おしまい……幸せについて考えてみたら
日もすっかり落ちて夜が始まったというのに
遠くの喧騒は絶えず、今もまだ賑やかに宴が続いているようだ。
天照のおかげで澄んだ秋の星空はとても綺麗で、月も煌々と存在感を示している。
そんな良い夜に私は何をしてるかと言えば……
山犬の計らいにより、神社裏手の縁側で一人静かに夜空を眺めているだけだった。
終わっちゃったか、と何処か他人事のように振り返る。
疲労感と失った力、そして得た物。
本当に事件があったのだとそれらは証明してくれていたが、
途中から意識が混濁してたのもあって、まるで夢か幻だった。
そんなだから、頭もぼんやりとしている。
ついでに燃え尽き症候群的な心理状態でもある。
長年を掛けて進んでいた目標が無くなって、宙に浮いたままだ。
根は山犬が金輪際触るな、と厳重に封印してしまったし。
王樹様の力の大部分を喪失したおかげで私は自由に根へ干渉する事はできない。
できないならやらないので別に構わないのだけども。
そういえば天照は早々に伊勢に帰っていったが、
去り際に雉鳴女へ何やら耳打ちしていたのが気になる。
相応に要求されるものがあるんだろう。
……皆に迷惑を掛けてるよなぁ。
何と言うかこう、ぬけぬけと帰ってきて山犬と鳴女達に申し訳なかったりする。
「お茶をお持ちしました」
そんな溜め息を咎める様に雉鳴女が盆を片手に現われた。
湯気の見える湯呑み二つと漬物が乗っている。
「また変な事を考えていないでしょうね」
変な事、か……。
でもいつかは直面する問題でもある。
皆に消えて欲しくないというのは我侭かな?
「その代わり貴方が消えるとなれば、
今回みたいに皆で反対するに決まってます」
仮に山犬が同じ事をすれば止めるでしょうに、と不機嫌そうに左隣へ座る。
たしかにそうなんだけどもね、お茶を受け取りながら言葉を濁した。
一人から二人、並んでも静かなものだった。
しかしながらこのまま沈黙を保つのも何処か気まずい。
適当に話題を出そうとした時、先に雉鳴女が口を開いた。
「人が、信じられませんか」
凛と通る声に込められたものに、
自然、月から彼女へと振り向かされた。
その真剣な瞳は私の奥まで見通している気がする。
「貴方の中で、
私は未来を垣間見ました。
人が辿り着く知恵は私に理解しえない領域までゆく。
確かにそこには神の姿が必要なくなるのかもしれません。
けれども、人は繋がって生きています。
人の力は縁を繋いでいく力。
こうして手と手を繋いで生きているんです」
彼女の右手から私の左手に感触が伝わってきた。
始めはひんやりとしていたが、重なりからは確かに温もりを感じられる。
言いたい事は大体分かっていた。
今日の光景はたしかにそれを感じさせてくれるものだったのだから。
時代も、距離も越えて集まった想い。
本当に私なんかには勿体無いほどありがたいものだ。
「離れる事もある、途絶える事もある。
でも、子供達は千年を越えて繋がってきた、それを忘れないで」
自分が築いてきた縁を信じよ。
継がれてゆく心はきっと消えはしないのだから、と。
とても耳に痛かった。
「どうか、自分から手を離さないでください」
キュッと二人とも指先に力が篭る。
たぶん、これは私に深く根付いた問題なのだ。
誰かに居てもらわないと怖いくせに、誰かを信頼しきれない。
評価が悪ければ信じるけれども、良ければ逆に疑う。
怖がりが過ぎて、自信が持てない。
だから特別でありたかった。
王樹様の代わりに成りたかった。
そして、成ったつもりでいた。
結局、思い上がりや傲慢といった弱さの所為で
大切な事も何もかもが見えなくなってしまっていたのだ。
色んな人たちに謝って、
もう一度始めから『自分』を始めようと思う。
正直なところ、怖いのに変わりはない。
変化は怖い。
本当に変われるのかも分からない。
怖いのだけれども今のままでは駄目なのだ。
少しずつで良いから『自分』の力にも慣れないといけない。
忘れてしまっていた気持ちや克服しなければならない事も多い。
怖さと向き合って、信じる事を覚えよう。
……その時、伸ばした手は掴んでもらえますか?
