杜人騒乱……古従者真鶸『仁者の嘘』
「先生も、随分と無茶をしたものです」
真鶸は、厄と祟りに塗れた手紙の中身を丁寧に模写し終えると火にくべた。
黒煙を上げ燻るも、やがてパチパチと弾ける火の粉が灰を天まで導いてゆく。
煙が目に染みたのか、
空を見送る真鶸の頬を一筋の雫が伝っていった。
「『もっと笑えるようになりなさい』……でしたか」
笑えば可愛いのだから勿体無いわ、と真鶸の記憶で黄鶲が微笑む。
「どうにも私には難しいようで……。
ですが、笑えぬ事で成せる事もあるようですよ」
真鶸にはいつまでも休憩できる暇など無い。
部屋に戻った真鶸は伊勢杜辺家所有の空き倉庫の長期使用許可、
侵入制限を掛ける為の書類を仕上げ、既に提出されていたかのように偽装。
あらかじめ隔離された場所が確保されていた事にした。
黄鶲に指示されていた通りに。
表向き(鳴女にとって)はそこに隠れているように見せ掛ける。
面会その他を遮断するのは自己治療に専念する為、と。
実際に黄鶲が逃げ込んでいるのかは真鶸にも現段階では分からない。
尾張の隠れ家に手紙が投げ込まれていた事から、
そこまでは彼女が存在していた足跡が残されている。
だが、祈っていても現実は過酷だというのも真鶸は知っていた。
果たして生きているのか、消えてしまったのか。
念のため信用の利く部下を伊勢と尾張に走らせてはいるが……。
死者も生者も、認識されるまで何処にも存在しないものだ。
報告書が何故、雉鳴女ではなく自分宛てだったのか。
真鶸は何を求められているのかを把握していた。
『仁は人の心』
心をくれた方に、仁を尽くす。
それこそ己が忠とするところ。
真鶸は自身の無愛想を、鉄面皮をこの時ほど喜んだ事は無い。
喜びも哀しみも怒りも嘆きも、誰にも気付かれはしないのだから。
「しかし、笑えるようになれと言いながら、
こんな指示を残すのは意地が悪いと云うもの。
分かっていて書き残しているとは、先生も中々酷いですよ」
最後に、再び黄鶲の筆跡を完璧に真似て、手紙から報告書の偽造をする。
『私の事を気にしている場合ですか。
貴方は貴方の戦いに全てを尽くすべきです』
報告書の最後に、手紙原本には無かった言葉を書き加えて封をする。
雉が目的とする物へ到達するまで、余計な気苦労を背負わせはしない。
主君が存分に力を振るえる様に場を整えるのが役目。
鳴女において凡百な、秀才止まりの身に出来る可能な限りの奉公。
すぐにバレる嘘ではあるが、それもまた方便。
仏も上手い事を言ったものだと、真鶸は妙な感心を覚えた。
師は、黄鶲は、確信しているのだ。
全てを賭けて運んだこの情報こそが雉を答えに導くと。
だからこそ僅かな時しか生まなくとも欺く様に手配した。
僅かの平静が至らせると信じて。
「黄鶲鳴女より報告書を預かっております……。
今朝方、文が届きまして本人は現在伊勢にて療養中との事。
『負傷は勝手に動いた罰だと思って大人しく養生しますわ』
……だそうです」
そんな真鶸の言葉と共に雉鳴女は彼女の戦果を手に入れる事になる。
そして、それは雉鳴女を大きく前進させるに足る内容だった。
『御左口様は、実体の無い『何らかの力』で象られた幻想の可能性が高い。
推測の域は出ないものの、洩矢神が古代に神霊統治を円滑化する為に創ったと思われる。
だが、御左口様と洩矢神は同一でも同質でも無いと断言する。
間近で目にして、外から信仰結晶の様な『異なる力』を引き出している様に感じた。
力の大小で計るならば御左口様は洩矢神を容易く上回っており、実に不自然な関係。
現地の人身御供など生命を伴う神事は大きすぎる力を制御する為ではなかろうか。
そして、逃走中に新たに発見したものだが御左口様の神威は
まるで大地から沸くかの様に、仮の呼称だが『穴』を通して現出するようだ。
特定区域で追撃の激しさに波があり、洩矢神の力と混合して分かり辛くはあったが
御左口様の力を運用するには条件が必要らしい(地形や空間に依るのか詳細不明)。
更に『穴』に関しては『根』の入り口に酷似した感覚を受けた事を記す。
『穴』自体が御左口様、洩矢神のどちらに由来するのかは不明。
周辺のシャグジ社、シャグジ宮はこれを兼ね備えているようである。
今回の潜入は上社本宮の『穴』に発生した何らかの事故に合わせたものだが、
洩矢神は厄と祟りに大きな損壊を負ったにも関わらず回復でなく追撃を優先した。
あれほど執拗な攻撃を加えてきたのを見ると御左口様にはまだ秘密があるのだ。
ミシャグジ型と呼ばれる神霊との繋がりを考えるに、きっと私達の想像を超えるものが。
杜人綿津見神様の計画はそれを利用するものではないかと現段階では推測される。
あとは貴方の仕事よ、頑張りなさいな雉鳴女』