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  杜人閑話……嘘つき鴉『百度参り』




鳴女は鴉にとって温かい環境だった。


正直に呪いについて告白した彼女は『そういう体質』だと認知されたのだ。

一族への顔合わせの時に鶫、もとい鶫鳴女がこう言ってくれたのも大きかったのだろう。




「鴉さんの言う事を反対の意味で考えたら、もう、面白くって。

 私達の誘いを快諾してくれたのは、人と手を取り合うのが大好きだから。

 ね、だから、喜んで仲間になってくれるって言ってくれたのよね」




恥ずかしい事この上なく、鴉は赤面しながら『鶫なんか嫌いだ』としか言えなかった。

天邪鬼な言葉だと理解できれば逆に可愛いですよ、と鶫鳴女は笑った。







元よりそこらの鳴女と同等程度の情報処理能力があった鴉はすぐさま鳴女の名を貰うに至る。


『鴉鳴女』と名を呼ばれる度に、自分は鳴女の仲間なのだと実感できた。

嘘を嘘であると見抜いてくれる種族を越えた仲間達は鴉鳴女の居場所になっていく。


彼女の赤眼は僅かな月光でも遠くを見通せたし、漆黒の翼は闇夜に溶け込むので

自然と夜間調査の専門家として鴉鳴女は最若年にも関わらず鳴女でも特殊な位置まで地位を上げた。


これほど自分を活かしてくれる場所はあるまい。

成果を上げれば上げるほどに信用は高まっていく。


仕事中の私語は慎まなければならないが、

こうして気安く話せる友がいる幸せは彼女が昔に夢想した未来だった。


嘘をネタにからかってくる仲間もまた、幸せの象徴になった。














そんなある日、一人の山伏が何かを探している風なのを巡回帰りに見かけた。

いつかのような臨視感を覚えながら。



歳の頃は三十路は越えて四十前といったところか。

無骨な顔付きは山道で鍛えられた身体と合って美しくもあった。


ボロボロになった着衣は河童と相撲でも取ったのか、

はたまた人食い妖怪の追走を打ち破った代償か。


最近、この山で妖怪にちょっかいを掛けられようとも決して諦めない人間がいると

噂になっていたのを思い出した鴉鳴女は興味から近づいていく。


鴉鳴女は自分の中の何かが反応し鼓動が早まったような気がした。




戦いになればそこらの妖怪以下しか動けないので

鴉鳴女は鳴女時の人型ではなく元の鴉形態で近くの梢に止まる。


すると、ピクリとこちらに気付いたように動きが止まった。


気配は消しているし、どこにも発見される要素はないにも関わらず気付かれた事で

ある種の確信を鴉鳴女は得ていた。


視線を上げた山伏と鴉鳴女の瞳がぶつかる。




「鴉様、鴉様、どうして貴方は黒いのか?」



「おや、そこな山伏、白い鴉なんて世に『居ない』もの」



「お言葉ですが鴉様、私は貴方を憶えております。

 昔に私を救ってくださった白い翼とその紅い瞳を。

 御身の黒はもしや我が呪いによってでございましょうか」




鴉鳴女はあの時の少年が自分を憶えていた事に驚いた。


ほんの数刻程度の邂逅、騙すようにして呪いを奪ったあの日。

死人の様に虚ろな眼差しで山を彷徨っていた少年。

それがこんなにも逞しい男に成長していたというのが感慨深い。

気付かれたのならしょうがない、と人型に戻って向きあった。




「えぇ、その呪いです。

 私はとても『恨んで』いるのよ。

 こうして黒く染まったのは貴方の『所為』だから」




少しだけ悪戯心が出てきた鴉鳴女はいつも通り嘘をついた。

別に恨んだりはしていないし、むしろ今を作ってくれた事を感謝してもいる。


何でこんな嘘をついたのか。

それは予想を遥かに越えて良い男になっていた少年をからかってみたくなったというだけだ。




「鴉様、そう思われるのも当然でございましょう。

 私はあの日のお礼と、償いに来たのです」




山伏は己の半生を語りだした。


呪いから解放された後、読み書きが出来たので大きな商家に拾われたのだという。


そうして三十年が経って落ち着いたのだが、

鴉の恩を忘れて生きるのは不実だと全てを捨てて山伏となった。


恨んでいるというのならば相応の償いを果たさせてくれ、と。




「たとえ百回謝りにきたって『許さない』わ」




「ならば百一度、参ります」




そう言って山伏は下山していった。


残された鴉鳴女は、

「馬鹿ねぇ、私がこんなに黒いのだから百回で良い事に気付きなさいよ」と一人呟いて、

明日も山伏がくるのか期待しながら寝ぐらに帰っていった。













翌日、山伏は鴉鳴女の元に辿りついた。

鴉鳴女は仕事で隣の山に居たのだが、何故か山伏はそこへ辿りつけたのだ。


千切れて消えたはずの縁。

先日の出来事で繋がりが直されたのだろうか、と。


山伏は昨日と同じく頭を下げ、下山していった。







次の日も、その次の日も。


鴉鳴女の元に山伏は足を運んだ。







良い暇つぶしだと、鴉鳴女は山伏の到着を次第に楽しみにするようになっていく。














