杜人騒乱……三日目『誇大妄想狂』
「ところで、雉鳴女。
君が持つ杜人綿津見神、いや『私』のイメージ……、
おっと、印象か、そう印象はどんなものだい?
僕の勝手な想像だけれども、
『優しい』『献身的』『無私無欲』あたりかな。
どうだい、大体は合っていると思うんだ。
でもね、そういう風に見せかけているだけ。
優しくもないし、利己的で傲慢で強欲なんだよ『私』は。
君は知らないのだろうけど、
臆病が過ぎて君を殺そうと思った事もある。
そう、大禍刻の前、諏訪へ向かう君を恐れたんだよ。
結局は決断を下さないまま、時間に逃げたわけだけどね。
……おや、顔色が良くないけれど大丈夫?
安心して良いよ、これっぽっちも恨んでなんかいないんだから。
僕がそう思っているという事は私もそうに決まってる。
その時の事は最近発生した僕にとって記録としか記憶されてないけど、
むしろ、心の奥では喜んでいたんじゃあないかな。
大禍刻の影響で神道派は失脚し仏教が一気に浸透した。
私が知るベターな、悪くない歴史に近づいた事をね。
だから恨んでるはずが無い。
意外そうにしないでよ。
君だけじゃないけど、私を過大評価しすぎなんだ。
立派でも何でもない卑怯な男だ、と僕は思うよ。
……そうだなぁ。
雉鳴女、今までの不義理を私に代わって僕が謝ろう。
実を言うとね、これまでに話した事もこれから話す事も、
多分、私が永遠に秘密のままにしておこうとしたものだ。
でも最後だから全部を話そうと思う。
僕が私へ戻る事も無いだろうしね。
まぁ、その表情だと今の段階で君も気付いたみたいだけど。
惜しいね、でも『未来視』はかなり良い線を行ってるよ。
察しの通り、この日本の風景は今から四、五百年先の日本。
信じ難いだろうけれども、
人間の技術は此処に到達する。
そして、私はこの時代に生まれたんだ。
色々と繋がってきた、といった顔をしてるね。
知っていなければ不可能な事柄に、ようやく説明が付いたかい?
そうだとも、鉄製農具なんて馬鹿な発想はここが元。
鉄なんて何処にでもあるような資材だと思ってたんだから。
君が監督役として初めて杜人の地を訪れた時も医術や食文化に驚いていたね。
大和が攻めて来る前の段階でもこちらの農林業が進んでいたのもそれさ。
肥料、衛生観念や細菌といった知識も遥か未来で発見されたものだから仕方ない。
政変の鍵となる人物への当たりが早かったのも、
私の知る歴史書に描かれている英傑だったりしたからだ。
元寇に至っては大盤振る舞いしたもんだよ。
君を始め鳴女の皆にはさぞ不気味に映ってたろうさ。
あの時は私も焦りや不安があったんだろうけど怪し過ぎるにも程があるなぁ。
後はまぁ、地図が最たる物か。
未来では全ての陸地が測量されていてね、
世界地図なんかも子供の駄賃で購入できるほどになっていたりする。
こんな感じで私は他の誰より先んずる狡い物を使っていた。
何故、私が時代を遡ったのか僕には分からないけれども、
私は未来知識によって地位を築き、ついには崇められた詐欺師だ。
それを後ろめたくも思ってる。
元々は、そんな事を考えてる余裕も無かったみたいだけどね。
未来の日本は豊かな国でさ、心の余裕はあまり無いけれど、
真面目に生きていく分には食うに困る事も、病で苦しむ事も少ないんだ。
それが急に何も無い世界、過去に放り出されて途方に暮れた。
僕が体験した事じゃないけれど私には随分と辛かったようだよ。
言葉も通じない、食べ物も無い。
誰を恨めば良いのか分からない。
ただの一般人だった私は気が狂いそうになる孤独感に耐えながら奮闘。
始まりの村へ受け入れられて、ようやく安心を得た。
知識があったとはいえ何も無い状況、
我が事ながら良くあそこまで動けたと思うね。
未来知識は恩返しであると同時に数少ない価値だったんだ。
助ける事で自分は認められていた。
最早、生きるには誰かを助けていなければならなかった。
だから躊躇わずに全てを捧げた。
失敗しては怯え、成功しては安堵する。
捨てられないように、とね。
死して神霊となっても根底にはそれがあった。
不味いと思い始めたのは東征が終わった頃。
守れなかった物と、守る物が増えすぎたのを悩んだ。
助ける事について僕が恥ずかしくなるくらい私は悩んでいたようだけど、
自分が消えてしまう事を恐れて最終的には何も答えを出しちゃいない。
僕が思うに、都合良く守れる弱い者を欲して、森戸が生まれた。
そんな記録は無い様だけど、無意識下できっとそういう事を考えてたはずさ。
守る者、頼られる者として自分を上位に置きつつ、狭い場所を創った保身主義。
森戸家の在り方も考えてみれば酷く醜く浅ましいもんだよ。
自分の知る未来へ到達して欲しい、それでいて自分を持ち上げる箱庭が欲しい。
歴史を記録するだの、表に出たくないだの、我侭と自分勝手の塊。
……なんだい、気に入らないって目をしてるね。
でも、主観と客観を持てた『僕』から『私』を見るとこんなものだよ。
君の中の杜人綿津見神の像を壊しちゃうようで気が引けるけど。
さてと、話がずれていった気がするけど、前置きはこれで良いかな。
ねぇ、雉鳴女、君は今回私がやろうとしてる事をどれだけ把握してる?
