しがらみ……歳月が積み重ねるもの
色々と細かい悶着はあったものの、鵥の祠は撤去とはならなかった。
事務処理が終わってみて強く思ったのが、
悪でも善でも、純粋な『力』に対する畏れや憧れは強い信仰になるという事。
大蛇事件で一気に信仰を回復させた津蟹の口添えで、祖霊系統の支持が集まった。
これで周囲を半ば数の力で納得させたのであるが、問題も少なからず噴出している。
暴れ回った大蛇を、神格の高い龍と同視し信奉する者もそれなりにいたのだ。
本来ならば土地神同士のただの喰い合いであったのに横槍いれた鳴女は
大蛇側を信仰していた妖怪達と一部祖霊からは敵対心を持たれている。
将来的にどうなるのか頭の痛い所。
そして、人間側からもちょっと待ったと声が掛かったのだ。
一般民衆というよりも寺社仏閣のお偉い方からであるが。
紀伊を本拠とする神霊が渡ってくるのに対し、周辺の寺社から難色を示されたわけだ。
中央と繋がりの深い杜人系の神霊が九州の地に入る事で
それまで集まっていた信仰(信者)を掻っ攫われるのではないかとの危惧と、
不気味な監査役が近くに来るのを嫌ったからである。
本人達は気にしていないが、鳴女衆は対外評価が悪い。
彼女らは存外、自分について無頓着だから困る。
遥かな古代から情報処理や諜報を主な仕事としていた事。
各地を飛び回ってコソコソと調査している事。
一度、主人を裏切って大和朝廷に反旗を翻した事。
なのに大和神霊の頭である天照大御神の憶えが良く、
高位神の杜人綿津見神に重用されている事など様々な理由がある。
外から見ると、確かにあまり近づいて欲しくない存在だとは思う。
最近は森戸家の歴史記録をサポートする名目で身分保証までされており
朝廷が影で使っている監視者ではないかと考えられても不思議ではない。
簡素な祠を拡張して御社にし、合わせて森戸家にも居付かれては困る、と。
結果、鵥の祠に杜人神霊は一年の内で合わせて一ヶ月しか滞在を許可されなかった。
その辺りが妥当だろうなと思いながら、一応中央にも問い合わせてみた。
返事を要約すると、杜人神系は大和神系と近くでナイフを突きつけあっているようなもので
遠地に拠点を立て、杜人神シンパが各地で膨らんではどこかの暴発で均衡が崩れかねない。
理性的な対処ができる杜人神を地形的に中心として広がらないよう抑えたい狙い、だそうだ。
だいたい予想通りの答えである。
あちら側もそういう危機感を持ったのは良いことだろう。
津蟹の許可でごり押しな感じに設置されたのはどうなのかを尋ねると、
彼ら津蟹や大蛇のなど旧来のミシャグジ型神霊は殆ど大和神霊の統制化には無いらしい。
現代人、21世紀人的な感性でいえば選挙の無党派層に似たようなもので、自陣に取り込みたいが
あのレベルの強さになってくると変に締め付けて祟り神化されるのが不味い。
だから、土地と民を守ってくれているのである程度の自由にさせているのだと。
その加護によって作られた以上、祠の存在は認めるが重要拠点化はさせないよう滞在制限をかけたのだと云う。
まぁ、何にせよ、まずは祠を建ててくれた人間に挨拶しに行くのが筋だろう。
鵥鳴女の為に作られたのだから彼女が代表者として、祭られる者として顔を出すべきだ。
九州への出立前日に頑張れと声をかけたら「柄じゃねぇです」と照れながらも何処か嬉しそうだった。
四季に7日ずつの滞在を予定しており、これから彼女には何度ものトンボ帰りを強いる事になる。
その上であちらの活動は彼女をメインに据えていくから仕事はぐんと増えてゆく。
肉体はないが精神は疲れるのだ。
土地の祖霊との交流などで信仰が祠を元に集積するまで霊力も安定すまい。
無理しないで良いからコンディション管理には気をつけて欲しい。
翌日、彼女の門出を一族総出で祝福しながら見送った。
境内から姿が見えなくなるまで手を振っていた私は、
山犬に跨ってこの辺りで最も高い山の山頂へ登る。
途中で修行に勤しむ修験者に挨拶したりしながら、私の『全て』を見渡せる場所へ。
初夏、太陽は眩しく雲は日の光を受けて白く輝いているようだ。
そして山犬のどこまでも響くような遠吠え。
音は山彦となって跳ね返り、山全体が声を上げているように感じた。
……鵥鳴女、いってらっしゃい。
山犬の遠吠えで好戦的な妖怪が殺気立ったとか喧嘩が発生したとか。
……無用な行動は慎んでくださいと雉鳴女に怒られたのは余談である。




