杜人閑話……教授と学生S『騒乱記の?』
「お待たせしたね、坂本君。
とても面白い内容で君らしいと思ったよ。
引用資料もこれだけ用意するのは骨だったんじゃないかな」
すっかり馴染んだ研究室のソファで筑前国風土記の解説書を読み耽っていると、
教授が鼻歌でも聞こえてきそうな上機嫌で近付いてきた。
「そうだ、これ他の先生にも回しちゃっていいかい?
私だけが見るには出来が良くて勿体無い気がするよ」
どうやら俺の出した小論文は思いのほか好評だったらしい。
しかし、そこまで持ち上げられると流石に照れる。
そう言うと教授は謙遜しなくて良いと言葉を継いだ。
「意外と君に期待してる人は多いんだけどな。
こないだ人が集まらないからって考古学科のフィールドワークに連れてかれたろう。
……まぁ、私がうっかり酒の席で推薦しちゃったからなんだけど。
あれね、小嶋先生褒めてたよ、丁寧だし熱心、若いのに知識も専攻並にあるってね」
弟子が褒められたみたいで私は嬉しいよ、と教授は笑う。
そうして、ますます俺は恐縮してしまうのだった。
「中でもコレを読むと物を考えるセンスがあるのも分かる。
良い推察だよ、『騒乱記』は古神道系杜人信仰を伊勢が取り込むべく記されたなんて」
教授の視線が鋭くなった。
何故そこへ行き着いたのかは論文内に書いたが、俺の口からも直接聞きたいのだろう。
このように近頃の教授は俺を試そうとしてくる事が良くある。
まるで成長を確かめるように。
俺は前もって用意していた文言を告げた。
著者が当時の杜人神社の神主であるにも関わらず皇祖神を持ち上げる描写が多すぎる。
東征以来、形式上は下についたとあったがこの時代はまだ対等に近い間柄のはず。
それを裏付ける様に自分に閲覧が許された資料で最も数のある民間人達の手記には
天照が殆ど出てこない事から地元民にとっては皇祖神よりも杜人神の信仰が強かったのだ。
この微妙な齟齬、不自然さ。
もしかすると近世における神道統一化への試金石だったのでは?
地震という災害にかこつけて色々と取引があった可能性が高い。
災害復興や朝廷直轄領の土地を盾に名義借りをし、権威強化を狙ったのではなかろうか。
時代もまた関ヶ原を終え、新たな潮流を刻み始めた時期である事も動機として十分だろう。
だからこそ教授の解釈を聞いてみたい。
小論文はその為に書き上げたようなものだ。
何だかんだで自分には見る事が叶わない資料をこの目に出来るかも知れない
……という、知識への好奇心が占める割合もかなり大きい気もするけども。
「やっぱり君は素晴らしい。
資料も限られてるのに良く組み立ててあるよ、本当に」
教授は一度机へ戻り、ノートパソコンと缶コーヒーを手に隣へ座った。
「私が知る限りで『騒乱記』は少なくとも二冊目が存在している。
仮に『偽典・騒乱記』と。 しかし中身に関しては私も殆ど読ませてもらえてない。
伊勢派に都合が悪い何かがあったのか、それは君の推察がほぼ答えなんだと思う」
パソコンの機動音と共に教授はコーヒーを一口、喉を潤した。
私も聴きにまわる体勢は既にできている。
さぁ、講義の時間だ。
「騒乱記をちょっと振り返ってみよう。
これは関ヶ原の合戦の裏側で起こってた事件となってます」
「君が調べた様に民間に沢山の文書が残ってるのと、
周りのお寺や神社でもこの日の事は良く記されていてね、
日付に関してはほぼ間違いなく西暦1600年10月21日から3日間」
「どれも局地的な地震があったと書かれている」
「そうそう、こないだニュースでやってたけど
紀伊半島南部で広域活断層が見つかったそうじゃないか」
「地下マグマによる火山性地震がそれまでの通説なんだが
今後の進展次第では覆るかもしれないのかねぇ、地質は専門外だからうろ覚えだけど」
「とにかく地震はあったらしいです。
