杜人騒乱……雉の戦い『鬨の声を』
山犬によって『計画』を知ってから雉鳴女の毎日は忙しくなった。
哨戒や異変の察知、森戸の任務補助など
以前からの日常をこなしつつ杜人神の秘密について調査を進めなければならないからだ。
これを杜人神に気付かれるわけにはいかなかった。
表面上取り下げたとしても、今まで以上の隠匿を持って進められる可能性がある。
事の大きさを見るに強行すら考えられるのだから慎重にならざるをえない。
自分が計画の存在を知る事、それを知られていないのが、一歩分の有利。
『その時』まで、絶対に守り抜かねばならない有利だと雉鳴女は感じていた。
賭けられている物が杜人綿津見神自身である。
万全で無ければならない。
日本は今、混乱にあるように見えて、確かに収束に向かっている。
織田信長の死で宙に浮いた様に見える天下は、羽柴秀吉が手に納めつつあるのだ。
時間制限は厳しい。
乱を望んでいるわけではないが、
森戸や杜辺への影響が大きい戦乱が治まれば、即ち約束の時。
未だ全貌を掴めていない雉鳴女は、
日常の平静と内心の焦りに神経を締め付けられるような気持ちである。
それは、彼女の協力者たちも同様であった。
あの日の午後、彼女は古参の者達から鶫、黄鶲、真鶸の三人を召集した。
「どうか、私に手を貸してください」
土下座し、額を畳に付け、請い願った。
自分が何をしようとしているのか、その愚かさも全てを正直に伝えた。
杜人神に弓引く事になる可能性が高い事。
鳴女ではなく雉鳴女個人の願望である事。
そも鳴女に対して不利益しか生まない事。
それでも、いや、だからこそ彼女達は雉鳴女の要請を受け入れた。
雉鳴女がそれを知って尚、行なおうとする意思を持っていたからだ。
たとえ謀反人と呼ばれようとも。
「母の為に身を張らぬ子がおりましょうか。
それに、杜人様が消えるかも知れぬとあれば尚更です。
貴方の次にあの人を見続けてきた私なら、十分に力となれましょう」
「『君がため 惜しからざりし 命さへ』……なんて。
私は貴方への恩を、たかだか千年で返せたとは思ってませんわ。
当然ですが付き合わせていただきますわよ、とことんね」
「正直に申し上げますと、私には重い話です。
けれども、私は貴方についていくと疾うの昔に決めております。
卑小非才の一羽に過ぎませんが、どうぞ我が身をお使いください」
彼女達はその場で雉鳴女に応えた。
それは雉鳴女が積み重ねてきた徳や縁の賜物だろう。
このようにして仲間を得たものの、
仕事の合間の調査、更に誰にも気付かれぬよう秘匿しつつ、
200年に及ぶ資料を精査するとなると並大抵では済まない。
鳴女が全国を回って集めた情報の海が、巨大すぎる壁となっている。
進展しないまま、もう何年も過ぎていたのだ。
何年も……。
「何も、掴めない……」
伊勢杜辺家へ編纂済みの歴史書を運び終えた雉鳴女は
杜辺が泊まる宿の屋根から青空を眺めながら無力感に打ちひしがれていた。
これまでの方針は誤りだったのだろうか……?
資料請求履歴や調査依頼の経歴を辿るのは決して間違ってはいないはず。
なのだが、一向に成果が上がらない現状、暗闇を手探りで進むようなもどかしさが心を蝕む。
たった一年ぽっちで見つかるとは雉鳴女も思ってはいない。
けれど、それが五年、十年と経るにしたがって不安だけが際限なく膨らんでいく。
あれから山犬は根の性質についてある程度の情報を渡してくれた。
実際に触れてみて感じた事も含め、事細かに。
中立公平と言いながらも、山犬はきっと期待してくれている。
しかし、そこから進めていない。
雉鳴女の目頭が悔しさで熱くなる。
雲を掴むように宙を彷徨わせていた掌は自然と顔を覆っていた。
不甲斐無い。
長く隣に居たつもりだった。
でも、あの人を何も分かってはいなかった。
何を抱え、何を考えているのかを。
感じている無力感がそのまま互いの距離に思え、悲しくなる。
雉鳴女は、静かに泣いた。
その日、太陽が山へ傾いていく頃。
日雀の伝令が一羽、雉鳴女の元に届いた。
特に連絡が必要になる案件は無かったはずだと思い、
誰からかを尋ねた雉鳴女は、一気に緊張を高め表情を硬くする。
「真鶸鳴女様から急ぎの報告です」
……送り主は真鶸。
木板に挟み誰も見れぬよう封がされた報告書を日雀から受け取った。
急ぎ、というが心配だった。
もしや杜人神に知られてしまったのではないか。
最悪ばかりが雉鳴女の脳裏を過ぎる。
これまで何一つ進展しなかった過去がどうしても考えを暗くしてしまう。
しかし、続く言葉は雉鳴女を良い方向で裏切った。
「そして、伝言を承っております。
一言だけ『芽が出ました』……と」
「……!」
一瞬、呆けてしまった。
予想していなかった伝言の意味が頭に浸透すると、
堪えていた今までを取り返すように喜びが溢れ、胸を満たしていく。
ついに手掛かりが見つかったのだ。
雉鳴女は顔に出さない様にするので精一杯だった。
少しでも気を緩めると泣いてしまいそうな自分に気付いた雉鳴女は、
いつもの様に日雀へ労いの言葉を掛けると、返しの伝令を頼んだ。
「まず、『ご苦労様でした』と。
それと『ありがとう』と伝えて」
日雀は軽く頭を下げ会釈すると黄昏時の空へ飛び去ってゆく。
夜、雉鳴女は真鶸の報告書に目を通していた。
真鶸によれば、精査済み140年分の調査依頼を統計していくと、
十数年程度の短期に連続して何かを調べるといった物はなかったが、
全体を通して、ある事柄の調査数だけが頭一つ抜け出していたそうだ。
「……原始神霊、ミシャグジ型神霊の調査」
西は九州からは津蟹や大蛇の経過、東は坂東以北の自然信仰に遠野妖怪。
他にも各地の大きな力を持つ原始神霊や大妖への調査指令。
型分けの種類としては広義すぎるかも知れない、と注意書きはされていたが
調べる価値は十二分にある。
そもそも、鳴女が使うミシャグジ型という呼称や定義、分類は杜人神が定めたもの。
そういえば神霊の成り立ちについて杜人神は興味を持っていたようにも思えた。
杜人神の力の源だという王樹様と呼ばれる神霊もミシャグジ型に属していたのだという。
『根』もまた、王樹様の遺物。
御左口様、いやミシャグジに『何か』あるのか?
真鶸と鶫には引き続き残りの調査を任せ、
雉鳴女は黄鶲と共に新たな指針へ手を伸ばす事を決めた。
土着神の統括者、祟りの元締め。
最大最凶を冠する原始神、御左口様。
危険度が跳ね上がったのを感じていたが、雉鳴女は恐れてなどいられなかった。
計画そのものの危険もまた、これで理解できたからだ。
「雉も鳴かずば……と人は言う。
それでも、鳴かねばならない時は来る、か」
雉鳴女は行灯の火を消し、月を見上げ、そっと瞳を閉じた。