杜人閑話……嘘つき鴉『白と黒』
昔々、とある山に変わった鴉がいた。
鴉は群れを作るのが普通であったが、
その一羽だけ、いつも群れの外。
同族が楽しげの過ごすのをいつだって遠目に窺っていた。
「どうして、私は違うのか」
問いかけても彼女の声を聞いてくれる者はいない。
彼女は、己が他と違う事に悩んでいた。
「どうして、私は『白い』のか」
真白の鴉。
これこそが全ての原因であった。
漆黒であるはずの翼は、青空に浮かぶ雲と同じ純白だったのだ。
「どうして、どうして……」
生まれ持った色が、周りの黒からぽっかりと浮いてしまい、
まだ碌に飛べない頃から白鴉と呼ばれ、彼女は苛められた。
お前は鴉ではないのだ、と。
けれども彼女は鴉でありたいと願い、必死に彼等の真似をした。
白い身体を誤魔化す為、汚泥に身を浸すのは日課である。
元々のか細かい声も、何とか喉を震わせて同族の様に五月蝿く叫んだ。
噂好きな鴉達の話題に乗り遅れない様、山から川から何でも調べた。
一重に、彼女の純粋さがそうさせたのだろう。
迫害する同族への憎しみや妬みではなく自身に責任を求めた心根の優しさが……。
ただ、寂しかっただけなのだ。
誰も彼女の存在自体を認めてはくれなかった。
それは親でさえも。
忌々しい白は孤独を強要する。
だから彼女はいつも群れの外で眺めるしかなかった。
薄闇の森から紅い瞳で羨ましげに。
いつかあの輪の中に自分が居る未来を夢想しながら。
そんなある日、白鴉は物憑きの少年を夕暮れの山で見つけた。
妖怪も棲む山なので狐や狗、狢といった憑き物も珍しくは無い。
けれども、その少年の異様は白鴉の目を惹くに十分過ぎた。
人間かどうかを疑うほどに、肌が黒色に染まっていたのだ。
傍目には影がボロ布を纏って人間のふりをしている様に見える。
憑いた物自体の姿は無く、呪いだけが残されている。
それを白鴉は哀れむではなく、反対に羨み、歓喜した。
己の欲したものが、呪いを受けるだけで手に入るとは、と。
詳しい話を聞く為に彼女は黒い少年に近づいた。
「少年、少年、どうしてお前は黒いのか?」
少年は突然現われた白い鴉に驚いた。
森の中、夕闇と木の陰に沈んで尚も輝く白い姿と、紅い瞳に。
妖怪が跋扈する森にあまりにも似つかわしくない鴉を見て、
これは神様の使いだろうか、とも思った。
そんな勘違いのおかげで、白鴉は呪いの出所を聞き出す事に成功する。
少年は、とある貴族の息子だったそうだ。
父親が金貸しをやっており、裕福な上流階級層だった。
けれども、知り合いの陰陽師に金を貸した事から転落していったのだという。
借金を返せなくなった陰陽師が、命を代償に家族全員を呪った。
それが黒色の呪い。
誰かに好かれるとその分だけ身体が黒く。
それを誤魔化そうと嘘を吐けばその分だけまた黒く。
肌の色が変わっていく。
仲の良かった家族は互いの愛で黒く染まり、
物憑きだ、異形だと忌み嫌われ、迫害されて離散。
誰も助けてはくれず、辛くて生きてはいけない。
いよいよもって死のうと思い、黄昏の山へ入ったのだと。
白鴉は呪った本人が死んでいたのに落胆したが、
それ以上に少年に対し奇妙な共感を覚えていた。
共通した孤独の苦しみに対して。
しかし、今はそれよりも呪いが大事だった。
白鴉は頭を軽く振って雑念を払い、少年に告げる。
「少年、少年、今から私は君に憑くけれど、
それは呪いを解くのに必要なの、ジッとしておいて」
これが騙すという事か、と白鴉は生まれて初めての嘘を思った。
何かに憑くというのは存外大変であると昔に狐が言っていたのを憶えている。
狐曰く、相手の魂の器へ割り込むように自分を乗せるのだという。
当然の如く反発されるので、大きな力が必要になってくるそうだ。
精神が死に近くなっていた上に自ら受け入れようとしてくれるのなら
憑き物経験が無い鴉でも簡単に魂の深い部分に触れるだろう。
少年は彼女の思惑通り、力を抜いて心の底から白鴉を信用しているようだった。
結果から言えば、白鴉は少年から呪いを抜き取り己の物にできた。
憑いた事で縁という残滓がお互いを微かに繋げていたが、
ずっと会わずにいればその縁もやがて自然に消えてゆくだろう。
別れた少年がこの先どうなるかなど知らなくても良い情報だ。
とかく、白鴉は喜んでいた。
道すがら出会う全ての者に憶えたての『嘘』をばら撒いて、黒く染まっていく身体にうっとりする。
望んでも手に入れられなかった黒が彼女をどこまでも幸福な気分にしているのだった。
最早、白鴉は居ない。
彼女は大手を振って鴉の群れに入れた。
もう自分から泥に浸かって身体を汚さなくても良くなったし、
同族の太い声を真似るのも今では楽なものだ。
お喋りだってそこらの話題を調べ尽くしている彼女は完璧にこなせた。
重ねてきた今までの苦労が報われているのを、確かに感じている。
自分は幸せなのだ、と。
しかし、その幸せは長くは続かなかった。
呪いを奪い取ったあの日には夜の闇よりも深い黒だった色が
徐々に色褪せて灰色にまで戻ってきたのだった。
彼女は恐れた。
身体が『白く染まっていく』のを。
昔のような、一人ぼっちには戻りたくない。
それから、彼女は誰よりも『嘘つき』になった。
日に何度も何度も嘘を吐かないと安心できなかったのだ。
自分を保つために。
「太陽は『西』から昇るよ」
「麓の村で『聞いた』んだけど、山狩りが『近い』ってさ」
「『向こう』の森に甘い実のなる木が生えてたの」
嘘が日課になり、嘘を積み重ねていく中で
失われていく物があるのを彼女は気付いていなかった。
少しずつ、少しずつ、彼女は群れから再び孤立していく。
嘘ばかり吐く彼女は誰からも信用されなくなったのだ。
それでも、彼女は嘘を止める事ができなかった。
一度染み付いた恐怖を拭い去る事が。
昔と同じく必死に知識を集め、なんとかできないかを考えたがどうにもならない。
嘘はそれほどまでに破滅を齎すのだと身をもって知った。
……が、それでも日に三度の嘘を重ねなければ心が安定しなかった。
梟よりも賢いが嘘つきな鴉。
いつしか彼女はそう呼ばれるようになる。
その噂を聞いて、鳴女衆と呼ばれる鳥の化生の寄合いから彼女へ声が掛かった。
情報収集の能力を高く評価しているのだという。
仲間にならないか、と。
……初めてだった。
誰かに請われるなんて今の今まで無かった。
どうせ私の嘘で嫌われるのだ、と使いの鶫には素っ気ない対応をしていたが、
内心、踊り出したくなるほどの喜びに満ちていた。
嫌われる恐怖はある。
しかし、鳴女は嘘つきである事を承知で声を掛けてきたのだ。
ここならばもしかして……その思いで申し出を受け入れた。
「快諾なんて『勘違い』よ。
私は誰かの為に何かするってのが『大嫌い』なの。
生活が楽になるから『仕方なく』仲間になってやるだけ」
そんな嘘混じりでしか答えられない自分を恨みたかったが、
鶫はこんな返答に静かな微笑みを返してくれたのだった。