ふるきず……互い合わせの幻痛
しばしの平穏が杜人の地に流れる。
頼朝が築いた鎌倉幕府はもはや北条氏のものとなり、
数百年前と変わらぬ政争の繰り返しを、
私は神主(森戸家当主)の報告書越しに静かに眺めていた。
……探題に協力しろ、ねぇ。
北条政子の尼将軍という渾名は伊達じゃあない。
天皇家からただの記録者であれとされている森戸家まで利用しようとするか。
武士や朝廷の監視役を創設するので森戸、正しくは鳴女衆の情報網を寄越せときたものだ。
まぁ、政権を握っている者からすると森戸は不気味にしか思えない存在だろう。
駄目元で要求を投げてみて、それを測ろうというのも分からなくもない。
北条氏ではなく、北条政子個人で見てみると
あまり皇族に対して敬意を持ってる雰囲気ではなくそれに繋がる者にもやや敵対的。
森戸は身分的なもので言えば天皇の脇辺りにある……が、しかし
自治を越えた政治力を使えば一族死罪になる権力だから警戒しなくとも良いのに。
当然、不可だ。
鳴女教育を受けている神主や巫女達も、協力反対で一致している。
確認のために一応文書を回してもらっただけなので返事はもう済んでいるはずだ。
過保護になりすぎるのは今後によろしくないからと家の殆どは彼らに任せている。
二つ目の案件に目を通す。
私達神霊が動くのはこういう場面だろう。
『南海地震』の最終報告。
日本は世界有数の地震大国である。
火山が多い上に複雑怪奇に大陸プレートがひしめき合った直上に位置している。
これだけ長く生きて(?)いると大地震を何度も経験してきた。
今なら地域限定である程度の軽減できるが全てはカバーできない。
たかだか個人の力では大地、地球の力には勝てない。
今回は海底地震であり、直接的な陸上被害はなかったが
予想よりも大きな津波で少なからず被害が出た。
しかし、人的被害がゼロだったのは全て鳴女達のお手柄だ。
まず、野鳥を使った高台への誘導に民衆が素直に応じてくれた事。
これは私の信仰地で鳥類に対してある種の親しみを持たれていたのが幸いした。
そして『彼女』が遺してくれたものが、多くの家々を守り抜いた。
以前から津波に備えて鳰鳴女や祖霊衆と昔作っていた防波堤。
津波の高さが上がりやすい入り江型漁村に建設したのが功を奏している。
その時の私は必死で防備の薄い地域の波を抑えたりと動けず。
やはり鳴女の力は私の生命線だと再確認した。
報告書によると復興も順調に進んでいるようで何よりだ。
綿津見神社の脇に備えられた書斎から気分転換に外を見渡す。
良い陽気に山犬は境内で丸くなっている。
箒を片手に巫女が掃き掃除をする音が心地良い。
遠くに望む海も今日は比較的凪いでいて漁にはうってつけだろう。
しばらく眺めていると、山犬が突然飛び起きた。
祟り神が領内で発生するか何かしたのかと思ったが、
視線で『そこから動くな』と珍しく命令される。
戦いに関してはもはや山犬の方が上なので霊障は山犬の指示に従う事が多いのだが、
殺気立つわけでもなく、何故か無理やりに掃除中の巫女を口に咥えて境内から去っていった。
半泣きどころか本気で恐怖心から泣いていた巫女が哀れだ。
どんな理由でそんな目に合わせたのだろう。
気まぐれ等という理由ならいくら山犬とはいえ注意せねば。
誰も居ない境内。
私は戸を閉めて寂しくなった視界を報告書に戻そうとする。
動くなと言われたが書類仕事ならいいだろう。
そのとき、廊下がきしり、続いて障子を開ける音が鳴り、
隣の部屋に誰かが入ってきたのが分かった。
「先日の南海地震はお疲れ様でした」
えっ?
……まさか。
急ぎ振り返る私には、この薄い隔たりの先に誰がいるのか確信できる。
襖越しに聞こえた声は六百年前と変わる事なく、凛と澄んでいた。
間違いなどあるものか。
この声は、彼女だ。
「お待ちを……。
戸を開けないで下さいまし」
静止の言葉。
自然と戸へ伸びていた手を、私はゆっくりと下げる。
「文を交わすだけでは切なく、
されども顔を合わす勇気がございません」
それは私の言葉だった。
彼女には私を責める権利があるのだから。
「あの子達に勇気をもらったというのに、
我が事ながら情けないとは思いますが身体が震えるのです」
……もう彼女が何を告げるのか、私には分かっている。
「今日は……昔話を、あの日の話をしに参りました」
ええ、私も、貴方と話したい事があります。
あの日の話を、遠かれど今なお鮮明に蘇る昔話を。
ふたりで。