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杜人騒乱……三日目『鳥児在天空飛翔』




真経津鏡を胸に抱きながら、

天照は大樹杜人神を正面に厳しい眼差しを向けていた。


雉鳴女が鏡の中へ吸い込まれる様に消えてから、刻限がもう五つは過ぎている。


鏡の力か雉鳴女の頑張りか、大樹の祟り化は完全に停止した。

神器は救いの方法を示すでなく直接的に救う道を創った。


しかし、帰って来ない。


嵐の前を思わせる静けさに不安が燻る。



「山犬、本当に大丈夫なのでしょうね」



視界の端に映る山犬は、

地表に張り出した根の上で伏せたまま瞳を閉じている。


杜人神の内を知れるのは山犬しかいない。



「そう急くな、天照。

 落ち着きが足らんぞ。


 どのような姿に堕ちたとて、

 あやつには雉鳴女を傷つける事なぞ出来んよ。


 随分と長引いているようだが、

 善きにせよ悪きにせよ何かしらの決着は付く。


 それよりも、だ」



顎をクイッとしゃくり上げ、背中に居座る者を示す。

山犬の背では八咫烏が翼を広げて凄まじい熱波を上空に放出していた。



「よりにもよって仇敵に我が背を許す事になろうとはな……」



「ふん、吠えよるな山犬め。

 主の命なくば一息に焼き払うてやるものを」



「それは私の台詞だ馬鹿者。

 精々凡百の大神と侮るが良い。

 これが終わらば雪辱果たしてくれようぞ」



この二人、仲が悪い。


お互いに自分の役割はしっかりこなしているものの、

こうして事ある毎に悪態を吐き合う。


過去の因縁を考えるとしょうがないものだったが、

天照にはそれだけでは無い事も分かっていた。


表面上は冷静を装っている山犬の、

いつもより饒舌で、無駄に攻撃的な、普段と違う山犬らしくなさ。



それは、この場の誰より事態を重く受け止め、心配しているからこその苛立ち。



杜人神と山犬と雉鳴女、三者に築かれた絆の大きさが故に、

内心、気が気で無いのだろうというのに天照は気が付いていた。


八咫烏もそれを知った上であえて挑発的に振舞っている。

気が紛れるように、と。


……まぁ、あの子は気位高いから半分程度は素の様な気もしますが。


そんな呟きを外に出さず心に留め置きながら、

天照は予知にも似た直感が働くのを感じていた。




頻発する小さな地震が生命の胎動を思わせる。


外を囲っている妖怪達も疲労し始め、水の法術陣も何度張り替えたか。


山犬も問題無いとは言い張っているが繭を破った時は既に満身創痍。

根から無理矢理に強奪した力での回復はどんな副作用があるか知れない。


天照本人も肉体的な怪我などは無いが一晩気を張り続ければ疲れもする。

日の出がくれば大抵の事を何とかできる自信はあるが、あと半刻は必要だろう。


膠着した、けれども隙間のある状態。




……動きそうな気がする。

根拠らしい根拠は無い、がピリピリと肌に来る感覚。







……そして、ついに始まった。







背中から八咫烏を振り落とし、山犬がゆっくりと立ち上がる。




「まったくあの男は頭が固くていかんな、雉鳴女」


虚空への呟き。

杜人神を覚醒させるには至らなかったのだろう。


天照でも気付けぬ何かの予兆を掴んだのか。

息を吐きつつの武者震い。




「来るぞ天照、鏡を放すなよッ!」




刹那、爆発的に膨張した杜人神の神力が物理的圧力として全てを吹き飛ばす。




妖気塊が生み出した黒雲どころか普通の雲も払い散らされ、

日の出を待つ群青の空だけが高く澄んでいる。




山犬は咄嗟に天照を背に半ばぶつける形で載せ、離脱。

八咫烏がそれを翼で包み全天防御を行ない、天照は鏡から帰還した雉鳴女を抱き締め守った。



「くぅっ、山犬、もう少し優しく運んでください。

 突然にこれは少々堪えましたよ。


 ……と、ようやく帰ってきましたか雉鳴女。

 しかしどうにも状況は良くなさそうですね」



翼の囲いが外され外を窺うと、手荒な手段の正当性が良く分かる。


大樹から放射円状に揺さぶられた森は

少なくとも数里程度の面積に嵐が吹き抜けた痕が刻まれているだろう。


妖怪達も目を回している者が多く、

成長を留めていた法術陣は霧と消え去り、

大樹に残された緑光が濃紫へ塗り潰されて消えてゆく。




最早、何も縛る物は無い。

地響きと共に塞き止められていた成長力が大樹の姿を変え始めた。




広げられた枝の全てが不自然に捻じ曲がり、巨大な傘が閉じてゆく。

螺旋を描きながら中心である幹に絡み付いて一体化。


内側から発生した蔦や蔓の触手がまるで血管と走り、

更には枝の隙間から零れた葉が鱗の覆うに似て樹木の身体を隠している。

脇からは太い枝が触手を束ねて腕を形成し、分化しては指を象る。


