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  杜人閑話……十三世紀伊勢『思惑すれ違い』





……罪。


そう、これも罪。


私はまた……。





「……森戸の者に関してはこちらの意図する処ではなく大変遺憾であり、

 今後はこのような事が起こらぬよう注意いたしましょう。

 報告ご苦労様でした雉鳴女、もう下がってよろしいですよ」





このような言葉で納得し動く筈もない。


目の前に平伏し、されど静かに怒り滲ませた雉鳴女。

私は彼女から視線を外せない。





それは正当な感情である。


良いのだ。

もっと怒りを燃やしても良いのだ。

今すぐ私へその憤りをぶつけても、それは正しい。


子を仲間を殺され嘆かぬ者がいるだろうか。

況や理不尽な裏切りであれば。


身体よ震えるな。

全ての結果は私に還るのだ。


しかと見届けなければならないのに……。




嗚呼、私はいつだって弱いまま。




太陽の踊り手、陽光の神子と崇められ敬われ奉られ

いつしか神と振舞わねばならなくなった千年前のあの日から

子を照らす太陽として、守る為に戦い続ける覚悟をしてきたのに。




いざ憎しみを前にすると、こうも胸が詰まるものか。




信仰に天蓋の力を得た身でありながら

情けなくもたかが一羽に気圧されている。


しかし、そのような私は許されてはいない。


『許されない』のだ。


私は子を照らす太陽でなければならない。

在り続けないければならない。



この怒りは私が齎したもの。



知らなかったとはいえども彼の神に難題を押し付けたのは私。

同じく子を愛する者へ、子を戦地に送るよう仕向けたのも私。


数多の神霊から倭を託された者として屹然と受け止めねばならない。


逃げるな、怯えるな、目を逸らすな。

一切合財悉くが私の罪である。




雉鳴女から静かに、けれど熱を帯びた言葉が発せられた。





「戦場での死ならば彼らは覚悟していたのです。

 たったあれだけの戦力で大陸を相手に回す無謀も全て含め、

 最も有り得る未来として、きっと誰も帰れぬ事を悟っていた。


 私の発案で森戸を死地に導いたのは紛れも無く事実。

 このような事を口にする資格など本来無いでしょう。


 しかし彼らは勇敢に守り抜いた、犠牲は多かったけれども、

 ……三人も、三人も生き残ってくれた!