二十日を過ぎた頃、急に山伏が来なくなった。


心配になった鴉鳴女は麓の村を捜索すると、山伏は床に伏せっていた。

連日の登山で無理が祟ったらしい。


鴉鳴女は仕事で『偶然』手に入れたらしい高価な医薬品を枕元に並べ、山に戻った。








もう五十回目の逢瀬、その帰り際。

山道を下る山伏を影で見守る鴉鳴女の姿があった。


こそこそと木の陰に居るのを同僚が尋ねると、

上司が親人間派だから、『偶然』帰り道が一緒になった以上、見守る義務があるのだと早口で捲くし立てた。








七十を数えるに至って、帰路に土産を持たせるのが常になっていた。


山の恵みは分配される事で流動し、再び山の力として返ってくる。

『偶然』訪れた山伏に山菜や果実を渡すのは極々自然で当然な成り行きであり、

山を生活の場としている神霊として当たり前の行為なのだ。


と、柿の木を前に鴉鳴女の独り言が虚しく響いていた。








そして、今日が百回目。


山はとっくの昔に冬支度を済ませている。

雪がちらつく中、それでも山伏は鴉鳴女に逢いに来るのだ。


冬になって、鴉鳴女は何度も止めさせようとした。

厳しい気温に激しい風、雪に滑る斜面など気が気でならない。


しつこい男は『嫌い』だと、嘘でも何でも吐いて遠ざけようとした。


『偶然』山登り用の草鞋や分厚い脚藩が破損していても山伏は山に入り、

鴉鳴女は泣きたい気持ちで訪れるのを待った。


しかし、それも今日で終わる。

百回で許してやると決めたのだから。

百一回は山伏の勘違いだと笑ってやろう。







今日で終わり、終わらせる。


だから早く来なさい。


こんなに待たせるなんて、貴方なんか『大嫌い』よ。




どうしたのよ。


いつも通りに『不細工な顔』を見せなさいよ。


山に入ったのは、ちゃんと見てたわ。


貴方が迷うなんてありえないでしょう。


早く来てよ。




早く、ねぇ、早く来なさい。


もう陽が沈むじゃない、何をやっているのよ。


夜の山が危ないって知らないの?


しかも冬よ、冬、まったくもう、馬鹿なのかしら。


だから、早く。




お願いだから、早く来て。







鴉鳴女は胸騒ぎを止められなかった。


九十九回も紡がれた縁がぷつり、ぷつりと切れ、解れていくのを感じていたからだ。

この全てが絶たれた時、その先にいる者が死ぬのだと言われているようだった。


翼が翻り、鴉鳴女は夜の山を飛翔した。











山伏が記憶の頼りとしたこの紅い瞳は、夜目の強さは、今日この時の為にあったのだ。

今、彼を見つけ出さずして何を見ると言うのだろう。


夜空の半月は雪を照らし、雪は残光を放つ。


いつもよりも見える。

いや、見えなければおかしいのだ。


何故ならば、鴉鳴女はずっと山伏を見つめてきたのだから。




鴉鳴女は飛ぶ。


速く、もっと速くと飛んでいく。




まるで猛禽の様に目を光らせて。


夜の闇になお浮かび上がる漆黒の翼は風を切り裂いていく。








……見つけた!


鴉鳴女はうつ伏せに倒れ、雪に埋もれそうになっている山伏を発見して叫んだ。

すぐさま抱え起こして胸に耳を押し当てる。






生きている。






しかし、非常に不味い状態であるのも間違いなかった。

記憶から最寄りの猟師小屋を探し当て、即座に飛んだ。


山伏の体温が死人の様に冷たい。







鴉鳴女は小屋に着くと中に備蓄されている燃料を囲炉裏で燃やし、

山伏の雪に濡れた服を脱がせ、乾いた布でふき取っていく。


……温めなくては。


決断すると鴉鳴女は早かった。

自分も服を脱ぎ捨て山伏に寄り添うと、大量の藁束を互いの上に載せて茣蓙で包んだ。


自身の温もりを分け与えるように。




















翌朝、目を覚ました山伏は胸に寄り添って眠る鴉鳴女に驚いた。




「鴉様、こ、これは一体?」



「……百回目、これで貴方は許されるわ。

 いや、初めから許していたのだもの、ふふっ、おかしいわね。

 今日の私は正直者だわ、この上なくね」




声に反応して瞳を開けた鴉鳴女は、山伏が生きていた事に安堵した。

緊張に固まる山伏に更に擦り寄った鴉鳴女は甘えるように呟いた。




「まだ身体は動かないでしょうから、私の枕になっていなさい」




鴉鳴女は自分が山伏にどうしようもなく惚れているのだと自覚した。

この男の(つがい)になりたいのだ、と。




「これから言うのは正真正銘の本音よ。

 お昼にはきっと嘘つきな私に戻ってるから二度は無いわ。

 だからね、聞き逃さないでちょうだいね」




鴉鳴女は深く呼吸をした。

自分もまたこの状況に緊張しているのが分かる。


でも、この一言は言わねばならない。

覚悟を決めて、生来の美しい喉を静かに震わせた。








「貴方を愛してるわ」








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