声無き絶叫が放たれ山を震わすと幹の先端が引き裂かれ、

鋭利な牙がずらりと並ぶ禍々しい顎門と成り獲物を待って歯軋りを響かす。


辺り一帯に擦り切れた草いきれのむせ返る香り。



それでも尚成長は止まらず、

見上げてようやく長大な全容が露わになる。




「これはまた……」




天照は驚愕に言葉を失った。




「あれはミシャグジの写し身」




俯いたまま、天照の腕の中で雉鳴女が言葉を繋ぐ。




「歴史の始まりよりも古き者。


 無関心にて全てを育む者であり、

 気まぐれに身動ぎしては滅ぼす者。


 在り続けた巨大過ぎる陰。

 その背に生を受けようと誰も気に留める事はありません。


 皆が知るミシャグジは貶められた断片。


 虚飾に正体を隠され、

 格の劣る蛇の似姿を押し付けられ……、

 そうまでしてようやく我々神霊の理解できる範疇に入る」




……杜人神。

その威容、まさに龍が如く。


大地に繋がれているとは云えど、

万物遍くを平伏させる絶対的な王の姿。


轟く咆哮に天地が揺らいだ。




「天照大御神、私は『諦めろ』と言われました。

 杜人綿津見神に戻る気は無いから、と。


 役目に固執したあまり、

 誰かを傷付けるだけの存在となった今、

 ここで討ち果たされる事だけが望みであり救いなのだ、と


 だから、『諦めろ』と言われました」




雉鳴女が暗く杜人神の想いを吐露する。



最も望まない結末を託す言葉が、

最もそれを阻止したいと考えている者から紡がれてしまうのではないか。



天照はこれ以上口を開かせたくはなかったが、止める権利は無い。


赤みを増してきた東の空……。

これほどの相手となれば苦戦するだろうが、太陽が昇れば倒す事は可能だろう。

少なくとも天照本人にからみれば、万が一勝てなくとも負けは無いと踏んでいた。


杜人神を祓え、そう雉鳴女が決断したなら躊躇いなく祓おう。


本人自力での祟り神からの復帰が絶たれたのならば仕方ない。

既に三日目、いつまでも近隣の民草を脅えさせてはいけないのだから。


漂う諦観に天照は戦支度をすべく八咫烏へ乗り込んだ。

どの様にすれば、この荒ぶる龍を討てるのかを考えつつ。




「ですが、諦めたくはないのです」




……!


振り返るとそこには意思を決めた瞳があった。


暁の光が、美しく朝を染め上げる。

山犬に跨り、敢然と顔を上げながら雉鳴女は宣誓した。




「お願いします。

 どうか時間をください!


 あの人の中へ残してきた『私』が、

 きっと諦めずにあの人を守ってくれている。


 まだ声が届くはずなんです!


 力があったから慕ったわけじゃない。

 あの人だから、皆が集まったんだって事を。


 それを伝えたい、届けたい!


 ただ傍に居てくれるだけで良い。

 だって私の『特別』はあの人しかいないのだから!!」




御伽噺の英雄のように、

苦難を前に胸を張る勇ましさ。



「天照よ、うちの姫はやる気のようでな。

 残念だが最後まで我等に付き合ってもらおうか」



くつくつと山犬が笑う。

天照の頬も自然と緩んだ。



「では、救出作戦は続行中。

 私の役割は無限の時間稼ぎ……と言いたい所ですが、

 日没を迎えてしまえば簡単には抑えきれなくなりましょう」



この勢いに水を差してしまうが、絶対に引いておかねばならない線がある。



「大和の神として、私が譲歩できるのはここまで。

 日暮れ時には覚悟していただかなくてはなりません。


 ですから……必ず成し遂げなさい」



金色の神鳥に乗って天照は飛翔する。

己が役割を果たすために。




上空では陰と陽の極みが共に派手なぶつかり合いを起こしているが、

かと言って地上がまったくの安全になったというわけではない。


雉鳴女は振り落とされぬよう山犬の身体にしがみついた。


注意を引き付けてくれているおかげでかなり緩くなっていたが、

無数に襲い来る植物の鞭と、圧倒的質量を持った龍の爪は無差別に攻撃してくる。


山犬は身を挺してこれらの攻撃から地上に臥せっている妖怪達を守っていた。




「いつまで寝ておるか妖怪共。

 気合を入れ直せ、ここが正念場ぞ。


 呼べ、祈れ、歌えッ!


 『意思』を示せば何でも構わぬ。

 居場所を忘れた我等の王に叫んでやれッ!」




一つたりとも声を失わせる訳にはいかなかった。


杜人に集う声を束ね合わせなければ、

ミシャグジという巨大な『意思』の前に掻き消されてしまう。


届かせるには、世界を書き換える程の『意思』を持って訴えねばならない。




此処がお前の在るべき場所、帰るべき場所なのだと。




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