あいぼう……戦乱の足音
日本と中国、いや明との貿易が本格化してしばらく。
海外文化の流入と別に、日本でも芸能関連が発達を見せている。
能楽や狂言、茶の湯や連歌も貴族だけのものではなく、武士達の娯楽となってきた。
世がある程度の安定を見せてきた証拠か。
芸術の発達は精神を豊かにする。
鳴女でも黄鶲や真鶸など特に芸術を愛する者は我が世の春といった様子である。
休みの合う日は集まって創作に勤しんでいるらしい。
時たま鶫鳴女も一緒になっているのを見かける。
残念ながら私は門外漢なので歌を聴きに行く程度だが、
その私に恋愛物の脚本について感想を求められるのはきついものがある。
一般的な機微は持ち合わせているつもりだけれども
なんというか、マニアックな近親物などを出されても共感し辛いとしか言えない。
そういうのに憧れているのか、と呆れ気味に尋ねると
「自分でやるのは嫌ですけれど、近くで見たいですわ」との事。
……なんとも、女性心理とは理解できない複雑怪奇なものだ。
こうして平和な日常が続く。
私としても時間が取れると計画の準備が捗るので助かる。
千年先を見越すには時間が幾らあっても困らない。
しかし、最近はきな臭い空気も感じていた。
雉鳴女の報告から今後を予想していく。
時の将軍は文化人、と言えば聞こえは良いが軍事どころか政治への関心も薄く
もっぱら茶や猿楽などに興じているという。
これによって武家の統制に緩みが見え始めているらしい。
大きな事件でもあれば、その綻びから崩れかねない。
詳しく見ていくと、朝廷には動揺も軋みも無し。
朝廷の相変わらず何処吹く風といった余裕は流石だ。
というか、崩れるのを待っている様にも見える。
それぞれへ派閥を分けているが、
状況がどう転ぼうとも捌けるだけの体制が出来ているのだろうか。
大事が起きなければ良いと思う。
巻き込まれるのは子供達だから。
しかし……。
無ければ良い、と思えば
何故か有ってしまうのが苦難や災難。
嫌な予感は的中率が高い気がしてならない。
まぁ、嫌な予感とは知識や経験則から予測されるのだから
長く生きてきた者の勘が良く当たるのはしょうがないのだが……。
何が起こったのか一言で言えば、これはひどい、で済む。
久方ぶりに全国的な大規模飢饉。
台風と水害で田畑が流されたのと、追い討ちの虫害が酷く
更に疫病が流行って農民が満足に作業ができなかったので
米や野菜が全滅する地域も珍しくなかった。
……で、あるにも関わらず、将軍は飢饉に対して一切の対策や復興援助を行なわなかった。
天候や災害で飢饉が起こるのは自然のサイクル等の
避けようもない問題が多いから仕方ない部分もあるのだが、
呑気に寺社の改修を行なっている場合ではないだろうよ。
私の信仰地でも少なからず被害は出ていた。
風を抑えたり、樹木を強化して地滑りや崖崩れを防止したりしたものの、
完璧にカバーする事はできない。
疫病関連で森戸、杜辺で救援物資を回したりと動いてみたが限界はある。
どちらにしろ長雨で農作物の収穫量や出来は良くないし、決して他人事ではなかったのだ。
当然、彼等農民を抱える守護大名は幕府への不満が募ってくる。
また戦が始まるのだろう。
九州を除いて、方々で剣呑な雰囲気が漂っている。
次に起こるのは誰を担ぎ上げるのか、どの派閥に付くのか、だろう。
森戸家にはこれらに干渉しないよう、慎重に、それでいて正確に歴史を記してもらう。
かつてない規模に膨らんでいるために広範囲に人員を散らさなければならない。
鳴女達もそれについていくが、人手を増やすために雉鳴女も直々に補助に出る事になった。
外に出る人間が増えるので神社周りが少し寂しい。
……好都合でもあるのだけれど。
ふと、思う所があったので、
久しぶりに山犬に付き合って貰って手合わせしてみた。
地形を変えたり、荒らしすぎたりしないレベルで。
しかし、まぁ、当然というか勝負が付かない。
山犬は私の守りを破りきれず、私は山犬の動きに当てられないのだ。
やはり、互角なのだろう。
同じ力を分け合った仲間なのだから。
戦いを終了させ、良し良し、と頷く私に山犬が擦り寄ってくる。
いつものように撫でてやると、難儀な男だ、と山犬が呟いた。
それが私だ、と返すと、それもそうだ、と笑い合った。
自分の姿は思いのほか見えない。
知ったつもりになっているものも意外とあるものだ。
付き合いの長い山犬には私が分かっているのだろう。
きっと、私以上に私について。
……楽に事が運べると思うな。
ひとしきり私の撫でる手を楽しんだ山犬は鋭い忠告と共に私から離れると、
神社の境内の隅で日光浴を楽しむべく森から出て行った。
どうにも、千年の相棒には敵わないらしい。
背伸びをして、私も神社へ歩を進めた。