かいだん……何故今へと至ったか
「いやいや驚かしたようで悪かったね」
豊受媛神が悪びれた様子もなくカラカラと笑いながら部屋へ入ってきた。
惜し気もなく晒されたすらり美しいその肢体。
今は雉鳴女に渡された小袖と袴を纏っている。
まったく、先程まで戦準備に緊張していた私が馬鹿のようだ。
既に戦意は失せ、流れは彼女が握った。
騙まし討ちも何も無いと、真に正面から裸でぶつかって誠意を示した。
狙ったのだとしたらこの上ない策士なのだろう。
……なのだろうが、豊受媛神は何も考えていなかった気がしてならない。
自然に、最短で、事態の急所へ辿り着く。
真っ直ぐ芯のある人物はこういう妙手を無意識に出すものだ。
自分の意思を信じる心。
それはどこか祝福に似て、世界に働きかける力があるような気がする。
『そう在るべし』と意思を貫く者を様々な偶然が手助けする事は珍しくない。
ましてや存在の強い神霊ともあれば言わずもがな。
さぁ、話を聞こう。
話し合いという名の情報交換、現状確認はスムーズに進んだ。
戦いに来たわけではない豊受媛神と、
戦いたくない私だから当然の帰結だろう。
今回の問題は地盤を安定化できていなかった天照大御神が、
信仰を求める戦神の矛先になりかねない杜人の地を遠まわしに守ろうとした事から始まる。
正直、そこまで狙われている意識はなかったのだが、
側に控えていた雉鳴女に確認を取ると影ながらそういう噂もあったらしい。
諏訪大戦の再来となれば弱体した戦神達も共に滅びる危険があるので天照は阻止したかった、と。
それは完全に善意であり、多少の打算はあってもお互いに益があるように動こうとした。
守ろうと思った最初の理由はなにか。
豊受媛神曰く、杜人の地にある神と人の関係が懐かしく思えたからとの事。
昨今の神霊弱体化にも悩んでいて、もしもの時に大和神霊を引き継げる器を私に期待していたらしい。
そこで目下外患である蒙古に目を付け、周囲が納得できる実績を積ませる意味で日本防衛を依頼。
杜人一族の能力があるならば、ある程度の援護で達成は可能だと思われたわけである。
ところが、誤算があった。
私が動けぬ事は知っていたが山犬まで防衛戦に向かえないとは思っておらず
遠隔地で行動するために用意している眷属や式、使い魔の類だと思い込んでいた。
山犬は共に王樹様の力を受け継いだ同盟者のようなものだからなぁ。
私が生み出した存在ではないし、同じ力に根ざしているから同様に縛られているけれど
存在としては厳密に言うと別個で、命令にも逆らえるし私を殺す事だって可能な力の持ち主。
この勘違いは古事記、日本書紀の時期に書かれた古い記述からしか情報を取っていなかった事が原因。
まぁ、天照を弁護するなら、当時の私は雉鳴女にも鶫鳴女にもそこを教えておらず
彼女等が大和に残した資料は実測した能力や系譜ではなく推定されるものに留まっていたのが一点。
そして、鳴女を手放した時期から情報網の再構築を迫られたのと
私の身内となった鳴女の機密性の高さでそれ以上の情報を得られなかったのはある。
九州に行くのは森戸家精鋭と鳴女だけ、と天照が知ったのは出発してから。
もはや中止とは言えない。
天皇に命じて勅命まで出させた以上、コロコロと言葉を違えるのは許されない。
権力は実行される重みが無くなった時点で意味を成さなくなるからだ。
そして、天照の誤算その二。
鳴女までもが半分縛られた形になっているとは思いもよらなかった事。
これは私達もつい百年程前に気付いた問題で、
弱みとなるため外部へは秘匿していたから知らなかったのは当然。
この点に関してはお互いに不幸だったとしか言えない。
豊受媛神もこれは初耳で驚いていた。
雉鳴女が何かに縛られ弱っている様にはまるで見えないという。
むしろ昔より安定してるんじゃないか、と不意に近づかれ困惑する雉鳴女の
手や腰を触ったり顔を覗き込んだりしていた。
距離で影響を受けるから地元では十全である。
存在が安定するように気を使った結果そういう風に縛られたのだ。
私がそう言うと豊受媛神は声を上げて「良かったな雉鳴女」と笑う。
