6.辺境の赤狼
雪降り積もる辺境にて。
辺境伯当主が黒鋼の武装を纏って姿を現すと、待ちかねていた騎士達はそれぞれ息を吸って喉の奥の熱さを堪えた。
セリウス・ヴェルドマン。この辺境領の若き統治者であり、英雄と名高き父に劣らぬ騎士。
「卿のお戻りだ!」
「お待ちしておりましたぞ!」
彼の前に整然と並んだ傷多き騎士達は、待ちかねた主の帰還に耐えきれず声を上げる。セリウスは慣れた様子で軽く手を上げそれを制すと、皆を見回してひとつ咳払いをした。
「出迎え結構。不在の間の護りを任せ、苦労をかけたな。ようやくながらではあるが、再び俺が前線の指揮を取ろう。...皆、長く待たせた」
歳に見合わぬ低く落ち着いた声で彼らを労ったセリウスは、
「その上で、一つ報告がある」
とおもむろに自身の隣へ視線を移す。
そこに立つのは、長身の彼よりも頭半分ほど低い重装の騎士。
この地の伝統的な狼を模った銀の兜の面頬を下げ、赤い兜飾りを肩に垂らして腕組みをする姿はやたらとふてぶてしい。
「この男は我が遠縁の者だが、素行の悪さで廃嫡されたところを引き取った。よって名も取り上げられている。好きに呼べ」
セリウスの語ったあまりの経緯に騎士達は顔を顰めるが、鎧の騎士は気にもしていないらしい。
彼らの視線に対して、見下ろすようにわざと顎を上げてみせる態度はやたらと尊大。素行が悪いというのも頷けるな、と騎士達は目配せ合った。
「折檻で受けた火傷が全身に回っていてな。生身で人前に出れんのは許してやって欲しい。目を離すと厄介な暴れ者ゆえ、俺の側に置く事とする」
そこまで淡々と言い切ったセリウスは、鎧の騎士に顎で促す。
鎧の騎士は彼らの前まで一歩出ると腰に手を当て、まだ年若い青年らしき声で憮然と言い放った。
「...よろしく頼む、辺境騎士諸君」
その声は元貴族とは思えぬ鋭さを纏い、兜の内から漏れ出た殺気が彼らを刺す。
“こいつは只者ではない”
戦の本能がぞくりと背を震わせ、
(よほどの悪辣に違いない)
と騎士達は身構えるのだった。
そんな名もなき鎧の騎士は、今日も前線で剣を振るう。いったいどこで覚えたのか、騎士とは思えぬ野蛮な太刀筋。重装である事を忘れるほどの軽業に近い身のこなし。
しかも盾すら持たず、両手に剣を握って踊るように蹂躙するのだ。動きに合わせて真紅の長い兜飾りがひゅるんと風を切って靡く様は、まるで演舞のようである。
そして名もなき騎士はいつからか、“赤狼”と呼ばれるようになっていた。
「はあ、相手が魔物というのは楽しいようで気が緩み過ぎる。恨みや私情が乗って来んのはまったくもって張り合いがない...」
ざん、と魔物の首を落とし、ビッと刃の血を振り払ってぼやいた赤狼に、セリウスは振り返ると呆れたような目を向ける。
「わざわざ私怨を買いたいとは、狂戦士か君は」
罵倒とも思えるその言葉を受けても、赤狼はだらんと肩を落としてやる気無く天を仰ぐばかりだ。
「はーあ...、あの頃は良かったなあ。あいつとの戦は実に良かった。あのひりつく殺気...、全身の血が沸きたって、頭も真っ白になるような得も言われぬ快感だった...。今は快感の“か”の字もない...」
そして「今はぜんぜん気持ち良くない、つまらん、ほんっとーにつまらん」と左右にぐでんぐでんと兜を振ってだらだら帰路に着く。
セリウスは「文句が多いと後方に下げるぞ」と兜をコンと小突いた。
その砕け具合は、かつて寡黙で剣一筋だった彼とは全く別物。加えて、あんな粗暴な親戚と気が知れているなどと今まで聞いたこともない。
後ろを歩く騎士達は顔を見合わせた。
(なあ、やはり赤狼殿は...)
(うむ。もはや確定ではないか?)
