はんせい……日出づる国の神様
「杜人綿津見神、此の度の招きをありがたく思います」
豊受媛神の来訪から半月ほど経って。
猿田彦、ではなく豊受媛神の先導で
朝焼けを背に、天照大御神は伊勢より杜人の地へ渡ってきた。
なるほど、美しさと可憐さの黄金比と言うべきだろう。
私は思わず目を奪われた。
ただそこに立っているだけでも惹かれてしまう強烈な存在感。
周囲へ溢れ出る暖かな神気は安心を与えてくれる。
絶対的な何かを感じさせる女神。
これが大和の最高神位、天照大御神か。
……しかし、言い難いのだが、
澄ました表情も不安を隠すためのようである。
本来ならもっと神々しく差すべき朝日もどこか力が無い。
これは彼女の精神状態が影響しているのだろうか。
初対面でかなり失礼な感想なのは理解していたが、
随分とまぁ、わかりやすい神だと私は思った。
神社での会談は天照の謝罪から始まった。
その者の前に立ち、正面から瞳を合わせ、頭を垂れ、謝意を示す。
まずは神の都合に付き合わされた森戸家へ。
次に思惑を押し付けんとした私へ。
最後に皺寄せを受けた鳴女へ。
三度、ゆっくりと。
泣き出しそうなのを堪え、ふるふると表情が揺らいでいた。
面と向かう事で後悔が蘇っているのかもしれない。
しかし、泣いて情に訴えるのは卑怯であると己を戒めているのだろう。
精一杯の強がりは功を奏したのか、雫が零れることはなかった。
それから今度はそれぞれに
ありがとうございました、と。
三度、ゆっくり頭を下げる。
私は天照に対してまだまだ言わねばならない事があるが、もう特に隔意はない。
長く生きてきたのもあって、わりと柔軟に受け止められるものだ。
けれども短い生を持つ人間は感情の生き物。
人間である森戸家はこれに納得できたのか心配だったが大丈夫らしい。
まぁ、旅立った彼らの功績に対する報酬がそれを慰めたのもある。
私が身内を大切にしているからか、
死んでいった先達をきちんと評価してもらえれば十分だと言う。
人間側の報酬は以下のもの。
直接的な金銭と、以降朝廷からの派兵要求に対する拒否権。
そして森戸家の土地拡充、京、堺、伊勢に小規模ながら土地の保有が認められた。
全国で土地が無いと御家人や幕府が唸っている中、かなり破格の報酬である。
私達神霊側はこのようになった。
杜人の地は天照大御神の名に於いて大和神霊の行き来に申請が必要になった。
これで不意打ちや戦争目的で侵入すると天照側から厳罰が下される。
天照の性格上、どこまでやるのか心配であるが天照を敵に回すとあれば効果は見込めるだろう。
そして、一通り天照が果たさねばならぬ義務を終えた後は小言の時間だ。
では今回の大き過ぎる一件について、と前置きをして私は彼女へ説く事にする。
大神ともあろう者が視野狭窄に陥るとは情けない。命令を下したのは天照本人であり犠牲に関してはさっきのように報酬で報いればいいわけで。変に感情移入した挙句に碌に考えもせずに宣戦布告とは上に立つ者としては浅薄が過ぎる。そもそも下調べの段階で粗が目立つ。鳴女離反をここで言うのは筋違いだが代替となる組織構築を怠っていなかったか。大昔からずっと気になっていたので言わせてもらいますが、大和神霊は私が獅子身中の虫であると認識していたのか甚だ疑問です。実際、考えていなかった気がしてならない。ここ二百年でそれは特に顕著だ。おそらく大和神霊の弱体によるものもあるのだろうが甘えが見て取れる。私は自分の範囲を守れればそれで良いとしか思ってなかったわけですが、もしも私が野心家であったならばどうだったのか。権益を安易に譲りすぎていはいませんか。そういう相手を調べないというのは怠慢もここに極まれり。武力ではなく情報こそが組織の長を守る鎧で矛なのだから軽んじてはいけないでしょうに。