8.家令ジェンキンスの感慨
「奥方様が嫁がれて、ほんにようございました」
雪降る辺境伯邸にて。
家令のジェンキンスがシーツを畳みながらぽつりとこぼし、窓辺で目覚ましの茶を飲んでいたステラはふと顔を上げた。
「なにが?」
まだ寝ぼけつつ首を傾げれば、ジェンキンスは替えのシーツの端をきゅ、とベッドの隙間に押し込む。
白んだ朝日の中で、紅茶の湯気がふわりと揺れた。
「旦那様が聖騎士に任命された日のことです」
そう言ってジェンキンスは、ぽつぽつと語り出す。
「旦那様はその事実を我々に告げるなり、すぐさま部屋へと篭られました」
ステラがほう、と相槌を打つと、彼はゆっくりと頷いて続けた。
「しかし、その直後の事です。部屋からただならぬ音が聞こえ駆けつけたところ、室内は見るも無惨な有り様...。破壊の限りを尽くされた旦那様が、息も整えず、剣を手に立ち尽くしておられました」
シーツはずたずたに破れて羽毛が溢れ、薙ぎ倒されたクローゼットの扉は無惨にひしゃげ、床一面には鏡台の鋭い破片が飛び散っていた。
その中で荒く息を吐き出しながら、指が軋むほど剣を握り締めたセリウスが立ち尽くす姿は、家令一同が思わず腰を引いたほどである。
ぐっ、とシーツを引っ張って整えながら、ジェンキンスは眉を少し顰めた。
「あれは実に痛ましかった...。その凄惨さたるや、今ここにある家具は全て新しく買い揃えたほどです」
彼の言う通り、室内の家具は全てが真新しい。
てっきり妻を迎える為に買い揃えたのだと思い気にもしなかったが、そんな事があったとは。
ステラは「ふうん」と一つこぼすと、紅茶を傾けて息をついた。
生粋の騎士であり、辺境伯としての矜持を何より重んじているあいつの事だ。
“聖女に侍るお飾りの騎士”への任命は、あの日怒鳴った彼の言葉通りに、酷く耐え難いものだったのだろう。
「その後も、聖騎士のお勤めから戻る旦那様は何もおっしゃることはなく...。日に日に表情が翳られ、我々も“なんとお声をかけするべきか”と窺うだけの日々を過ごしておりました」
ジェンキンスは静かに言うと、整ったシーツを撫でてこちらを振り向く。
「しかし、今の旦那様は生き生きとしておられる。奥方様に接する姿は、まるで恋する少年のようです」
急ににっこりと微笑みかけられ、ステラは思わずごくっと紅茶を飲み込んだ。
「い、いや。あいつは単に遠慮がないだけだろ」
そう言って目を逸らせば、ジェンキンスはくすくすと肩を震わせる。
幼い頃から主人を見てきた彼にとっては、セリウスの変化はどう見ても明らか。長年側にいる家令や部下に対しても、今ほど楽しげに軽口を叩くことなどなかったのだから。
「いいえ。貴女がただのご令嬢でしたら、こうは打ち解けられなかったでしょう。その勇ましさと臆面のないお言葉が、きっと旦那様の本心を引き出したのですよ」
ジェンキンスが片目を瞑ると、ステラはやれやれと昇る紅茶の湯気に視線を上げた。
「一発怒鳴られなきゃ女と打ち解けられんとは、難儀なやつだな」
家を任されるジェンキンスには最初にセリウスとの素の会話を聞かれてしまい、慌てて繕ったもののすっかりこの口調はバレている。なので彼の前では言葉を取り繕うことはやめていた。
「にしても、本心ねえ...」
ステラは小さく呟いて、いつかのセリウスの様子を思い出した。
————
あの日、聖女による断罪と大茶番を終えて馬車の扉を閉めた瞬間のこと。
「んっ、ふふっ...あはは!!見たかあの王の顔!」
「ああ、見たとも。くく...っ、姫殿下のあの狼狽え様と来たら傑作だった」
走り出す馬車がガタゴトと揺れる中、ステラは我慢が弾けたように腹を抱えて笑う。向かい合うセリウスも同じく背を丸めて震わせ、口元を抑えた。
「しかし、君があれほどしおらしく泣けるとはな」
笑いを堪えすぎて目尻に浮いた涙を掬い、セリウスが顔を上げる。
「演技派だろう?頬の内側を死ぬ気で噛んでやった」
ほら見ろ、と口の端を引っ張って笑ったステラに、セリウスは思わず吹き出してまたかがみ込む。
ステラもあはは!ともう一つ笑うと、満足そうに頭を背にもたれかけた。
「明日にゃ間違いなく口内炎だ、ますます泣けるな。けど、お前もかなり演技派だったな?あんな顔ができるなんて思わなかった!」
思い切り茶化して笑えば、俯いていたセリウスは一層くつくつと震えて笑う。そしてしばらくの震えが収まると、ゆっくりと顔を上げた。
目の前で令嬢らしい淑やかさを脱ぎ去ったステラは、まだ口元に笑いを堪えて呟く。
「ふふっ、“俺も誓おう”なんて馬鹿みたいな演技をよくもあんなに...」
頬を綻ばせ、窓枠に肘をついて遠ざかる王城を眺めるステラの横顔は無邪気そのもの。
セリウスはその姿をじっと見つめて、ゆっくりと彼女に向かって口を開いた。
「...演技ではない。君が捕らえられたあの瞬間、俺は本当に恐怖を感じていた」
いきなり真面目な声色で告げられ、ステラは「へっ」と間抜けな声を上げてセリウスを見る。
セリウスはその様子に、ふ、と小さく微笑んだ。
「君を殺させてなるものかと、気付けば必死で台詞を叫んでいた。あらかじめ決めた言葉とはいえ、本心だった」
「このまま君が助からなければ、聖女を殺してやろうと思っていた程だ」
一層熱のこもった声で告げられ、言葉を迷う。
掬うように左手を取られ、ステラは慌ててごくんと息を飲み込んだ。
「な、なんだよ急に。お前、最近変だぞ。なんか演技が抜けなくなってないか」
いつしかセリウスは日常ですら甘い空気を纏うようになったと薄々気づいてはいたが、ここまで露骨なことはなかった。
ステラは逃げ場のない背もたれへずずっと後退りするものの、その手はしっかりと彼に握られたまま。
ステラの慌てた様子にセリウスはくすりと微笑む。
流れる黒髪の内から、狼狽えるエメラルドの瞳を真っ直ぐに見据えた。




