杜人閑話……現代失恋紀行文『寂れた神社の鶫さん』
男には、ふと、旅に出たくなる時がある。
……失恋という情けのない理由なのだが。
土日合わせて5日ほどの休みを取れたので、私はあの場所を訪ねてみる事とした。
3年前、恋人と一緒に巡った淡い夢、和歌山合神祭。
遠いからという理由で当時は杜人神社までは行かず、
麓の綿津見神社しか見ていないかった。
なのでブラリと思い出を巡りながら今度はそこまで足を伸ばしてみようと思う。
今では気を使う相手もいない。
微妙に交通の便に難があるので人に気を遣わなくてすむ。
一人の気楽さというのは存外悪くないものだ。
傷心旅行なんてものでなければ。
少し切なくなった。
最初の一日で思い出の辛さから宿に引篭もりそうになる。
失恋の思い出巡りは致命傷にしかならないと知った。
本当は四日目の予定だが明日は杜人神社へ向かう事にする。
……翌朝。
50分に一度のバスに揺られて、県道を北上していく。
整備の行き届いた林だというのが車窓からでも分かった。
この辺りは林業が未だに盛んだ。
質が良く、高級な国産檜材の産地としてブランド化しているんだったか。
ちょっと前にTVでやっていたな、と思い出した。
『芸は難波で大工は杜人』なんて言葉もあるらしい。
難波は地名だが、杜人はここの神様の名前、モリヒトが訛ってモリトになったらしい。
大工が腕を競い始めたのが神輿作りだったのを由来とした言葉なのだそうだ。
私が見た神渡り神輿は山神輿であったが、あれは確かに見事であった。
今の神輿は戦後の、最も苦しい時期に作られたものらしいが何処にも粗末さなどない。
装飾は最低限の飾り彫りだけ、青森のねぶたなどと比べると初めは地味にも思えたが
男達が担ぎ上げ、宵闇に松明の灯り道を行く姿はまさに神を運ぶに相応しい神々しさだった。
宮大工の修行の地としても有名なのも頷ける話だ。
しばらくバスに揺られているとようやく目的地に着いた。
正確には目的地の手前なのだが。
バスの駐車場からは鳥居に続いて木々に覆われた参道が見える。
この先が杜人神社か。
緑のトンネルは意外と長かった。
登り道なのもあってそう感じたのだろう。
数メートルごとに石段が積まれていてそれなりに登った。
思わず額を拭った手で、じっとりと汗を掻いているのに気が付く。
けれども、不思議と不快には思わなかった。
信じてはいなかったが、これが森林浴効果なのか。
妙に頭はスッキリするし、
木陰特有の湿気混じりな冷たい空気が気持ちいい。
近頃運動不足だったのが解消されただけかもしれないが、
こういう幸せな思い込みは人生を楽しくしてくれる、と信じている。
そして頭でゴチャゴチャ考えてしまうこの癖は、間違いなく人生をつまらなくしている。
彼女に振られた理由も「理屈っぽい」だったし。
ようやく見えてきた最後の石段。
登りきり、鳥居をくぐって最初に感じたのは失望だった。
苔むした石畳の先に、こじんまりとした神社。
合神祭は全国有数のお祭り……だったと思う。
その担い手がこんな寂れた神社だとは、微妙に拍子抜けする。
……祭りの経済効果が大きかったから地元企業の為に続けてるだけなのかね。
往々にして期待し過ぎるとがっかりするものだ。
残念だがこれもそういった一例に当てはまってしまっただけ。
そんなものだろう。
こっちが本社と聞いたが分社である綿津見神社の方が規模が大きいのではなかろうか。
周りの草木の生え具合をみると最低限の掃除以外は放置されているように思える。
まぁ、良く言えば自然に溶け込んでいるように見える、と。
そんな事を考えながら私はデジカメのファインダーに全景を捉えた。
手水舎で濡らしたハンカチで汗を拭う。
冷たさがありがたい。
とりあえず神社に来たのだ。
ならば参らねば。
境内を進むと何やら視線を感じ、足を止める。
横を振り向くと私は思わず身構えてしまった。
……狼!?
