのは

歳が五つを数えた頃だった。



何の前触れも無く、あまりにも突然に、世界は白と黒を増やした。



誰かと話していると、その人の周りに白黒の靄が掛かるのだ。


誰にも見えない靄は特に人を区別するようでこの時は何も理解できはしなかったが

白に対しては何故か温もりを、黒に対しては本能的に嫌悪感を覚えた。


それから正確に意味を理解する日が来るまで、

何かに憑かれたのだと怯えながら毎日を過ごす事になる。


そして、やがて気付き、別の恐怖が生まれた。



この世に溢れた嘘と裏切り。

小さな村でさえも簡単に塗り潰す欺瞞の多さに。



……黒い靄が掛かる人は誰かを騙そうとしている!


村人の何気無いやり取りを眺めているだけで、

恨みや嫉みから生まれる些細な嘘がもくもくと黒く煙るのが分かってしまう。


それは、純真だった少年の心には耐えかねる醜さ。



もう誰と遊んでも怖ろしくてしょうがなかった。


山で一人、木々の緑や土塊の色に包まれる時間と、

どんな時であろうとも真っ白に愛情を注いでくれる両親だけにしか安らぎを感じられずにいた。




暫くして少年が眼に慣れ、

世界はそういう物なのだと諦めに納得しようとしてきた頃……


今度は村人達が少年を悪霊憑きだと迫害し始めた。




山や森での一人遊びを好み、やれ誰かと遊んだかと思うと

白だ黒だと呟いては嘘や隠し事を見抜いてしまう少年を気味悪がっての事だ。


少年は自分の迂闊を呪った。

こんな事態になるなんて思っても見なかった。

どうしてもっと隠しておけなかったのだろうかと。


ようやく十に届いた程度の子供に己の秘密を隠し通せと言うのは無理な注文だろう。

しかし、少年は激しく悔やむ事になる。


自分だけなら良かったのだ。

石を投げ付けられようが、泥を浴びせられようが構わない。



けれど、親にまで矛先を向けられる事に少年は耐えられなかった。



お前が悪いのではないよ、怖がらなくても良いんだよ、と。

たとえどんな時であろうとも父と母は少年を庇い、信じ、真っ白に愛してくれていた。


そんな両親が不当に貶められる。

……それは我が身を裂くより辛く堪えたのだ。




ある日、思い立った少年はこっそりと村を抜け出し、

山を越えて、谷を越えて、関所を潜り抜け……

三日も掛けて噂にしか聞いた事の無い高名な寺へ押しかけた。


寺の偉い坊さんなら悪霊を祓えるに違いない。

自分の変な眼を治してくれるに違いない。


至極単純な理由だが、子供なりに必死の思いで押しかけたのだ。


お金も何も持ち合わせてはいないけれども、

祓って貰えるのならば無償の奉公に自分の一生を捧げるくらいの覚悟はあった。


自分の為に親が理不尽な目にあっている現状、

これを打破してくれるのならば、命なぞいらなかった。




突然の無礼に当然の如く僧兵に阻まれたのだが、少年は諦めない。

殴られようと、突き飛ばされようと、父と母のために通してくれよと意地を張る。


騒ぎを聞きつけ現われた住職が寺の名に恥じぬ徳のある人物だったのは幸いだろう。


ボロボロの服と擦り切れて血の滲む足、傷ついた身体を見て周りの僧を一喝。


ここまでするには相応の訳があるのだろう、と。

少年を快く寺へ迎え入れ、治療を施し理由を聞いた。




すると、住職は少年の境遇に大層胸を痛め、協力を約束してくれたのだった。

彷徨う霊が原因なのならば今この場で成仏させてやるぞと少年に微笑んで。


そうして念仏を唱え、少年の異能が何によって齎されたものなのかを調べたのだが……




……真実は過酷なものだった。




遠い遠い先祖に妖の血が混ざっている。




何故目覚めたかまでは分からぬが、その血こそが異能の原因であるのだと。

重々しく住職が告げたそれは、少年の眼に曇りない『白』で映った。


本当だ。

嘘ではない、本当なのだ。


途端、少年は爆発する感情のまま走り出していた。

住職や他の僧達が止める間もなく。




どうしようもない。


どうしようもないではないか!


悪霊憑きどころではない。

この身がすでに化け物だったのだ。


村の皆に潔白を示すどころではなかった。


頼れる父と温かな母と、一緒に笑い合っていたいだけなのに。

共に生きるもままならない。


すみません、申し訳の無い事に化け物として生まれ落ちてしまいました。

すみません、その所為で優しい貴方達を苦しめてしまいました。

すみません、自分がこんな風に生まれてきてしまって。


……父さん、母さん、ごめんなさい。




自分を信じてくれていた両親への罪悪感から逃げるように

走り、走り、走り……疲れ果てた何処とも知れぬ山の中で少年は結論に至る。




『自分さえいなければ両親が虐げられはしないだろう』




今更ながら何も言わずに飛び出して来てしまった事だけが心残りだったが、

少年はもう村へ戻ろうなどとは欠片も思わなかった。


一人で生きていこう。


全て知った今ならば己の異能を隠しながら人の世に紛れゆくのも可能だとは思う。

しかし、もしも友と呼べる者が出来てしまった時……悪い結末しか想像できなかった。

白と黒は容易に関係を破壊する。あるいは破壊の種を生んでしまうからである。


だから、一人で。


自ら命を絶とうなどという安易な逃げも頭を掠めたが、それは裏切りだ。

育ててくれた親の愛情を自分の手で終わらせる事はできない。


こんな自分を愛してくれた人が居た事実、それを無かった事にしたくないから。


できるだけ他者との関わり合いを避けながら、淋しく生きていこう。

これこそが背負うべき宿命であるのだと少年は覚悟を決めた。




覚悟を決めた、はずなのに涙が父と母への感謝となってもう一度零れる。




……今まで、ありがとうございました。


思えば、親不孝な息子でした。


こんなにも立派な身体を父から授かったというのに。

こんなにも器用な手先を母から授かったというのに。


何一つ孝行できず、迷惑ばかりをかけ、

勝手に出て行ってしまって。


……すべて忘れてください。


化け物の息子なぞ、気味の悪い息子なぞ

始めからいなかったのだと、忘れ去ってください。


そして、幸せになってください。


いついかなる場所に在っても祈っています。

愛しい父と母が幸せでありますように。




日が沈んでゆく西の空の下、

もう会わぬと決めた両親へ手を合わせ静かに頭を下げた。







そして、二十年の時が流れる。




頑健な身体にぼさぼさで不精な頭髪。


男の名は山彦。


山深くに居を構え、修験者とも猟人とも知れぬ

無口で無愛想な男に誰ともなく付けた名がそれだった。


ふらりと麓の村へ現われては

毛皮や蔦編みの細工物と食べ物を交換して再び山へと帰ってゆく物静かな大男。


腕だけは確かで、良質な商品を運んでくる山彦を村人は受け入れていたが

妖怪の類ではなかろうかと怪しんでもいた。


必要がなければ誰とも話そうとはしない。

偏屈というにも少々違った人嫌い。


時の流れの先で、白と黒の世界を持つ少年はそんな男になっていた。


この山彦が居なければ、縁は繋がらず、

雉鳴女と杜人神の結末は悲劇的なものへと変わっていたのかもしれない。










その日、山へ帰ろうとした彼は

どす黒い瘴気にまみれた一羽の小鳥を気まぐれに拾った。


それが運命との出逢いだった。



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