(見慣れぬ太刀筋といい、なによりあの声)
そして彼らは、兜飾りを揺らして前を歩く甲冑の背に目を向ける。
(絶対アレ、奥方様だよなあ)
そう。彼らとて決して鈍いわけではない。
辺境の砦を兼ねた屋敷にて訓練やら会議やらの日々を送る中で、そこで寝起きする主人の奥方の姿も当然目にしているのだ。
「いつもご苦労さま。旦那様を頼むわね」
奥方であるステラが唇を上げて微笑む姿は、歳に似合わずなんとも艶やか。ゆったりとした優雅な所作は理想の淑女と言えるだろう。
彼女が辺境の宿敵の特徴である赤髪緑眼などでなければ、“蛮族の生き残り”とはとても思えない。
そんなステラが王都で断罪され、蛮族であると公になって戻った当初。
迎えた騎士達の中には、主人がかつての敵を娶った事実に反感を持つ者も少なくはなかった。
彼らは忠誠を誓った英雄の子のセリウスに「何が因縁を超えた真実の愛か」と怒りを滲ませ、ステラを「薄汚い蛮族の女狐」と陰で揶揄した。
しかし、ある時のことだった。
その日もステラは庭の椅子に腰掛け、ティーカップを傾けながら少し離れた訓練場を眺めていた。
訓練場からは刺すような嫌悪の視線。ステラはしばらくそれらを見つめると、一口紅茶を喉に送っておもむろにカップを置く。
すると何を思ったか、訓練場から騎士達のもとへ真っ直ぐ歩んで行ったのだ。
「貴方、わたくしに言いたいことがあるのでしょう」
正面から見据えられて驚きつつも、挑発的な態度に苛立ったのは、かつて英雄と戦場を共にした中年の騎士。
彼は蛮族の奥方を見下ろすと
「いいえ。滅相もございません、奥方様」
とふん、と嘲りを隠さず鼻を鳴らして見せた。
するとステラは彼の肩に手を置いて、もう一歩前へと踏み込む。そして騎士の眼前に顔を突き合わせると、ぎらりとエメラルドの瞳を光らせた。
「では蛮族の子として問おう」
低く発された声にはもう淑やかさはない。
女と思えぬ地を這う声に、騎士は思わず腰を引く。
たじろぐ彼を逃がすものかと、ステラは獣が唸るような声でゆっくりと告げた。
「貴様らの英雄殿は平原の民を全て滅ぼし、息子は最後の命すらも見逃す事なく手中に納めた。我が子はいずれ王国の子となり、バザロフスカの名はまことの死を迎えるだろう」
「これほどの支配を喜ばずして、辺境の騎士と言えようか」
牙を剥く気迫に騎士が冷や汗に濡れた瞬間、ステラはにっこりと唇の端を上げて微笑んだ。
「主を誇りなさい。わたくしは最後の虜囚なのだから」
するりと肩から手を離すと、先ほどまでの威圧が嘘のように庭へと優雅に歩き去る。
彼女は庭に訪れたセリウスへ柔く微笑み、腰に手を回されるのを受け入れた。
自らを虜囚と言い切り、血を滅ぼした相手へと身を捧ぐ。間近で彼女の覚悟を思い知らされた騎士達は、それを刻ませたであろう“辺境伯たる主”を疑った己を深く恥じた。
それからというもの、この婚姻に異を唱える騎士は一人たりとて居なくなった。そして当時のステラの姿は、騎士達にとって衝撃的な一面として鮮烈に記憶に刻まれたのである。
あの日のステラの低めた声と確かな殺気。
目の前で発される、男にしては高い声と騎士らしからぬ凶暴な戦いぶり。それが重ならないというのは、もはや無理というものだった。
「後方にやるだと?敵の代わりに騎士を殺していいってか」
「まだ断頭台が欲しいとは、なかなか君も良い趣味だな」
前方を歩く二人は相変わらず脅し合いに似た軽口を叩き、騎士達はそれをじっと見つめる。
本人達は気づいていないようだが、セリウスのあの甘やかさたるや、誰が見たとて男に向ける顔ではない。その上、彼が「君」と呼ぶのは奥方だけである事は周知の事実。
(あの型落ち鎧でバレてないと思ってるんすかね)
( そもそも設定に無理があるだろう)
(なんだよ遠縁って)
要するに、二人はあれほど王都で大立ち回りをしたくせに、そこばかりはモロバレなのであった。