そう反応したのも仕方ないと言えるほど、その石像は生きているようだった。
低く地に伏して睨み上げ、歯を剥き出しに唸り声すら聞こえる気がする。
なんという迫力だろう。
これが本社の山犬像か。
近づいて深く観察してみる。
逆立った毛並みまで細やかに掘り込まれている。
風雨に晒されていたと思えないほどに雨で削れた跡や溶けた跡が殆ど無い。
分社にあった像と同じポーズではあるが、あちらは随分と丸く感じた。
その部分の差なのだろうか。
しかし、苔や砂汚れは確かに台座にこびり付いている。
この像だけが新しいというわけではない。
本社の像が後から作られたなんてはずは無いだろう。
その不思議さに首を傾げながら山犬の頭を撫でようと手を伸ばす。
途端……、反射的に手を引いていた。
何故だろう、間違いなく『咬まれた』と思った。
これは石像で、動く筈のない物体で、それなのに……。
まじまじと自分の手を見る。
何の変哲もない、少し汗を掻いただけの、自分の手。
こうして無事な事がおかしいとさえ思うほど鮮明な白昼夢?
「あまり、その子に触れない方がいいですよ」
背中からの声にハッとなって振り向くと、
白と褐色の巫女装束に身を包んだ女性がくすくすと笑っている。
「こんにちは」
続けて挨拶してきた女性になんとか答える事ができた。
この神社の巫女、だろうか。
巫女服と言えば紅白のイメージがあった為か白と茶では地味に見える。
山の緑には奇妙なほど馴染んで見えたが……。
唐突な人物の登場に少し思考が乱れたが、
私は先ほどの言葉が気になって仕方が無かった。
……『触れない方がいい』?
「はい、触るなというわけでは無いのですけど
山犬は杜人様と鳴女以外に触れられるのを嫌がるんです」
嫌がるとは、まるでこの石像が生きているような口ぶりだ。
たしか山犬は杜人神の第一の眷属。
嫌われたりしたら神社のご利益がなくなったりするのだろうか。
神社なのだ、そういうジンクスの類は守るべきだろう。
杜人様がここの祭神である杜人綿津見神なのは知っているが、
『ナキメ』とは一体何なのだろう。
「あぁ、巫女だと思ってくださって結構ですよ」
字は鳥の鳴き声の『鳴く』に『女』と書くらしい。
神様に声を届け、また神様の声を皆に届ける鳥の女の意味らしい。
なるほど『巫女=鳴女』という事か。
この神社特有の仕来りか何かからくる名称の違いのようなものだろうか。
名を聞くと「私は鶫です、鶫の鳴女」そう答えた。
鶫さんと、今日は居ないらしい神主さんの2人でこの神社の管理を行なっているそうだ。
確かにこんな山奥で、小さい御社とはいえたった2人ならこの有様も頷ける。
聞けば、立地の悪さもあってかなり昔から分社の綿津見神社の方がメインで
こっちは本当に神様の帰る場所というだけらしい。
神様の帰る場所、という例えが微妙に分からなかったので
仕事場と家みたいなものかと聞くと「そんな感じです」とのことだった。
私はお参りを済ませた後、
神社に上がらせてもらいお茶を頂いていた。
……凄くおいしい。
心が落ち着く。
日本人はもっとお茶を飲むべきだと思う。
私はどうせもう二度と会う事はないのだからと、
今回の旅の理由を鶫さんにポツリポツリと話した。
恋人に振られた事、その事への愚痴や恨み言も全部。
彼女は親身になって私の話を聞いてくれた。
ささくれた心が癒されるのを感じる。
同僚の慰めよりもやはり可愛い女の子に慰めてもらうほうが良いに決まっている。
話し終え、スッキリしてそう言うと鶫さんは心底可笑しそうに笑った。
「うふふっ、私が女の子ですか、ふふっ」
何か変だったろうかと尋ねると「私は貴方より年上ですよ」と返された。
……正直そうは見えなかった。
私は童顔だとはいえ26歳、それはないでしょうと年を教えても
彼女はまだ可笑しそうにコロコロ笑っている。
鶫さんは年を多く見積もっても20台半ばにしか見えない。
下手すれば高校生と言って通じる気もする。
何歳なんだろう?
少女の様に笑う彼女はミステリアスな魅力を感じさせた。
……恋人とか、いるんだろうか?
私は残りの日程を全てこの神社に通う事に費やしてしまった。
この旅行で知った事は、3つ。
・別れても思い出は辛く刺す事。
・鶫さんは一人身だという事。
・私の恋がまた始まった事。
きっと私は世界中の誰よりも合神祭の日を待ち望んでいる。
※これから巫女さんに恋をしたおにいさんのドタバタラブコメディーが……
非常に残念ながら始まりません。……誰か続き書いて(ぉぃ
※現代の杜人神社の様子です。
寂れてますが実際に神事をやってたりするのは綿津見神社の方です。
一応こっちにもお参りできるけど殆ど分社でお願いシステム。
神社としてそんな在り方で良いのか疑問ですが、
祭神本人が良いと言ってるから良いのです、多分。