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杜人騒乱……二日目『天照坐皇大御神』


杜人の地より東、伊勢。


背後から沸き始めた黒雲に押され

日出ずる場所へ雉鳴女が降り立ったのは昼前。


限界に挑むような飛行に乱れた息を整え到着すると

内宮、皇大神宮前の鳥居には神官達がズラリと道を作っていた。




「貴女が来るのを、お待ちしていました」




涼やかな声音。


彼女はこちらが頼ってくる事を分かっていた。

正式な名称こそ知らぬが鳴女に代わる組織を創設したのを雉鳴女は知っている。


だからこそ万端の用意をして待っていたのだろう。




中央を神装礼具を纏った天照大御神が進み出る。




雉鳴女はその姿に思わず息を飲んだ。


華がありながら鼻に付かず、豪奢であるも不自然でない。

そう思わせるのは本人の美しさに、煌びやかな衣ですら引き立て役となっているからだ


凛々しくも可憐、艶やかながら無垢。

その浮き立ちそうな雰囲気を黒髪が流麗に落ち着けている。


幻想にある女性像とでも形容すれば良いだろうか。


同じ女性でありながら雉鳴女は目を奪われた。

いや、女性だからこそか。


神子としての戦装束。


脇で付き人となっている豊受媛神も礼装に身を包み、

負けず劣らずの美貌を振り撒いていたが、太陽の眩しさには勝てないようだった。




「まずは貴女が何を求めて来たのか。

 ……述べなさい、全てはそこからです」




敢然と見据えられた瞳の力強さ。


思わず怯みそうになるのを堪えて、雉鳴女は口を開く。




「杜人綿津見神が祟り神へ堕ちようとしております。

 これを天照大御神の御神徳によって御救い頂きたい」




そして、ただ杜人の地に天照が行けば良いというのではない。


更に必要な物があった。

それは、おいそれと持ち出せぬ解放の神器。




「伊勢に納められし神宝、真経津鏡(まふつのかがみ)を以ってすれば

 彼の神に棲みし闇を映し出し、真実へ辿り着けるはず。

 是非とも、是非とも御同行願い給わりますよう伏し奉ります!」




地べたに頭を摺り、雉鳴女は請い願った。


杜人神を祓うだけならば神器など必要ない。

灼熱の太陽で焼き清めるだけで良い。


それでは、それだけでは駄目なのだ。


真経津鏡は(まこと)を映し出す鏡。

かつて世を厭んだ天照大御神を岩戸の外へ導いたと言われる神鏡。

大神と祟神の境界を彷徨う杜人神を救う手立てを見つけられる、希望。


どれほど無理を言っているのかは分かっている。

伊勢の守りの一角は真経津鏡を基点としているのだと聞いていたからだ。


神域を神域たらしめる神器を借り受けられるのか。


しかし、天照の返答は可否以外のものだった。




「時間が限られた中、無為に問答するつもりはありません。

 ……が、筋を通さなければ頷くつもりもありません。


 かつて貴女は、義か利が無くば人は動かぬ、と私に説きました。


 動かしてみなさい。

 それが貴女の教えに対する礼儀であり、筋です。

 貴女は何も持たずして、この場に現われてはいけない」




拒絶する様な力の渦が、地に張り付いた雉鳴女の身体を強制的に浮き上げる。


天照の眼差しが雉鳴女に鋭く突き刺さった。


雉鳴女は少し昔を思い出す。

杜人の地で彼女の講師を務めた事を。




「さあ、示しなさい!」




これは、あの時の義理だ。

教えを以って返してくれている。


無理矢理に立たせ、対等な交渉としてくれた天照の優しさに感謝しながら、

雉鳴女は対価に差し出すものを全て言い連ねた。




「私は貴女に永劫服従する蝙蝠となりましょう。

 どんな命令にも応え、生殺与奪も貴女が握っていい。


 高等算術、測量術、外科医術。

 薬草学、自然科学、異語教育。


 杜人神が芽吹かせた『知』の結晶。

 私が持ち得る知識と技術の全ては貴女の物になる」




これが自分の出せる全て。


森戸や杜辺を発展させ続けたこれらの知恵や理。


何もかもが終結した後に裏切り者だと処罰、いや消されても良い。

