そうしつ……ありがとうの意味を噛み締めて
神器は無事に朝廷へ届けられた。
その功績により森戸家は政に関わらぬ代わりに幾つかの権限を頂く。
歴史の傍観者として天皇家とは違った方向で不可侵の存在となったのだが、私の心は晴れなかった。
鳰が散ったのだ。
支払った犠牲は等価と呼べるものではない。
林業に必要な輸送路として川は地域経済を支えている。
彼女には沼や河川といった内陸系水利を良く任せていた。
水が枯れぬよう、山が痩せぬよう、
この地を愛し、守ってくれていた彼女。
いつもの薄笑いは鳴りを潜め、強張った表情で報告に来た鵥の姿に
私は喪失したものの大きさを感じた。
原因は鳰鳴女の独断専行。
壇ノ浦は本州と九州に挟まれた潮の渦巻く難海。
戦場となった其処は終戦時、怨霊の群れをも呑み込んで荒れていた。
霊力をまともに振るえない状態では成功できても危険が大きい。
水中に沈んだ神器の回収を諦める判断を下した鶫鳴女と鵥鳴女。
そんな中、鳰鳴女は故郷の為に、と強行したそうだ。
止める間もなく荒れる海へ飛び込んで、戻ってきた時には魂魄消失の寸前だったという。
報告を終え、夜空に飛び去った鵥鳴女は背中で泣いていた。
鶫鳴女が頭を下げ、山犬が遠吠えで見送る。
嫌になるくらい星が綺麗な夜。
数百年来の盟友の一人が亡くなったのだ。
感傷も良いだろう。
最期の言葉は「ありがとう」か……
鶫鳴女が受け取った遺言。
鳴女の居場所を作ってくれた事
望むまま力を振るわせてくれた事。
何より、必要としてくれた事。
それらに対しての言葉だったと、鶫鳴女は私に言った。
どれだけ、その「ありがとう」に応えられていただろう。
彼女が遺した特殊な政治的中立の立場。
今度はそれに応えなければならない。
故に、粛々と時代を書き留めていく。
鳴女達が集めた源平合戦、その裏側にあったものも含めて
全ての情報を編纂し歴史書として遺してゆく。
今までありがとう。
その気持ちを込めて。
平氏を打ち倒した源頼朝は征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を開いた。
主に関東へ配置されていた武士団を家臣に取り込み『御恩』と『奉公』によって
各地方領主の力が増し、律令制国家の緩やかな解体、武家による封建制が確立されていく。
最高位の神威体現者である天皇はある種の象徴として、
武力を持つ者達による武家社会が構築されていった。
無論、そこに行くまでに暗いドラマ、人の業が数え切れぬほどあったが、
日本はまた大きく変わろうとしているのだ。
それが善いか悪いかはまだ誰もわからないだろう。
日本はこれよりどうなるのか。
私のやる事は変わらない。
政権の移り変わり、徴税制度の変更による民の混乱を抑え
自然災害の被害を軽減し作物を祝福し実り多くする。
変わる事、変わらぬ事。
私は綿津見神社から見える丘に碑を築いた。
海を望む素晴らしい展望。
通り過ぎてしまった数々の人、神、霊、妖に恥じぬように。
彼等が此処に居た事を決して忘れぬように。
これからも胸を張ってゆけるように。
ふと、記憶の中の鳰が微笑んだ気がした。
※杜人一族を歴史から切り離しました。
森戸家は記録者でありますが家長が杜人神社の神主も勤めます。
綿津見神社は同じ苗字ですが現在分家方が管理。
※新たな制約、身内の喪失。
消えた神霊は一体どこへ行くのか……