まもり……幽霊は眠らない
どこか現実感を失いながら、私は呟いた。
(これは、一般的に幽霊と言われる状態なのだろうか?)
私は今ふわふわと宙空を漂いながら、自宅であった長の家、
その低い屋根の上から私の子供達を見下ろしている。
広場の中心に組まれた櫓は私の身体だったものを灰にして尚、燃え盛っていた。
眼下には孫や曾孫に玄孫まで勢ぞろいで、
私がかつて友人を弔った時のように手を合わせ、祈っている。
じっ、と炎の前に座り、祈ってくれている。
皆が皆、私の死を悼んでくれているのは嬉しくもあり、
その反面これから皆を助けられない事を申し訳なくも思う。
原始時代にタイムスリップなんて不思議な現象もあったわけで。
こういう風に幽霊になるなど予想だにしなかったけれど意外に自然と受け入れられたが……
やっぱり未練だなぁ……。
どうにも成仏なぞ出来そうにない心境だ。
ここは私の村で、私を受け入れてくれた村で、私の子供達の村なのだ。
どうして離れることが出来ようか、いや出来るはずなどない。
えいやと気合を入れると屋根から飛び降りてみる。
身体がまるでガスになったような不安定さに四苦八苦しながらそっと降り立ち、
葬儀を取り仕切っている我が息子を抱きしめた。
私に似つかぬ立派な体躯の我が息子に、立派な長として頑張ってくれよ、と最後の激励。
「……?!」
すると、急に息子が飛び跳ねるように立ち上がったので驚いた。
「父、父よッ! ここにいるのかッ!?」
息子のその声を聞いて私は酷く安堵した。
あぁ、私はまだこの子達に何かをしてやれるのだ。居てあげる事ができるのだ。
私のそんな感慨を吹き飛ばして、あっという間に葬儀は宴に変わり始める。
「皆、皆、父は生きてるぞ!」
精一杯に張り上げた声は号令となって村を動かす。
見る見る内に楽しげな歌があちこち聞こえだし、踊り始めた。
……なんともはや、現代日本から此処へ来て色々と体験したが、
気が付けばかつてないお祭り騒ぎである。
私は幽霊になった様だが、村人達にはぼんやりと存在を感じとれるらしい。
次々と私に近付いては挨拶と踊りをプレゼントしてくれている。
……とはいえど幽霊だけあって姿は見えないし『そこに居る気がする』程度のようだ。
目線が合わなかったりズレた方向に手を振ったりと、やはり霊と人の壁は厚そうである。
現代に生きていた頃はまったく感じ取れた事などなかったのでそれが普通、
むしろ科学万能な時代にオカルトなどありえないと思っていたが……
こうして幽霊になってみるとどうやら原始の時代は霊的感受性の高い人が多いみたいだ。
ずっと昔に狩りが上手い人にこつを聞いた覚えがある。
森が教えてくれた、森の声に従った、などと言っていたのを思い出した。
雰囲気だとか気配だとか見えないモノへの畏敬はこの時代を生き抜く術の一つなのだ。
幽霊になるまで信じてなかったけれども。
普段は近寄らず恐れながら避けるものらしいのだが、それが私ならば話は別で、
動かなくなった者(死んだ者)が還ってきたのが実にめでたいと村を上げてのお祝いと相成ったわけだ。
まぁ、死を恐れなくても良くなった、というのは精神的に大きいのだろう。
飢えで死ぬ事は少なくなったが、病気や狩りの失敗など容易に人は死ねるのを私は知っている。
哲学も何も無いが、死ぬ事が『終わり』だと本能的な部分で分かっているのか、
死に対する恐怖は時代を問わず存在しているのだ。
それを克服した身内がいるとなれば、自分達もそうに違いないと思うもの。
さらに、年寄りが見守ってくれている安堵感と言おうか。
私の自慢であり誇りだが、私は様々な形で村を守ってきた。
出来ない事も多かったけれども、知恵を絞り、道具を作って皆に広め、生活を豊かにしていった。
そういう実績を持つ者が死んだ後も味方してくれる喜びと安心。
それがこのお祭り騒ぎだと思うと嬉しくてしょうがない。
自分の人生を完全肯定されたのと同義だから。
「おお、父も嬉しいか!」
惜しむらくは言葉を交わせない点か。
こちらが干渉できるのは存在と簡単な喜怒哀楽を伝える程度なのが残念である。
……ま、あまり贅沢は言えないな。
こうしてるだけでも埒外の事、本来ありえぬありがたいものだとして受け止めよう。
祭り(?)が終わって日も沈んだが一向に眠くならない。
村の皆は基本的に太陽が没したら後は寝るだけである。
暗くて何もできないし、薪などの燃料を消費するのも勿体無いからだ。