他にも災害を思わせるものとして龍が出てくる」
「龍は竜巻や水害の暗喩が一般的なんだけども、
こと騒乱記の龍は杜人綿津見神が化身したとあって
植物が寄り合わさり変化したという珍しい記述なんだよね」
「まぁ、朱雀や白虎といった四神で青龍は木行を指すから関係が無いわけじゃないけど」
「当の災害は地滑りなどの緑が押し寄せてくるような土砂災害が候補かな……
……なのに、その頃の地層にそんな大規模な痕跡がまだ見つかってない。
ま、現時点における謎だなぁ、何故龍なのかってのはいずれ解明したいもの」
「はてさて、こんな感じに様々な自然現象と合わせ
祀る人間が自分の神を高位へと押し上げようと記述するのは至極普通」
「しかし、君が怪しいと思ったように
騒乱記はここから天照大御神が出張ってくるようになる」
「雉鳴女が大和より授かっていた役目によってね」
「この時の雉鳴女に関しては諸説あるんだけども、
君が資料とした伊勢寄りの正典だと『裏切り』が印象的かな」
「雉鳴女は大和の戦神達に送り込まれた間者であり
最後まで服従を良しとしなかった杜人神への埋伏の毒」
「杜人神を討つ大義名分を得たならばすぐさま大和へ帰還して
討ち滅ぼす為の神々を集めるのが雉鳴女に与えられた使命だった」
「長く続いた戦乱から杜人神が人間に失望し、
暴龍と化して人々を祟り始めたので雉鳴女は動かなくてはならない。
共に杜人神の腹心であった山犬の信頼をも欺いていた、これが第一の『裏切り』」
「しかし、雉鳴女は杜人神に情が移ってしまっていた」
「杜人神を討たせたくはないと苦悩の末に天照に相談しに行く。
大和の神々に与えられた役割から逃れる、第二の『裏切り』がこれだ」
「まぁ、裏切りを許した天照の度量、そのダシにされた感が強いんだよね」
「神が祟る事は摂理であるからと傍観する山犬に人の愛を説き、
神器の力で道を示した……、縁を集めたのは鳴女なんだけど随分な持ち上げ方」
「……気になるよねぇ」
「祟り神と化した杜人神は天照でさえ退けるとバランスは取られているけど、
最終的に集まった縁と絆によって杜人神が正気を取り戻せたのは
心を照らし導いた天照のおかげだという訳で杜人神は天照の下へ付く事になった」
「やっぱり、何かがあったのは確からしい。
杜人神を祀る森戸家は代々朝廷とは別の意味で不可侵だった。
最後の神話は朝廷との融和、あるいは従属を象徴する為に生まれた」
「これはあながち間違いじゃないだろうと私も考えているよ」
「杜人綿津見神自体はマイナーメジャーな神様なのに
驚くほど伊勢、ひいては皇室との関係が深いアンバランスさがあるんだよね。
そのせいか杜人神社、伊勢神宮の資料公開が非常に少なくてもどかしい」
「この部分に関しては私も色々と集めてるのだけれども、
偽典の存在と、その中では雉鳴女の裏切り自体ないって事くらいしか分からない」
「解読途中に返還させられた偽典をもう一回調査させてくれないかなぁ……」
「まぁ、文句を言っても始まらないか」
「っと、熱中してたら時間が不味い。
今日はプライベートで非常に大事な約束があるんだった」
「すまないが、コレについては後日また語ろうじゃないか。
その代わりと言っちゃあなんだけど、私も君の欲しがりそうな資料を用意しておこう」
「……あぁ、そういえば君、助教目指してみる気あるかい?
院に進むんだったら引っ掛からないレベルで応援する用意はあるよ。
というかぶっちゃけると君くらいなんだよね、なれるだけの情熱と知識があるの」
「ま、こんな時に聞く話じゃないね。
ではでは、戸締りは頼んだよ~っと」
たしか先週、今度女性と食事みたいな事を言ってたっけか。
教授はバタバタと荷物を纏め、風の様に去っていった。
……ま、それは良いとして俺の進路か。
教授とこうやってるのが楽しいんだけど。