娘達から憎悪や嫌悪を浴びせられても、当然と受け入れられる。


今この時を動かせれば未来の自分がどんな末路を辿ろうと後悔などしない。




「その程度ですか?」




それでも天照は更に踏み込んでくる。




「……」




自分にはもう、出せるものがない。

これを通さなければいけないのだ。




視線で切り結ぶ無言の戦い。


しかし、突然張り詰めた緊張が解けた。




「……ふ、ふふふっ、良いでしょう、雉鳴女」




袖で綻んだ口元を隠して、天照が上品に笑う。

柔らかな陽光に似た温かさが場を満たしてゆく。




「杜人綿津見神には借りがありますからね。

 助けないと言うのはあまりにも不義理と云うもの」




義に従って動くまでですよ、と。


それを聞き、解けた緊張に力の抜けた雉鳴女はぺたりと尻餅を付く。

冷や汗だけで全身がびっしょりと濡れていた。




「あと、報酬の貴女は必要ありません。

 貴女にはあの神の傍こそ相応しい。


 まったく、自己軽視は貴女の持つ数少ない悪癖ですね

 女が易々と何でもするなどと言ってはいけません。


 これもまた雉鳴女、貴女の教えですよ」




口を尖らせて諭す様に叱る天照。

まるで教師と教え子、遠いあの日の関係が反転した形になっていた。


物が無いなら無いで見つけてくるのが貴女でしょう、とか何とか。

先生の風を吹かせて雉鳴女に軽い説教。

自身の成長を雉鳴女に見てもらいたかったのかもしれない。




「ふむ、そうですね、こちらの組織はまだ若く足りない物も多いので、

 鳴女からの技術指導やある程度の知識供与だけで許してあげましょう」




そして最後に、覚悟を試すような真似をしてすみません、と気遣いながら

天照は優しく雉鳴女の手を取った。


その様を後ろから眺めていた豊受媛神がにやにやしながら会話に入ってくる。




「許すもなにも、始めっから行く気満々なのに何言ってんだか。

 昨日からこの子ったら神社の中でそわそわしてるし、

 鳴女はまだかー、鳴女はまだかーってね、宥めるの大変だったんだから」



「と、豊受媛っ、嘘を申さないでくださいッ!

 私はそんな幼な子みたいに振舞ったりはしてません」



「こんなに準備をしておいて、今更ってもんよ。

 アタシなんかこの子の礼装で影武者やらされて留守番さね。

 大きさが合わなくて崩れないように着付けんの大変だったんだから」



「……って、何処を見ているのですか!」



「ん~、分けてやれないかと思ってさ。

 雉鳴女はこの格差をどう考える?」



「いや、私に振られても困ります」




流石、大和一の豊穣神である。


そんな喜劇の様なやり取りは

神官が真経津鏡を持ってくるまで続いた。










「さてさて、雉鳴女に天照も肩の力は抜けたかい?

 大事に向かう前に、しかめっ面じゃあいけないからね」



笑う門には福来たる、苦難こそ笑え、と豊受媛神は激励した。

先ほどまでのふざけた空気はなく、戦場へ発つ者への敬意があった。


天照が右腕を掲げると何処からともなく金色の烏が現われる。


一鳴きすると烏は巨大な体躯となり、翼を広げると山犬よりも大きい。

この背に乗って雉鳴女と天照は杜人の地へ向かうのだ。


西の空は山から湧き出した黒雲に荒れていた。




「烏よ、太陽の渡るが如く、あの黒雲を晴らすべく、西へ」




号令を受け地を蹴った烏は見る見る内に高度を上げてゆく。

見送る豊受媛神の姿も小さく、遠く。


さあ、助けるのだ。


太陽を連れて、雉鳴女は帰還する。









「雉鳴女、選択に怯えるなよ。

 これが『正しい』と自信を持って進めば、

 案外、世界ってのは味方してくれるもんなんだ。


 最後の最後に頼りになるのは、やっぱり意思さ。

 良い女の千年募った慕情がありゃあ、何でも上手くいくに決まってる」




頑張れ、豊受媛神は見えなくなった二人の背中に呟いた。




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