代わりに朝は日の出より早いのだけれど。
何十年も続いた生活リズムが崩れると流石に少しは動揺するものなのだなと頷く。
同時に幽霊には睡眠など必要ないということを発見した。
やる事も無いし、散歩するのも良いだろうと静かになった村を散策する。
肉体が無いにもかかわらず奇妙な感覚としての五感があるようで、
慣れ親しんだ村の匂いは私の心を落ち着かせた。
正確な指標がないので体感であるが五分、十分と小さな村を歩いてまわりながら
幽霊に何ができるのかを実験してみる。
物理的に存在していないのは息子達の抱擁に応えられなかったので分かっていたのだが、
それでも試したいものが一つあった。
私は村を囲う柵の前に立つ。
……やはり幽霊としては壁抜けくらいできないとな。
齢60を越えても男は少年の遊び心を忘れない。
男は死ぬまで少年でいたいものだ……まぁ、私は既に死んでいるのだけれど。
伸ばした手は認識どおり柵に阻まれる。
それは地面に立っているのと同じく人間であった頃と変わらない。
しかし、だ。
祭りの時、子供達に抱きつくことは出来なかった。この事実との差は何であるのか。
つまりは自分が死人であり『存在していない』と意識しているかどうかだろう。
いわゆる思い込みの差、精神の持ちようこそが幽霊にとって重要だと思われる。
試しに瞳を閉じて視覚を遮断し、適当な方向へ歩いてみる。
当然どこかで家や柵といった障害物にぶつかるはずであるが……そんな衝撃はこない。
さて、どうなったのやらと後ろを振り返れば
『ぶつかっているはず』の物をすり抜けた結果だけが残っている。
訓練次第で壁抜けできそうな手応えがあった。
予想通りに『壁』だと認識しないと『壁』足りえないわけだ。
逆説的に言えば、触れるのだと当たり前に思い込めたなら子供達と触れ合えるかもしれない。
幽霊に寿命があるのか分からないが、可能なら今年の農作業を手伝えるようになりたいな。
そんな事を村の入り口付近で考えていると、視界の端で何かがゆっくりとこちらを窺っていた。
あれは……山犬か!
今日の宴は皆で羽目を外して飲み食いをしていた。
幾らかの食べ零しだとか残飯の類を狙って山から降りてきたのだろう。
私の生前より備えてある鳴子や柵で近づきにくくしてはいるものの完璧には防げない。
一際大きな1頭に従うように列を組み……全部で5頭もいる。
狼と犬の区別が付かないので一緒くたに山犬と呼んでいるが、
こういった群れを作るのは狼だったか?
どちらにせよ危険だ。
私が生きている時も、数年に何人かのペースで殺されたりしている。
なんとか彼らを追い払うか、村人を逃がさなければいけないのだが……
声を出せども村人には届きはしない。
幽霊となったばかりの私にはたったそれだけの行為も許されてはいないのだ。
祭り騒ぎに大はしゃぎした村人が全員熟睡しているであろう事も向かい風。
物色する歩みの先には家がある。
私の村の、私の大切な子供達が居るのだ。
やらせるものか。
頭がカッと熱くなったのを感じると後は早かった。
私は生前ではとても出せないだろう勇気を振り絞り彼らのボスの前に立っていた。
ここは通らせない。
ここを通らば呪ってやる。
山に帰れ。
ただそれだけを考えながら感情を漲らせる。
すると山犬の群れはこちらに気付いたのかピタリと目の前で足を止め、唸りながら威嚇してきた。
……が、しばらく睨みあいを続けると諦めたのか踵を返し山へと帰っていく。
途端、体中から力が抜けて私は座り込んだ。
恐怖と安堵が混ざり合った複雑な気分にドッと疲労感が込み上げて、立っていられなかった。
幽霊でも疲れるのだな、と何処か他人事に考えながら先ほどの危機を振り返る。
危ない賭けだった。
しかも危ないのが自分ではなく子供達の命なのが怖かった。
野生動物は雰囲気、気配に敏感だ。
それはいつ襲われるか分からない野生を生き抜く為に必要な技能だから。
姿の見えない敵意剥き出しの存在を警戒してくれるのかどうか。
上手くいく保障も何も無かったのだが、ほんとにどうして。
村を守れてよかった。
この一言に尽きる。
夜は幽霊の時間。
当面の夜警をとりあえず自分の居場所にしよう。
こうして、私は幽霊になっても皆の為にできる数少ない仕事の一つを見つけた。
※人間(一般人)が勝てる動物はおよそ体重30kg以下の動物まで。
中型犬が複数匹いたら素手では殺されると思います。