9.家令ジェンキンスの安堵 ※後日譚の内容はここまで
「...君に初めて見えた夜」
「己の不甲斐なさを正面から突きつけられ、耐え込めてきたものを全て吐き出した瞬間、騎士としての自分を取り戻した気がした」
セリウスは真摯に言葉を紡ぎながら、あの夜の事を思い出す。
解き放たれた鮮烈な赤い髪と、獲物を追い詰めるようなエメラルドの瞳。
嘲笑うステラに心の深くまで見透かすように突き刺され。もはや燃え尽きかけた身の内を、無理矢理嵐の中へと引き摺り出されて。
「閨を共にする頃には、...火がついていた」
触れて声ひとつ漏らさぬ、強情で不遜な女。
挑発的なその態度が、火を大きく燃え上がらせた。
——そして気づいた。
全てを諦め切ったはずの自分が、今までに無いほど高揚し、消えた闘志すら感じている。
その自由を差し出したのが、目の前の女。
慰めるでもなく、癒すでもなく、火をつけた女。
彼女と共謀する内に、ふとそれを思い知った時には、...もう遅かった。
隣に立つこの“妻”が、どうしようもなく眩しく見えていたのだ。
内面を飾らず、派手に笑い、怒鳴り、すべてをこちらに曝け出す豪胆な彼女が、聖騎士を脱する目的以上の———炎の源となっていた。
「改めて誓おう。君を心から愛している。望み通り、俺は君のものとなろう」
セリウスは持ち上げたステラの薬指へと、そっと口付けを落とす。
薄い唇から体温が落ちたその瞬間、熱はぶわっとステラをみるみる真っ赤に染め上げた。
「っ、...なっ...、いや、...じょ、冗談もたいがいに...」
ステラはいきなりの事に固まったまま、途切れ途切れの言葉しか返せなくなってしまう。
な、なんだ、なんでいきなりこんなことを言うんだこいつは。
上がり続ける肌の熱に混乱したまま、ステラは必死に視線を逸らそうとするばかり。
しかしセリウスは端正な顔をわざと近づけて、ステラへと甘く微笑んだ。
「冗談で女を口説く趣味はない」
握った手のひらに、するりと指を絡める。
「ようやく“本当の夫婦”になれるな、辺境伯夫人」
「なっ...、なっ...、なっ...」
そしてひたすら甘い空気の中で「さあ口付けを」とばかりにセリウスに迫られ。
屋敷に着いた瞬間に
「やめろなんなんだお前は!!!!」
と慌てて馬車から飛び出したところを、出迎えたジェンキンスに受け止められたのである。
————
そんなあらましを思い出して少し赤くなったステラは、紅茶をずずっと啜って照れを誤魔化す。
「い、いや、でも、あたしは別にあいつの事をなんとも思ってるわけじゃないし!盛り上がってんのはあいつだし!急におかしくなられて迷惑してんだよこっちは!」
口を尖らせて並べ立てるステラに、ジェンキンスは「左様ですか」と穏やかに口元を綻ばせる。
するといきなりガチャッと扉が開かれてセリウスが姿を現し、ステラはカップを放り投げそうになった。
「わっ!?ばっ、お前!ノックぐらいしろよ!!」
浮いたカップを受け止めて慌てるステラに、セリウスはにまりと微笑む。
「そんな事をしたら君が驚かないだろう」
「よしわかった、ツラ貸せ。一発殴る」
ぐっと拳に力を込めるステラにも彼は嬉しそうな顔をするばかり。歩み寄ると慣れた様子で振り上げられた拳を受け止め、額にキスを一つ落とした。
「寝ぼけているのか?やけに精度が低いな」
「ッッッころす!!」
「日に日に罵倒が幼稚になるな。可愛らしいことだ」
取られた腕を押さえられたまま、さらに頭までさらりと撫でられてしまう。ステラはますます顔を赤くして怒鳴り声を上げた。
「こんの...ッ!!」
が、やわやわと長い指で何度も撫でられる感触が邪魔をして、全く頭が回らない。
「この...ぶっころ...ボケナス...あほクソやろーが.........」
おかげで幼稚な罵倒の繋ぎ合わせにしかならず、勢いすら次第に落ちて視線が下がっていく。
「物騒な物言いは相変わらずだな」
セリウスはくくく、と笑うと、撫でていた指でステラの顎を軽く持ち上げた。
「...どうやら、まだ躾が足りないらしい」
意地悪く金の瞳を細められた途端、ステラはひくっと引き攣ってぎゅっと口をつぐむ。
こ、これは良くない流れだ。ステラの脳裏にいつだかの“君の知らない全て”を教え込まれた夜が蘇る。
次第にじわじわと汗を浮かべて茹で上がっていくステラに、セリウスは心底楽しげに唇の端を上げた。
やれやれ、とジェンキンスがシーツを抱えて扉へと足を向けたその時。
「...ジェンキンス...!」
絞り出すような声に呼び止められてはた、と足を止める。
「...あ、朝メシは、まだか...!?」
振り返れば、ステラが全力で彼の胸を押しのけてぷるぷると震えていた。セリウスに顎を取られたまま顔だけは必死にこちらに向けて、本気の助けを求める懇願。
「...頼むから、嘘でも出来てると言ってくれ...!」
その表情の情けなさたるや、まるで首根っこを摘み上げられた猫のよう。
「ブフォッ」
ジェンキンスは柄にもなく、勢い良く吹き出した。
「...失礼。もうご用意しておりますよ。旦那様も程々に」
何事もなく取り繕って微笑むと、セリウスは「仕方がない」と残念そうに肩を落とす。
顎を手放されたステラは、っはあ〜〜〜!と緊張を吐き出すように息を長くついて、ティーテーブルへと突っ伏した。
顔を伏せたまま真っ赤になって湯気を立ち上らせる彼女の姿は、甘さに慣れぬ新妻そのもの。
まったく、これでまだ夫を「何とも思っていない」だなどと言ってのけるのだから強情な奥方様である。
「どうした、立ち上がらないのか?空腹なのだろう」
茹で上がったステラにわざとらしく手を差し出すセリウスは、妻をからかう事が楽しくてたまらないといった様子。
「...後の手合わせで絶対泣かす...」
牙を剥き出して唸るステラがセリウスの手を取ると、彼は余裕の笑みを彼女に向けた。
「さて、昨夜泣いていたのは誰だったかな」
「だ ま れ ッッッ!!!!」
ぶわっと毛を逆立てて絶叫する奥方に、ジェンキンスは生温かく目を細める。
(旦那様、良い奥方様を貰われましたね)
荒み切った主人の心を気に掛けながら、何もできない日々は終わった。
今はもう、心の奥まで噛み付いて奮い立たせる“火”が側にある。
そんな内心を告げる事なく、彼はくるりと背を向ける。扉を閉めたジェンキンスは、鼻歌と共に寝室を後にするのだった。
短編と後日談1.2の内容はここまでとなり、次回からちょっとした事件が起こります。