大和勢力は人材の豊富さと精強さこそが要だったと憶えていますけれど、今それが失われていっていることを嘆くだけでなく具体的な行動を起こしていますか。何となくの想像であるので違っていたら謝りますが仏教を認めるに当たっても子孫に推されて感情で決めている気がします。結果的に当時の民の安堵や神秘に対する考えの多様性を生んだのは悪くなかったとも思えるけれども。その後の全てを予期しろとは言わないが、その時の吟味を疎かにしてるように思えてならない。他にも…………それで…………を見据え…………だから…………もっと…………部下…………
自分でも溜まっていたのか、気がつけば日が沈み始めていた。
途中から雉鳴女と鶫鳴女も一緒になっての説教大会。
随分と長くなったものだ。
終始、天照はポロポロと涙を溢しながらも真剣な表情でこちらを見つめていた。
私達の言葉の雨が終わった今も、説教を胸に今後を考えているのだろう。
……正座が辛いのかプルプルと兎の様に震えているので台無しだが。
浮くなり、霊性を強めるなりで正座程度どうでもよくなるのに……。
おそらくは戒めとして、自虐も含めてあえて痛みを受けていると思うのだけれど
何度か崩しても良いと言ったが頑として受け入れなかった。
なんというか、こうなると見ているこっちが止めてあげたくなった。
まぁ、私達が居ると崩しにくいのもあるかもしれない。
静かに考える事がお有りでしょう、と鳴女と共にソッと席を外した。
当主と土地管理で話さなければならない事もあるし。
ちなみに、説教には豊受媛神も付き添っていた。
部屋から出る際に横目で窺うと、胡坐のまま魂が抜けたように呆けていた。というか煤けていた。
外に出ると野次馬に集まってきたのだろう、
祖霊、地霊、妖怪も含めて神社周辺の山まで大賑わいだった。
天照の名は良くも悪くも此処では有名だ。
私は何百年も大和神霊と友好ではあるものの一線引いた関係を保っていた。
お互いに少々の警戒を抱きながら基本的に不干渉だからそうできたのだ。
それを一方的かつ派手に破ってくれたのが天照大御神。
噂好きな妖怪などがここ30年ほどの私が悩む様を広めていたらしく
事態の認知度は非常に高いわけで、一目その元凶を見てみようと祭りのように集まってきたわけだ。
ざっとどんな顔ぶれかを確認していたら、
神社の中に居るというのに天照の神気に中てられて従属しそうになっているものがチラホラ。
これは一種のカリスマと呼んでいいのだろうか?
無自覚、無意識的に、理不尽と言えるほどに他者を惹き付ける太陽。
妙だと思い山犬と共に気を張って原因を調べると
霊的に安定する力場が天照を中心に発生しているようだ。
さしずめ歩く霊脈とでも言ったところか。
天照の性格にそぐわぬ高い地位は、この体質で担ぎ上げられた物に思えた。
どこか抜けた所のある彼女を支えてあげたいと周囲は奮起したのだろう。
人が集まり、神が集まり、自然とそうなっていったと思われる。
その事に、少し悲しいものを感じた。
今日はそれで一先ずの終わり。
天照大御神と豊受媛神は杜人神社に泊まる事になった。
事が大きかっただけに一朝一夕で済むとは思って居らず、泊まり用の御社を建設中だったが
完成するまで後二日はかかるらしく、それまではこうなる。
寝所を共にするわけには行きますまい、と雉鳴女の進言から
私は綿津見神社もあるのでそちらに寝泊りとなる。
お互いに睡眠が必要なわけではないが身内だけで話し合える場所は必要だろう。
鶫鳴女に二柱の世話を任せ、私は雉鳴女と共に山犬に乗って海に向かった。
分社があって良かった。
私の前に座る雉鳴女が小さく呟いた気がした。
確かに、分社があって助かった。
これからは大和神霊との付き合いも深くなる。
そういうお客様用に仮宿があると便利だと思いながら、山犬は夕闇を駆けていく。




