43.悩ましい三角関係
「あの切り株からこの大岩までが54歩、岩から木立までが67歩。岩から円状に歩いたとして...」
ルカーシュはぶつぶつと呟きながら、平原をさくさくと歩き回る。赤狼はそれを眺めつつ、暖かな陽光にくあ、と兜の中であくびをした。
「つまりは先ほど書き記した場所から大岩までが23ヨールド6レアンス。木立の始まりまでが30ヨールドということです」
戻ってきたルカーシュは、首から革紐で下げた板に貼り付けた紙へとサーっと定規を当てて何本も線を引く。そこに岩から木立までをすばやく描くと、先ほど自分が口にした距離を書き記した。
「ほお、すごいな。どんどん地図が出来上がってくじゃないか!」
「いや、そんな...。単純な目印を書いていくだけなので」
覗き込んだ赤狼にドキリと心臓が跳ねて、ルカーシュは嬉しさを噛み殺して睫毛を伏せる。
だが赤狼はそんな彼に気付かず「これでまた平原が我が手に戻るぞ」なんて機嫌を良くした。
「ちなみにこの大岩はバザロフスカの言葉でZdarovaと呼ばれていた。“たくましい男”という意味だ」
赤狼は自慢げに隣から地図へ指を差す。
ルカーシュは「そんな意味が...」と感嘆すると、目の前の大岩をじっと見つめる。
この平原に生きた、蛮族の血の生き残り。
彼女は地図を描く自分に時折近寄って、嬉しげにかつての一族の話をしてくれるようになった。
それは自分と言う存在に身を明かした事で、少しずつ信頼を受けているのだと思いたい...。
...が、振り向いた赤狼はもう側にはいなかった。
彼女は剣の手入れをしていたセリウスの肩口を引っ張って
「見ろ!あの柳の木立はIo Vroczy。“女の髪”と言う意味だ。なびく葉が長い髪みたいだろ」
と無理やり彼に視線を合わさせる。
その彼女の仕草と、「ふむ」と応える彼の態度はあまりに慣れたもので。
...そうだ。彼は赤狼殿を奥方様の妹君と知った上で預かっているこの領の主人なのだ。
何も自分だけが彼女の素性を知るわけでは無い。
そもそもこの討伐に初めて加わった時から、セリウスと赤狼殿はやけに気心が知れているのだな、とは感じていた。
軽口の応酬、触れる距離の近さ、剣を交わすあの楽しげな姿。
だがその時点の赤狼殿は“素行の悪さで廃嫡された親類”ときいていたので、あの寡黙なセリウスにこんな悪友がいたのかと少し驚いた程度だった。
けれど女性と知る今となっては、その砕け具合はどうにも密接が過ぎるように感じてしまう。
「そちらの言葉はどれも勇ましい響きだな」
セリウスは少しばかり口元を上げて隣の赤狼を見やり、赤狼は興味を示した彼に微笑む。
「そうか?優雅で美しい響きだぞ。お前はたくましい男の癖に女みたいな髪だから、Io Vroczy Ura Zdarova だ!」
あはは!と笑う彼女に「やめろ」とセリウスが眉を顰める。なのに彼の態度はどこか柔らかく、不躾なからかいすら楽しんでいるようで。
(“たくましい男”、か...)
ルカーシュは胸の内で繰り返しながら、想い人にそう言い表されたセリウスを見つめる。
誰もが認める強さ、振るう剣圧、鍛え上げられた長身の体躯。
赤狼がセリウスに向ける視線は、自然で、楽しげで、...少しばかり誇らしげだ。
それがただの戦友への視線ではないように感じてしまうのは、足りない自分の劣等感か、それとも醜い嫉妬だろうか。
「ルカーシュは女みたいな髪の優男だから、Io Vroczy Ura Slavicaだな!」
突然背中をパン!と叩かれ、ルカーシュがはっと顔を上げると、赤狼が「覚えていいぞ!」と笑いかける。
「ひ、酷い...」
「酷くない。Slavicaは川の神の名でもあるんだぞ。Slavic fu rischi Zdalch 、“優しきはまことの強さに宿る”という言葉があるほどだ」
思わずしゅんと眉を下げたルカーシュに、赤狼はからりと笑って腰に両手を当ててみせる。自慢げに言い切った彼女の台詞は、ルカーシュの沈みかけた気持ちすら、また熱を持たせて押し上げた。
途端に浮き立つ心は、彼女に期待してしまう。
奔放な意識を少し向けられただけなのに。
「だからセリウス。お前はもう少し優しさを身に付けるべきだぞ!いっつも仏頂面で威圧的な顔しやがって」
赤狼はくるりと振り返ると、びし!とセリウスに指を突きつける。
「生まれつきの顔に文句を言うな」
「生まれつき真顔の赤ん坊がいるか!どうせおぎゃあと泣き喚いて出てきたくせに」
「俺は出生時に泣かなかったと聞いたが」
「だからそんな鉄仮面なのかお前は!」
言い合う二人は楽しげで、またひやりと胸の奥が冷えてしまう。
もしや赤狼殿は、自分が想いを向けるカーラという女性の視線は、初めからずっと————
「ルカーシュ!お前はこうはなるなよ!」
明るく笑った彼女の声に、ルカーシュはまたどきりとする胸を抑えた。
だめだ。期待と不安と急に訪れる幸せが、心の内をかき乱して冷静でなんていられない。
...絵に集中しよう。早く成果を見せなければ。
完璧な地図を書き上げて、そして未だ隠された兜の内の————本当の笑顔が見てみたい。
それが叶うのなら、自分は...!
・・・
ルカーシュが木炭をぎゅっと握り直す中、遠目から彼らを見つめるイズラールと騎士達はなんとも言えない視線を交わす。
(どうすんのこれ)
(いや、どうしろと言われても)
イズラールが隣の中年騎士を小突くと、困り顔の彼はさらに隣の騎士へと視線を送る。
(やはりお教えするべきではないのか)
(でもそしたらアイツ地図どころじゃなくなるよね)
(むしろ振り出しどころか再起不能か)
(まずすぎるだろそれ)
もどかしいのに、手が出せない。
何故こんなややこしい状況に。
そして何故この状況を把握してやきもきしているのが、無関係のはずの我々なのか。
「もうそんなに書けたのか!よし、次に進もう!この先には小さな泉があってな...」
奥方様の振る舞いは罪深い。
だがそれも邪気がないから、より罪である。
彼らは討伐後の後片付けをこなしながらも、不安しかない状況に(う〜〜〜〜〜〜ん...)と無駄に頭を悩ますのだった。




