きりすと……緑眼の愛し姫
九州の情報総括を一手に引き受けていた鵥鳴女からの連絡で、
私は新たな潮流の訪れを知った。
キリスト教、伝来。
……とは言えども、正直あまり大きな変化があったわけではない。
遥か昔の仏教騒動と比べると静かなものである。
神道ではそれこそ八百万と祈る神が居り、
仏教では教えの解釈から沢山の宗派に分かれるも共存。
独自の自然信仰も各地に多数。
まだまだ歪であるが、こと信仰に関しては、
多様な価値観を受け入れる下地が出来始めている。
二十世紀には世界で最も名の知れた宗教であっても、
日本においては数多ある信仰の一つに過ぎないのだ。
キリスト教が日本の神秘形態のトップシェアとなる事はないだろう。
……実は内心、ホッとしていたりする。
それが偏見であると自覚はしているが、
私はあまりキリスト教に良い印象を持っていない。
魔女狩り、学問の規制や弾圧と言った黒い部分の知識がちらつくからだ。
まぁ、これに関しては今の仏教の腐敗具合も負けず劣らずだし、
閉鎖的な日本の村における異種異端の排斥も五十歩百歩で言えた義理ではなく、
キリスト教自体が悪いのではなくて、そういう風に固定化させた教会の所為なのだが……。
それと、どうしても絶対者としての『神』に違和感や拒絶感を覚えてしまう。
現代日本人特有の感覚なのかもしれないが『完善』な存在が胡散臭く思えるのだ。
その辺り、荒御魂や和御魂と、恵みだけでなく祟りにすら神性を認め、
神も人間と同じく善悪や陰陽を抱えた個なのだと寛容する思想が自分の好みという話だけども。
ちなみに朝廷、というか大和神霊衆からは当然の如く調査する様に言われていた。
イエズス会宣教師の面々は京へ訪れた後、
朝廷の計らいで私の近くに数週ほど滞在させられたのだ。
鳴女では万一の時に祓われる危険があると見て私自ら隠行しつつ観察してみたが、
キリスト教自体が持つ霊的な武力はそれほどでもないようである。
仏教と同じく集合知による信仰を汲み出す形式。
……なのだが、信仰中心地への距離的なものか、はたまた東洋の地に思想が馴染まないのか
大きな奇跡を起こすには些か心許無い神秘量に思えた。
この分なら大和神霊が過敏に反応しないでも大丈夫な筈だ。
ついでにもう一つ心配無用となる理由があって、
今の所キリスト教は人を動かす力と成り得ていなかったりする。
九州南端、島津などを筆頭に海外貿易の足掛かりとしての保護が中心だからだ。
さすがに戦国武将はシビアな目をしているようで、
交易の利益確保を目的に奸知権謀を渦巻かせている。
熱心に祈る信徒が居ても、根付くにはまだまだ長い時間が必要だろう。
異文化との交流は様々な発見や発展を生む。
そういえば火縄銃が根来や雑賀に持ち込まれたとも聞いている。
菓子類などの食文化もそうであるし、方位磁針といった器械も新たな知恵だ。
生前の私は棚上げさせてもらうが、学びたがりなのは日本人の美徳。
専門とする学者や凝り性な職人だけではなく、
それこそ農民に至るまで知への探究心、好奇心は旺盛だ。
この新しい風は日本をまた成長させていく。
あまり杜辺に肩入れしすぎると不味いが、意思の読み取りを応用して
スペイン語とポルトガル語の簡易辞書を作成中だったりする。
昔に作った中国語版の簡易辞書の時よりは大変だった。
細かいニュアンスが分からずとも大体の意味が伝わる漢字はやはり優秀な文字だと思う。
文法などは流石に理解できないから簡易も簡易で、単語の意味程度しか載せられていないが
これが纏まった暁には、何とか学ぶ一助として欲しい。
……しかし、良いこと尽くめとはいかないのが世の摂理。
私は縁側で寝息を立てる幼い少女に目を移した。
良い夢を見ているのか、山犬の尻尾に抱きついて幸せそうな寝顔である。
先ほどまで山犬にしがみ付いたり、首元にぶら下がったりと
忙しなく動き回っていたので遊び疲れたのだろう。
子供の寝姿は時代を問わず可愛らしい。
山犬も、尻尾を掴まれては仕方なし、と動かず静かに見守っている。
この少女は安芸の国へ派遣されていた森戸の若者が連れ帰ってきた。
淡い栗色の柔らかな猫毛も、ようやく肉の付き始めた腕も
始めて会った時は随分と悲惨なものだったらしい。
戦国とあって捨て子や孤児の珍しくない世。
彼女もその一人だったが、彼女の場合は少々訳が異なっていた。
交流が生んでしまった緑眼の私生児。
それは太陽の下で緑色に映る瞳。
そういう問題もやはり出てくるのだ。
異色の瞳は迫害の対象。
流石に宣教師ではなく同行していた使節の誰かの子だと思われるが、
母親は差別の果てに死に、彼女は異国人との混血であったが故に孤独を強いられた。
よくありそうな話だが、若者には割り切れない話だったに違いない。
『自分が育てます』と当主や私にまで熱心に頭を下げてきたのを思い出した。
いや、本当にあの時の気迫は大したものだった。
今は齢十六の若造が養育費を稼ぐべく奮闘しているのを一族が影ながら応援している。
少女が寂しくないよう、森戸の子供達や山犬で構ってやったりと。
この少女がどの様な出会いや経緯で拾われたかは知らない。
しかし、別に詳しく調べようとは思わなかった。
青く若い正義感が一人の少女を孤独から救った。
その結果だけで十分であり、
何かを付け加えるのは無粋だろう。
だから、早く帰ってきてやりなさい。
未来の為に頑張るのも良いけれど、
大事な物は意外と近くにあるもの。
この子の寂しさを癒す為にお前は親になると言ったのだから。
帰ってきなさい、お前の姫が目を覚ます前に。