何が良いものか、その負担は幾つもの犠牲を生んだのだと流石の私も怒った。
彼女達の自由は私によって制限されているのだ、と。
すると、豊受媛神はそれは悪い事を言ったが、と前置きをして語り出した。
「生きていくため飛ぶ鳥には、止まり木が必要なのさ。
帰らなきゃならん場所がハッキリしてるのは良い事だよ。
お前の嫁は、それが嫌だと言ったかい?」
……そもそも雉鳴女は私の女房でもないのだが。
まぁ、彼女を妻とできるなら、
他に代え難い最良の伴侶となるだろう。
それは間違いあるまいが……。
脱線した話を元に戻すべく雉鳴女からも何か言って貰おうとしたが
妙な流れに頬をぼぅっと上気させ、使い物にならなくなっていた。
彼女はこういった話に弱いのだ。
色恋沙汰を話し合いに来たわけでもあるまい、とズレた話を強引に打ち切る。
一応、天照は大宰府などに森戸への協力と応援を送る様に命令はしていたらしいが、
第一次蒙古襲来時まで危機意識が薄く、余所者である森戸は疎まれ、半分孤立状態だった。
最終的に彼女の想定よりも森戸の戦力は数段低かったのだ。
ここで朝廷の組織力低下が響いてくる。
初戦を凌げたのは奇跡だった。
二戦目からはスムーズな援軍が用意されたが、トップから一本化した意思疎通、
そして問題意識の共有があれば援護はもっと容易かったろう。
それでも森戸家は役割を果たした。
数々の誤算や見通しの甘さで被害を大きくしてしまい天照は心折れそうになっていたが
三人も生き残ってくれた事を我が事のように喜んでいたらしい。
無謀な死を課させてしまった罪の意識を軽くできたからだろうか。
そこへ最後の誤算、森戸暗殺が追い討ちをかけた。
御家人の暴走は幕府の手綱を握れていないのもある。
仏教の政治力を牽制できず朝廷の存在感が薄れていたのもある。
初戦で望むように報酬を出せなかった幕府への不満と、
余所者を妬んだ者共の暴走は、天照にとって己を刺す刃に等しかった。
不利を強いて、援護も遅く、最悪の状況下で守りぬいた者に対するあまりにも酷い裏切り。
それを生み出したあらゆる要因が天照自身である事に、断罪を求めた。
私への宣戦布告は、心が追い詰められたが故の逃避行動か。
憎まれる事で、傷つけられる事で、
誰よりも天照大御神本人が救われたがっている。
細かい部分に至るまで全てを話し終え、
私と豊受媛神と、ようやく再起動した雉鳴女は瞳を見合わせて声を揃えた。
難儀だ、と。
豊受媛神が今回来たのも、止める間もなく天照大御神が宣戦布告してしまったから。
何でも、慌てて眠り薬を用意して伊勢神宮に閉じ込めてきたらしい。
外宮の人間も無理矢理にかき集めて封じたから帰る場所が無いかもしれないと彼女は笑った。
それはまた随分と無茶をしたものだ。
この言葉に豊受媛神は誇らしげに胸を張った。
「人も神も『大事なもの』に命を賭けて生きるものさ。
アンタも身内の為なら何だってやってやろうと思うだろ。
今のアタシはあの子が『大事』なんだ、可愛い妹分だもの」
もしも私が激昂していたならば、本当に首を差し出す覚悟はしていたそうだ。
それでも、短慮の尻拭いで死ぬ事になったとしても、
天照が何を想い行動したかを伝える為に此処に来た。
空回った善意に、何が足りなかったのか。
天照大御神が必要する視点、心構え、能力は何なのかを私に求めて。
頭を床に付けるほど深く下げ、
豊受媛神は祈るように願いを吐き出す。
「次はあの子を連れてくる。
なぁ、多くを背負う神、杜人綿津見神よ。
豊受媛神の名に於いて伏し願い申し上げる。
天照大御神を導いて、成長させてやっておくれ。
アタシはあの子の為にならない。
本来ならアタシがやらなくちゃいけないけれど、
情けない事に甘やかすだけだった。
いつまでも少女じゃいられないって事を、教えてやってくれ」
私は頷いて、
願いを受け取った。
……結局、良い姉じゃなかったのさ。
最後にそう呟いて豊受媛神との会談は終わった。
その一言の内に何が込められているか、察せ無いほど馬鹿ではない。
それは優しさしか与えてこなかった今までを振り返る、重い後悔だった。