杜人騒乱……古強者黄鶲『粋である為に』
御左口……、それは日ノ本の誰も起源を知らぬ最古にして謎多き神。
あらゆるものより出でては信仰を繋ぐ原始神。
万象に宿る陰なる神。
かの神を調べ上げ、謎を解き明かすべく雉鳴女と黄鶲は苦心するも
残念ながら結果は芳しくなく、攻めあぐねている状態だった。
「……やはり、一筋縄で行く相手ではありませんか」
夏の終わりの、金色に輝き始めた山頂から静かに目的地を見下ろして黄鶲は一人ごちる。
通算で三桁に達した失敗回数には悔しさも零れ出ようものだ。
何しろ、調べようにも肝心な場所にまったく近寄れない。
蛇は目以外の物で世界を見る、と杜人神が言っていたのを黄鶲は思い出す。
特に熱だとか気勢のような物に敏感なのだと。
その蛇を主な象徴とする御左口ともあれば察知能力の高さも納得できた。
だからこそ、僅かでも神力の弱まる冬を雉鳴女は調査時期と設定したのである。
しかし、前年、前々年の冬の調査や、今まで集積してきた情報でも
殆ど御左口の本質には近づけてはいない。
過去に面会した雉鳴女の話によれば、
洩矢神の立会いの下でしかお目通りした事がなく、それも御簾越し。
そんな不明瞭な状態な上、当時は巨大過ぎる力に向き合う事も出来なかったそうだが、
今振り返ってみると杜人神の抱える『信仰結晶』を直視した時と似た感覚を覚えた……らしい。
御左口様は果たして実体を伴う神なのか。
そこを確かめなければならない。
黄鶲の勘が必要であると囁くのだ。
その為に東国での任務にかこつけて季節を問わず
御姿を盗み見ようと侵入を繰り返している。
現在単独で調査を行なっているのは実のところ黄鶲の独断。
早く真実を見つけなければ、愛しい上司が危険に飛び込んでしまう。
世話が焼けるものだと悪態を付きながら身代わりとなろう。
「埒が明かずと言うならば、明かせてみせるが粋と云うもの。
恋路邪魔する有象無象には、恋歌響かせて魅せますわ、っと」
そして、今日もまた祟りを恐れず御左口へ挑んでゆく。
黄鶲の過去を知る者は少ない。
彼女は在籍年数で言えば鶫よりも長い最古参の一人。
鳴女を支える各種教養の講師として、
若かりし頃の鶫も彼女に礼義作法や芸術を学んだ。
今でこそマニュアル化や分担が進み直接とはいかなくなったが、
教育課程や教材はどれも黄鶲の手が入ったもの。
つまり、彼女は今いる鳴女たち殆どにとって師にあたる。
鳴女の心は雉が育てた。
鳴女の技は黄鶲が鍛えた。
けれども、鳴女内での序列自体はあまり高くない。
精々が全体方針を決定する上級会議への出席権を持つ程度。
能力や適正の関係だと本人は鳴女における序列を鶫を初めとする後輩へ譲っているのだ。
……鳴女の誰もが心の内で考えている事があった。
黄鶲は雉に次ぐ、いや、それどころか雉よりも上を行く存在ではないかと。
そんな彼女が何故、雉鳴女を慕い敬うのか。
今より遥か昔に鶫が興味本位で聞いた事がある。
黄鶲は笑って問いに答えた。
「私の小さな小さな誇りを、彼女は命を賭けて守ってくれた。
ならば、命を賭けて応えたいと思うのは自然な事でしょう」
鳴女では良くある話の一つよ、と懐かしむ様に呟いた。
詳しくは己だけの思い出にしておきたいのか、
それ以上は何も語らなかったが、十分だった。
「……そうね、きっといつまでも返し切れない借りなのよ。
だって、ほら、私も彼女も安い女ではありませんから、ねぇ」
冗談めかして笑う、気位高い彼女の誇り。
その対価は千年や二千年程度の忠節では返済にまだまだ足りない。
何の為に生まれ、何をして生きるのか。
人間も霊も、同様に『生涯において成すべき事を成す時』がいつか来る。
その時を後悔をしてしまう躊躇いは、雅でも粋でもあるまい。
『美しく粋であるべき』
これが黄鶲の生き方であり在り方だ。
敬愛する親友であり、母であり、長である雉の為ならば
鳰の様に全存在を賭けて行なう事を恐れなどしない。
独断専行しているのも可能な限り雉鳴女に危険を負わせない為。
自分に出来うる限りを以って、黄鶲は自身の手で彼女を守るべく動いているのだった。
御左口様を調べる。
そう雉鳴女が口にした時、黄鶲鳴女は静かに喜んだ。
最も危険であり、最も重要な仕事を任せられる信頼と友情。
黄鶲の胸にはこれからの緊張よりも、喜びが先立った。
時が来たのだと。
その日、黄鶲は夜になっても粘っていた。
夕暮れ時の通り雨に、若干冷える夜。
乱立する数多のシャグジ社、シャグジ宮に絡め取られぬ様、
影から影を飛び渡り、中々効かぬ夜目に気合を入れ直す。
通りすがった全ての社からは御左口と思われる強い力が残っていた。
犬ではないが、残滓を嗅ぎ慣れてしまった黄鶲は大本を探してゆく。
ここまではいつも通りである。
居たら良いな、程度で可能性として殆ど無い事は知っている。
問題は上社と下社。
洩矢神の警戒網が最も厳しく悪辣。
明らかに何かある、と思わせる威圧感。
……だったのだが、今夜だけは常と異なった。
―――轟音。
上社本宮、その中心で尋常ならざる力が沸き出している。
地面が揺れ、竜巻の如く暴力的なまでの神威が放出されていた。
直下で洩矢神と思われる存在が必死に鎮めようと力を振るっているのも分かる。
祭りや行事が前後二日に予定されてはいなかったはずだと黄鶲は高速で記憶を辿った。
「……となると突発的な事故の可能性が高い、か。
もしかすると洩矢神が御左口様の不興でも買ったのかしらね?
何にせよこの荒ぶり様は不味い、ここは一旦退いて……」
撤退を考えた黄鶲は、周囲を見渡した後、即座に考えを改める。
「いいえ、危機は好機也、か」
びっしりと足の踏み場が無いくらいに地に絡みつき、
鉄壁の城砦と化していた中小ミシャグジ群の多重包囲が
皆揃って本宮を心配そうに眺めていたのである。
異常事態に、警戒網も有って無きもの。
竜巻が吸い寄せた雨雲が霞み雨を降らそうとしている。
今をおいて無い。
決断すれば後は早かった。
迷いも後悔も無く行動は成されていく。
黄鶲は己の速さに全てを託して飛び込み、
制止する障壁や霊群を振り切って……、
ついに、答えを目にした。
しかし……。
【小鳥風情が……『見てしまったな』】