「私は離す気なんてありませんよ」
思わず見惚れた。
私の少ない語彙では言い表せない程に、優しい微笑み。
どんな事があっても大丈夫だと安心させてくれる笑顔。
私の好きな人。
そして、唐突に思い出してしまった。
私の子人格が勝手に告白していた事を。
身体が急に火照ってくる。
子人格のアホ、私の一部なのに何てことをやらかしてんだ。
あぁもう、分かってる、私への嫌がらせってのは。
でもよりにもよって本人に言う事は無いだろうよ。
視線を外そうにも、私の全神経は今更ながら左手に集中しだして
すべすべとした肌と触れ合う柔らかさが思考の殆どを奪い去っていた。
落ち着け、冷静になれ。
付き合いも長いのだ。
雉鳴女をそういう対象として見ないようにしてきた。
男の下卑た感情で汚してはいけないと。
それは仕事熱心で真面目な彼女を侮辱しているんじゃないかと。
私のこの想いはソッと秘されるべきものだ。
そう、こんな時に新しい関係を求めるべきではない。
事後処理に忙しくなるに決まってる、そこに問題を追加するな。
ギクシャクするだろう、だから今のままでいるべきなんだ。
望むんじゃない。
いつもと同じ取ってつけた様な理論武装で心に蓋をする。
血の気が引くに似て昂ぶりは鎮まり、切なさだけが残った。
こんな風に考えてしまうのは、
からっぽになった部分を雉鳴女で埋めようとしてるからだ。
それこそ酷い侮辱でしかない筈だと思い込め。
思い込んで諦めてしまえ。
……なのに、私の手は彼女の手を強く握り返している。
「あっ」
彼女の小さく漏れた驚きと、上気する頬の朱み。
その表情に、私は完全にやられてしまった。
少しだけ、怖い。
関係が壊れてしまうと分かっていても感情が収まらないでいた。
落ち着いた頭の底でどうしようもなく、雉鳴女を求めているのだから。
今度は自分を正当化する自己弁護が湧き上がる。
心の底まで晒した今、彼女に何を隠すと言うのだ。
彼女とのこれからを考えるならば全て吐き出してしまった方が良い。
『居場所』になると言ってくれた彼女へ後ろめたい隠し事をするべきじゃない。
始めから『自分』をやりなおすなら、想いを告げておけ。
そんな囁きが、私を動かしていく。
「……雉鳴女」
「は、はいっ」
「その、だね……」
しかし、まるで口が回らず俯いてしまう。
必死で言葉を選ぼうにも愛しい想いで溢れ、頭の中は真っ白なのだ。
どうすれば伝えられるのだろうか。
生前、碌に恋愛なんてした事はない。
始めの村で娶った妻達も、ある種の義務であったのだから。
齢千年を越えていても私は思春期の少年と何ら変わらなかった。
知識を総動員したって恋歌は虫食いだらけになり一つも浮かばない。
真っ直ぐに『好きです』と、たったの四文字を言えば良いはずなのに。
そんな私の口から出たのは……。
「月が、綺麗ですね」
……最悪だ。
我ながら最悪な告白だ。
いや、告白の体すら成してない。
俯いたまま、何も浮かばない焦りと沈黙の長さに押された自分を悔やんだ。
彼女の優しさを穏やかな月の光に掛けて言おうとしたが、
そもそも混乱の最中にある頭で上手い事を言えるはずがないのに。
掌から力が抜け、雉鳴女の細い指から離れる。
彼女の顔を見る気力すらすっかり失せて、
私にできる事はもう、遠い目で月を眺めるしかなかった。
想いをちゃんと伝えられなかった虚脱感に涙が零れそうだ。
しかし……。
「私もずっと見ていたいと思います」
彼女は私の腕を抱いて、肩へ首を預けていた。
突然の事態に理解が追いつかない。
けれども確かなのは、緩く寄り掛かる温かさ。
ただ、この温もりが胸に沁みわたる。
氷が溶けるみたいに不安も怖さも無くなっていく。
これがおそらく、私の、私だけの幸せなのだ。
「これからずっと……」
春も、夏も、秋も、冬も。
苦しい時も哀しい時も。
何があってもこうして寄り添っていけたら。
幸せに違いない。
もっと雉鳴女を感じたくて、私も彼女へ緩く寄り掛かってみる。
明日は良い日になるだろう。
明後日も、その次の日も。
これから先がどんなに大変でも大丈夫だと思えた。
杜人綿津見神の日常はずっと続いていく。
ゆるゆると繋がっていくのである。
~ 杜人記 完 ~
「斯くして人の世は戦を終え、時代は移ろう。
神もまた同じく在り方を移ろわせてゆく、か」
「めでたしめでたし、ですかね山犬」
「お主も素直になって良いのだぞ、鶫よ」
「……何を仰いますか。
私は娘でも十分に幸せですよ」
「ふむ、そういう事にしておこう」
杜人綿津見神の日常はずっと続いていく。
ゆるゆると繋がっていくのである。
~ 杜人記 今度こそ完 ~
本編完結後書き:活動報告にて
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/69709/blogkey/149257/
本編完結しましたが、以降は閑話や番外などのおまけ的な物になります。