第一話:公爵家の「無能」令息
視界が、不快なほど白い光に塗り潰されていた。
目の前には、僕の胴体ほどもある巨大な魔導水晶が、仰々しい台座の上に鎮座している。ベルシュタイン公爵家の嫡男として生まれて五年。今日、僕は二度目の人生における最初の、そして最大の「査定」を受ける場に立っていた。
「……アルフレッド様。それでは、ゆっくりと手を。恐れることはございません。精霊様は、清らかな魂を好まれますから」
震える声で促したのは、王宮から派遣された一級鑑定士だ。その顔には「公爵家の嫡男なら、さぞかし強大な光を見せてくれるだろう」という、卑屈なまでの期待が張り付いている。
背後からは、父であるエドワード・ヴァン・ベルシュタイン公爵の、氷の楔のような沈黙が突き刺さる。広間に集まった家臣や親族たちの視線は、熱を帯びた好奇と、隠しきれない選別意識に満ちていた。
(……やれやれ。前世の終焉も、これくらい静かだったっけな)
僕は内心で小さく吐息をついた。
前世の僕は、国立大学の植物学者として土にまみれる傍ら、経営破綻しかけた農園や自治体を立て直すコンサルタントとして、分刻みのスケジュールをこなしていた。過労で倒れる直前、最後に見たのは、深夜三時の研究室の青白い蛍光灯だ。
今、目の前にあるのは豪華絢爛なシャンデリア。環境は劇的に改善したが、人間社会の本質——「役に立つか、立たないか」という評価軸は、どうやら世界を跨いでも変わらないらしい。
僕は、白磁のように滑らかな自分の小さな手を、ゆっくりと水晶へと伸ばした。
ピタリ。
掌が冷たい結晶に触れる。
本来、この世界における「魔法の才能」とは、精霊との対話能力を指す。
水晶に触れれば、その身に宿る魔力の属性に応じた「加護の色」が灯るはずだ。火の精霊なら燃え盛るような赤、水の精霊なら深淵の青、風の精霊なら新緑の緑。その光が強ければ強いほど、その者は「国家の資産」として遇される。
一秒。二秒。
……十秒が経過した。
魔導水晶は、ただの透明な石のまま、冷ややかに僕の手を跳ね返している。
石の中に、火花一つ散ることはなかった。
「……なっ、反応、なし……?」
鑑定士の声が裏返った。彼は慌てて眼鏡を拭い、何度も水晶を叩く。だが、静寂は破られない。
「魔力値、計測不能。精霊の加護——なし。属性、完全無。アルフレッド・ヴァン・ベルシュタイン様。……鑑定結果は、……『無能』です」
広間に、凍りつくような静寂が広がった。
直後、ダムが決壊したように、汚泥のような囁きが溢れ出す。
「公爵家の汚点だ」
「名門ベルシュタインの血も、ここまでか。弟君のテオドール様の方が、よほど見込みがあるのではないか」
「精霊に嫌われた子供など、不吉なだけだ」
隠しきれない失望と、どこか安堵の混ざった嘲笑。
父上が、ゆっくりと椅子から立ち上がった。その鎧のような重圧が広間を支配する。
「……鑑定士殿。ご苦労だった。下がってよい」
父の声には、怒りも悲しみもなかった。
ただ、使い物にならなくなった高級品を眺めるような、透徹した響き。それが一番、子供の心には刺さる刃になるのだろうが——。
僕は、深く、丁寧に頭を下げた。
顔を上げるときの僕の表情は、周囲には「絶望に打ちひしがれた子供」に見えただろう。
けれど、僕の脳内では、すでに「損益分岐点」の再計算が完了していた。
(——よし。これで『期待』という名のコストを支払わなくて済む)
僕は心の中でガッツポーズを作っていた。
魔力がない? 結構。むしろ清々しい。
魔力や精霊の加護なんていう不確定要素に頼らず、前世の『知識』という確実な資本だけで勝負できる。公爵家という最高のブランドと、広大な領地、そして自分を誰も見向きもしない自由な時間。
これだけの経営資源があるなら、わざわざ騎士や魔導師になって戦場へ駆り出されるよりも、よほど「豊かな生活」が構築できる。
「父上。結果を受け入れます。私は今後、身の丈に合った生活を送る所存です」
殊勝な言葉を吐き出しながら、僕は冷たい石畳の上を歩き出した。
誰も、僕を呼び止めようとはしなかった。
自室へ戻る廊下で、窓の外に広がるベルシュタイン領の森を眺める。
この世界には精霊がいる。それは「自然界の法則そのもの」が意思を持っているということだ。
前世の農家たちは、天候や病害虫に怯え、必死に土を耕していた。
だが、もしも。
もしも僕が「土壌の栄養状態」を科学的に管理し、さらに「精霊が喜ぶ環境」というコンサルティングを提供できたらどうなるか。
(魔法使いは精霊に『命令』し、軍人は精霊を『兵器』として扱う。……けれど、僕は植物学者だ。彼らを『隣人』として、あるいは『従業員』として遇する方法を知っている)
僕は自室の隅に置かれた、一輪の萎れた花を見つめた。
それは、給仕が「無能の令息」にはこれで十分だと言わんばかりに放置していった、名もなき野草だ。
僕は椅子に座り、じっとその花に意識を集中させた。
鑑定士は言った。「魔力ゼロ」だと。
だが、僕は生まれてからずっと、肌を撫でる風の中に、指先をくすぐる水の粒子の中に、数え切れないほどの「意思」を感じていた。
「……おいで」
僕は、自分の内側にある「透明な何か」を、そっと外に滲ませた。
それは色を持たない。形を持たない。
ただ、どこまでも澄み渡った「純粋なエネルギー」だ。
その瞬間。
部屋の空気が、キィィィィン……と高く澄んだ音を立てて震えた。
「っ……!」
目を見開いた僕の視覚に、この世界の真の色彩が奔った。
水晶には映らなかった僕の魔力——それは、精霊たちにとっての「最高の養分」であり、かつ「極上の寝床」だった。
壁の隙間から、絨毯の下から、窓の外から。
蛍のような光の粒——下級の精霊たちが、我先にと僕の指先に群がってくる。
それは一つや二つではない。数百、数千の光が、歓喜に震えながら僕の魔力を貪り、そしてその見返りとして、僕の目の前にある萎れた花に命を注ぎ込んだ。
一瞬だった。
茶色く変色していた茎が瑞々しい緑へと戻り、数秒のうちに、見たこともないほど大輪の、青い花が咲き誇る。
「……なるほど。これがこの世界の『理』か」
僕は、指先に止まった光の粒を優しく撫でた。
魔法なんていらない。精霊に好かれ、彼らが働きやすい環境をプロデュースしてやるだけでいい。
「まずは、この腐った庭園の『経営再建』から始めるとしようか」
無能と蔑まれた公爵令息は、不敵に口角を上げた。
五歳の子供の背中には、百戦錬磨のコンサルタントの影が宿っていた。




