しんぶつ……己が仏の背比べ
伝来からおよそ四百年、仏教は随分と市井に馴染んでいた。
神に参ってきたのと同様に、今では仏を参る事も当たり前となりつつある。
最澄が天台宗を。
空海が真言宗を。
法然が浄土宗を。
仏教といえど画一ではなく多様性を持ちながら成長している。
そこまでなら問題も何も無いのだが、少々困ったことになった。
山を挟んだりしているとはいえ都に近い土地柄、多くの寺が領内に築かれている。
信仰を得るにはある程度人が集まる都心部に建設するのは当然なのだが、
異なる宗派の寺が隣接していたりするのだ。
そこに私の神社や祖霊の小さな社、祠などがゴロゴロあるので
宗教的カオス地帯と呼ぶに相応しい有様。
私もここまできたら仏教が広まるのを阻害する気はないし、
寺社建立に関しては積極的に協力してあげたわけだが、
お互いがお互いを貶すネガティブキャンペーンが発生しているのは見過ごせない。
仏の教えがあーだこーだと我を張っていてそれぞれの信徒で仲が悪いのだ。
仲立ちしようにも「神が仏の話に口を出さないで頂きたい」と取り付く島も無い。
この言い分に山犬や祖霊衆が殺気立ったりしてそちらを宥めるにも労力を使う。
確かに人間同士の話であるし、人間側の霊的武力の源についてだから
神が横槍を入れるのも無粋だとは思うのだが、争う理由が理由なので止めざるを得ないのだ。
その理由とは、寄付について。
朝廷側も護国鎮護に仏教の力を借りようとしている以上、
当然それなりの資金援助は勿論、神職者の税の免除等々の援助を行なっている。
けれども、経典や仏具を新調したり揃えるには中央都であっても結構な金額だ。
果ては流行りとして唐から運ばれた仏具が良いだのブランド志向まである。
仏像に至ってはその寺の建築費に比類するレベルのものも。
まず形からピシっと決めねば、と思うのが日本人らしいというか。
生半可な敬意では失礼に当たると伸ばされた背筋の分、何かと物入りになる。
そこから仏事で対価(お金、作物など)を取るようになったのだが、
己の宗派の人間からしか徴収できないのに、ライバルの寺が近くに幾つもある。
もうここまでくれば信者の奪い合いが発生するのは自明の理。
これが前述のネガティブキャンペーンに繋がっているわけだ。
この問題で重要なのは振り回される民衆が最も可哀想である事。
Aという宗派とBという宗派の両方から寄付をせがまれるとまず断れない。
まだまだ安定していると言えない日本は今も神秘に頼ったり縋る事も多い。
閉鎖的な村環境から神や仏を必要無いと言えば他の村民から白眼視されかねないのだ。
そうなると支払うしかなく、民を守るはずの仏の名が民を苦しめる原因になってしまっている。
寺側の言い分も分からなくもないのだ。
仏教が深く浸透してきた為、各宗派で門徒が増えた。
寺の規模を維持発展させるには金が掛かるのもしょうがない。
かといってこのまま険悪な関係が続けば最悪武力衝突までありえる。
私も習合されている神霊やその分霊に融和をお願いしてみたが結果は芳しくない。
朝廷に寄付の二重取りや信仰の強制などが罷り通っている現状を報告し
これが腐敗の温床となる前に対処すべきであると国司の権限を強めるよう要望しているが
何年経っても改善に向かっているようには思えない。
朝廷側も最近は仏教の持つ政治的圧力を疎ましく思っているようなので
いい加減に重たい腰を上げてくれると良いのだが……。
神が仏の事に頭を悩ますハメになろうとは。
中央貴族も情勢が怪しいと都の鶫鳴女から報告が来ている。
歴史など殆ど覚えてはいないが、そろそろ時代が動きだす何かが起こるに違いない。
霊的な物事はやはり私が解決するべきなのだろうが、
いやはやどうして人間を芯に据えられるとこうまで難しくなるものか。
先の様に祟って無理やりに言うことを聞かせるのは避けたい。
あくまでも抑止力の一つとして見張る位置にいるべきだと思う。
嗚呼、悩ましい。
※日本の悪習そのいち村八分。逸脱したものが嫌いな日本人。
村の掟とかで明文化される理由はきっと宗教とかにあったのではと妄想。
※堕落してたのも大きいが仏教は後に武力まで持ってしまうため、
戦国武将にとって厄介な敵勢力となった。