わざわい……祟りとその顛末
御左口様、動かず……。
正確には、協力の姿勢を見せたものの群体の弱点である行動の鈍さで
仏教推進派の政治的攻勢を急ぎ食い止めなければならない『今』を防げなかった。
意思の統一に時間を掛けすぎたのだ。
すでに仏閣の建立計画が国家主導で複数動き出しており、
これは国津神の協力を得る為、中央を疎かにした神道派の完全な出遅れ。
焦りが神道派を包んでいった。
……それが悲劇を引き起こす。
突如、大規模な飢饉、疫病が東から西まで覆った。
原因は中小の神霊。
焦りや不安から暴発し、祟り神に堕ちて猛威を振るい始めた。
それは己を信仰してくれる人間をも巻き込んで死を撒き散らす。
それに呼応してか御左口様が最悪のタイミングで動く。
黒蛇、黒鳥、黒獣。
呪いが形を成し日本を駆け巡る。
神が、真に祟るとはこういう事なのか。
作物は碌に育たず、天は荒れ、地は腐り落ちていく。
この世の地獄。
水鏡に落された墨汁に似て、澱みは伝播していき、
民草は恐怖から祟り神へ畏怖を捧げるではなく遠ざかり
新たな救いの『概念』、仏教に逃げ込み始めたのだ。
当然、私の信仰領域にも影響は大きく、多くの祖霊を呑み込み混乱を生んだ
保存食の備蓄も蟲害や呪詛に侵されまともな状況ではなかった。
こうなると、必死に微少な地霊に至るまで全てを宥め、鎮め続けるしかない。
御左口信仰の力は伊達ではなかった。
誇張でも何でもなく、本当に日本を覆って余りある力の集合体。
知っていたはずなのにそれでもまだ甘く見ていた。
人知及ばぬどころか神知すら見通せないほどに、それは圧倒的だ。
幸いにも御左口様の力は海にはそれほど及ばぬようで、
新米の海神として食糧供給の元を絶たせぬよう沿岸部の集落は完全に守りきった。
私と共に呪いを弾く事のできた山犬は食糧を運んだり
流入してくる祟り神を祓う為、息つく暇もないほど走り回る羽目となったが、
他国と比べれば格段に死者は少ないだろう。
それでも、少なくない犠牲だった。
元々、神道派は国家の鎮護は今まで通り国津神に任せるべきであるとし、
このような惨劇を引き起こす気は初めからなかった。
御左口様が端末である中小の神霊から仏教への敵意を受け取ってしまい
それに勘違いを起こして祟りを広げるなど想定の範囲外。
本来お願いしたかったのは小規模な自然災害での警告と、
それを完全に掌握しきる姿を見せることで
仏教が無くとも日本は十分に纏まっていると示す事だったのだが……。
過ぎてしまった時を取り戻す事はできない。
既に民心は神から距離を置き、仏へ近づいている。
こうして日本に仏教が根付いていくのだろう。
もっと上手いやり方はなかったのか。
私はどうすれば良かったのだろう。
考えても詮無きことだった。
私はこの地から動く事はできず、手の届く範囲は限られている。
それでも、後悔が絶えないのは、雉鳴女の行方が知れないからか。
3年が経ち、平穏が帰ってきた。
けれども全てが元通りになるわけはない。
私の土地にも幾つか寺が建てられる事になっている。
別に信仰に固執する理由もないので共存していきたいが、
山犬や祖霊を祓おうとするのなら、それは容認できない。
それらに上手く折り合いをつけていかねば。
中央より追われた神霊が私を頼って流れてきている。
その部分で摩擦が起きぬよう、頭を痛めているところだ。
鶫鳴女に本日の仕事は終わりだと告げ、私は本殿へと帰った。
彼女は実に良く働いてくれている。
私がおらずとも、私の望むように動いてくれている。
その事を褒めると何故か表情を暗くするのであるが……。
もう少しで状況も落ち着くだろうし、
そろそろ休暇を与え、リフレッシュしてもらおう。
私は山犬と共に夕暮れに染まる空を眺める。
あの美しい雉は、この空の下にいるのだろうか。