あさぢえ……文字とシンボル
人間は単体では実に脆弱な部類に入る生物だが、
その真価は群体における社会性の確立や多様性を活かした種自体の成長にあると、私は思う。
私自身が成長してきたことで、問題をフォローできる範囲も増えていたが、
ここに至り私の知覚領域が伸び悩みを見せたことで一気に本質が見えてきた。
もはや私1人の強権によって押さえ込むには無理が来ているのだ。
こうなれば単体の私では集団には勝てない。
掬った掌から水が零れ落ちていくのと同様に、抗えない数が存在する。
ならば集団を産んだ人間自身の手で『人の意思』という名の化け物を御してもらわねばならない。
統率者に求められるには決断力やカリスマなどの希少な気質。
だが、同様に被統率者にも求められてしかるべき能力がある。
彼等はただ怯える羊であってはいけないのだ。
羊飼いの命令を受け取る事の出来る『知』を備えた羊でなければならない。
こうして人から離れた視点で眺めてみると、
なるほど、国とは肥大化した人間に似ている。
いくら頭が優秀であっても、手足が動かず腐り落ちれば死に至る。
かねてより思考をダイレクトで伝えることのできる私が直接走り回って意思の統一を行ってきたが、
国を経営してゆく人間だけの手で国内統制が可能となるのが望ましい。
私が今まで手が回らぬからと後回しにした事によって更に手が足りなくなったのだ。
この失敗を踏まえ、手を増やす事をこそ、優先せねばならない。
それは『知』の共有計画。
まず必要となるのは意思伝達手段を現状から一歩進めること。
すなわち『文字記号』の普及だ。
……などと意気込んでいた私の見通しの甘さを呪いたい。
現代日本の文字文化が如何に凄いのかを身をもって知る事になった。
問題点が山ほど出てきて、文字と呼べるものを出現させる下地すらないのだ。
まず、集落レベルで微妙に単語の読みが違っている場合がある。
私の村だけであったなら、農業指揮の際に矢印や絵記号を用いていたので
素直に話も聞くし、理解するだけならば比較的簡単に済んでくれたのだが・・・・・・。
『守る』の単語でモリ、モル、最遠地の集落ではコル、など
活用による変化と思えなくもないものからまったくの別物まである。
こうした違いが微妙に連絡の齟齬を生んでしまったりするのだ。
そこに文字を投入すると多様化した読み方を生み出し複雑化しかねない。
普及の壁となる上に今後の問題になってしまうのは間違いない。
解消するには一つの国として広く深く混ざっていくことで何とかなりそうだが
商業の概念がまだ薄い閉鎖的な村関係から交流は少なく、かなりの年月を必要とするだろう。
そして、記憶媒体が石版や地面しかないので教育が進まない。
使用機会が無いのも刷り込み学習が発生せず効率が悪い。
いざという時に忘れて読めないなどの問題も出るに違いない。
私もさすがに紙の作り方までは知らない。
繊維質な木を細かく砕いて煮る・・・・・・?
その程度の知識で紙が出来たら奇跡も良い所だろう。
現時点で文字は覚えても使い道が少ない、上手く使えない。
なんとも悲しい結果で終わった。
とはいえど、文字文化がいずれやってくるのに備え、
国を表す絵記号について各地域の長に石版を渡す。
王樹様の領域である山を表した三角形の中に、
山犬の牙を模した短い湾曲線を左右対称に一本ずつ書いたもの。
『モリトの国』のシンボルマークとでも言おうか。
共同体意識を持ってもらう為に作った国の印。
ここから各部族のシンボルなどを作ってもらい、
国から褒章を与える時は必ずそのシンボルと共に称えてやる。
そうして己が部族を表す絵記号に誇りを持ってもらうと共に、親しんでもらう。
文字文化の下地として『記号に意味を感じる』第一歩はここからだろう。
その日が来るまでは結局、私が走り回る日々が繰り返されるのだ。
私は風となって国を巡る。
苦楽を共にする、山犬の背に乗って。
※国を押さえきれない→国民で処理して→文字があれば楽になる?→
文字普及を頑張る→失敗し国印の様なもので明日への布石を置くに留まる
※実際、文字開発の前に問題になるのは記憶媒体の壁だと思います。
あっても使う機会が少ない、使い辛いのであれば普及しません。
文字がどういう効果をもたらすのか知っているのは主人公だけですから。