 その彼らが迎えたこの結末は、あまりにも救われないっ!」





彼女らしからぬ激昂。

遥か昔に袂を分けた時以来だろう。





「えぇ、分かっていますよ貴女の所為ではない事もっ

 どうして杜人綿津見神を頼ったのかも全て分かっています!」





だからこそ振り上げた手の下ろし場所が無いのだ、と。

搾り出すように雉鳴女は私にそう告げた。


……一つ私には気になる事がある。





「彼の神は知っておるのか?」



「……いえ、鳴女しか知らぬはずです」





そうだ、それで良い。


世には理屈よりも優先すべき感情もある。

余計な事は心乱し苦しめるだけだろう。


その怒りは私が齎したもの。

私がこの身に刻むべきもの。


杜人綿津見神へのけじめを付けねばならない。





「よろしい、ならばそなたの神に伝えよ。

 憎しみあらば討て、私は其を許そう。

 されど日は天空に在るが理、易く非じば」





















驚きに固まる雉鳴女を強制的に退去させ、私は物思いに耽っていた。


正しさとは何か。

過ちは如何に贖われるべきか。


外は宵闇、薄雲から顔を覗かせる月に在りし日の弟を想う。


たとえ情けのない姉であろうと、月光は優しい。

優しさが、痛いくらいに胸を刺す。





「『文句があるならかかって来い』とは随分陳腐な挑発だ、笑っちゃうよ」





夜の静寂を打ち破った声は、

毎日顔を合わせる馴染み深いもの。





「馬鹿だねぇ~、天照。

 アンタは馬鹿だよ、ほんとにさ。

 長いことアンタの側にいるけど筋金入りだよ」





振り返ると豊受媛神(トヨウケビメ)が酒と杯、肴の塩を盆に載せ

呆れ果てたとばかりに深い息を吐いていた。





「泣くな太陽神、夜といえど空が曇る」





言って彼女は私の隣に腰を下ろす。

そして沈む私へ無理やりに酌をしてきた。


良い酒なのだろう、豊穣神たる彼女の酒なのだ。

鼻をくすぐる香りはそれに相応しい。






「相も変わらず泣き虫で、弱虫で、怖がりで、本当に臆病。

 それでいて偽悪的に振舞おうなんざ都合が良いにも程がある。

 アタシの時だってそうだったか、いやいや何とも懐かしいね」





……彼女の明け透けな言葉はいつだって私の心の芯を突く。


滑らかな口当たり、微かに喉を焼く酒気。

私は何も言えなくなって、視線を月に戻した。





「大和朝廷には……いや、言ってしまえば日本には

 もうまともな神霊は残っちゃいないんだろ。


 アタシの知るところ誰も彼も消えちまったに等しいものさ。

 あたかも健在と見せ掛けた神がどれほどいるか。

 土着となり土地に依存、自由は消え、振るえる神威は枯れてゆく。


 信仰を掻っ攫おうっていう戦馬鹿の良い的だからねあの国は」





どこか遠くを見つめた風に、豊受媛神の言葉は宙に吸い込まれていく。




そう、だからこそ私は頼った。

勅命を下させ、強制した。


始原の倭を思い出させるあの優しい国を直接的に私の下に付け、

日本防衛という巨大すぎる功績を以って余計な干渉を抑えさせる。

人の世界だけでなく、神側からも隔離して上げたかったのだ。


目の前の友は千年越しの郷愁を笑うだろうか。


移ろい行く世界の中で、変わらずにいたあの神に憧れを抱いていた事を。


このささやかな我侭がそもそもの間違いだったのだろう。

傲慢にも上から守ってやると言う愚かしさ。

権力を笠に着た厚かましさを私は悔やむ。




最大の誤算は山犬の神も地に縛られていた事。


杜人綿津見神が縛られているのは知っていた。


元よりその在り方からすれば容易に想像できるものだ。

しかし、動けぬからこその山犬であると思い込んでいた。

私が生み出した八咫烏のように本人の届かぬ場所を補うものだと。


鳴女と共にあの山犬の神が先頭に立てば並大抵では崩せまい。

そう甘い考えで決断したから、今の状況がある。





「行くのかい?」





杯を煽った豊受媛神は真剣な表情で問いかけてきた。

私は頷きで答える。





「なら、ここで謀反だね。

 おい私の巫女共、ざっと三日は閉じ込めておいてくれ」





……ッ!?




突如、伊勢神宮の外宮を司る精鋭が現われ

私を取り囲んで霊力を縛ろうとしてきた。


しかし、太陽が無い夜とはいえどもこの程度で私を封じれるはずがない。


そもそも豊受媛神は戦う神でも奪う神ではないのだ。

癒し、育み、生む神である。


その意図は……?





「日本の為に生きてなくてはならない。

 けれど責任を取らなくてはならないから戦う


 ……不器用だねぇ。

 アタシはね、好きだよそういうとこ。


 わざと悪ぶってるところも、強がってるところも。

 まるで手のかかる妹みたいでさ、気に入ってる」





何を言って……、言葉が、……だせない?。





「杯にね、少彦名神(スクナヒコナ)の眠り薬さ。

 古いから効果があるか不安だったが流石だな。


 天照、アンタの代わりにアタシが行くよ。

 あちらさんとは顔を合わせた事もあるからな。

 知り合いの喧嘩は見てて気分が良いものじゃないしねぇ。


 アタシが説得できりゃ良し。

 できなくてもアタシの首があれば収まるだろ」





意識が少しずつ、薄れていく。


そんな事が…許されるはずがない。


それは私の罪で、……私が戦うべきなのだ。




……だから、いくな。


おねがい……まって、……いかないで。











歩み去る後ろ姿を最後に、私は眠りについた。









※豊受媛神は天照大御神を祭る伊勢神宮の外宮に祀られる神。

 天照にわりと強引に遷宮させられたりしている。

 実は神話上かなり凄い神。高位神階の大物忌神と同神であるともされる。

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