ミシャグジの力を使って、何をどうしたいのか、予想ついてるかい。
……どうやらそこに関しては辿り着けなかったか。
まぁ、神霊がうようよ存在してる訳だし、無理もないと言えばそうだよなぁ。
未来において神霊が存在できなくなる……。
それどころか、神霊だけじゃなく様々な神秘、陰陽術や法術も力を失っていく。
かなり端折ったけれども以上が主な動機さ。
人間は凄いよ。
このビル、天まで延びる塔を建てるだけじゃない。
やがては月を越え星々の世界へと飛び立っていく。
人間の英知、『科学』が『神秘』を駆逐して、ね。
信仰が失われていく。
この先、五百年は持つだろう、
しかし、更に五百年も持つだろうか、ってね。
君には実感が無いと思うけど、高い確率でそうなる。
未知を既知にしていく好奇心が不可思議を殺していくんだ。
あ、もう分かった?
となると、ミシャグジの正体も分かってるか。
生きる者がある限り決して消えない者だから基盤には丁度良かったんだよ。
君たち鳴女を生かしつつ、未来に力を残すにはね。
甘く見過ぎていたおかげでこの有様なのは知っての通りなんだけどさ。
思い上がりもあったんだと思う。
自分は『特別』なんだっていうね。
起きたくないってのはそこに掛かるんだ。
自分じゃないと出来ない事が減っていって、
自分にしか出来ない事に飛びついたら失敗した。
誰かを救い続けようとして、
誰かを傷つけるだけの存在になってしまった。
それは在るべき自分との矛盾。
アイデンティティ、自己同一性なんて言葉がある。
自分が自分である理由、存在価値。
杜人綿津見神は誰かを助けなければいけないんだよ。
そう、望まれていると思い込んでいる。
必要とされなければ自分を保てない。
だから、こうして眠ったまま滅ぼされたいと言っている。
別に特大の失敗をやらかしたから不貞寝してるんじゃないんだ。
もしも復活できたしても『力の大部分を失う』、これだよ。
『根』の侵蝕に喰われた僕たちも多い。
どうやったって『特別』に戻れはしない。
特別でなければ必要とされない。
だから、このまま消え去りたい。
主人格のそういう歪なところ、僕は哀れだと思うよ。
まぁ、こんな感じの理由で起きたくないわけだ。
救うと言うならば、滅ぼしてくれる事が何よりの救いになる。
……そして、時間だよ雉鳴女。
どうやら僕も『私』と同じく卑怯なようだ。
そろそろ夜が明け、私は限界を迎える。
長々と付き合わせて悪かったね。
こうでもしないと君は諦めてくれなさそうだし。
僕もまた眠る。
後に残るのは祟り神……だけだ。
遠慮も……何もしなくたって良い。
太陽が昇り始める今、天照なら大丈夫。
ミシャグジが……目を覚ますから…、
うっかり怪我を…しないように……離れて見守って。
あぁ、どうせ……最後…言って……うかな。
…っと昔か…『私』…雉鳴…の事………………」