40.甘やかな降伏
「君は何を考えている!!前世の名前まで明かすとは!あいつの顔を見たか!」
寝室に戻って扉を閉めた途端、セリウスがステラを振り向きざまに責め立てる。
「なっ、なんでそんな怒ってんだお前は。なんだ、嫉妬か?前と同じやつか?」
「そうだな。その通りだ。君のかつての名を知るのは俺だけで良かったはずだろう」
それに、と言い掛けて言葉が出ない。
これ以上言えば彼女がルカーシュの想いに気づいてしまう。そうなればきっとステラは赤面し、彼から今後向けられるアプローチに心が揺れていくだろう。
かつての自分自身がそうして彼女を口説き落としたのだ。つまり、“恋愛感情の明確な宣言”はステラにとって有効なのだから。
セリウスが黙り込んでしまうと、ステラはその様子を見て気が抜けたように笑った。
「なんだ、そんなことか。名前などもう無いようなもんだろ。カーラは平原で死んだんだ。それは誇りとして誰にも譲らんが、今世のあたしはお前の妻であるステラなんだから」
ステラはそう言って、宥めるように微笑む。
今世の“ステラ”はもう同胞には会えないのだ。
ルカーシュの絵を見つめ、イリーゼに平原を見せる内にじわじわとその事実が彼女の内に滲みていた。
ステラの言葉に驚いて目を見開くセリウスは、かつての宿敵クラウスと似ているようで全く違う。
クラウスからぶつけられる感情は、騎士を何百と殺した己への怨嗟と殺意だった。
当時はその肌を灼くような殺意を快感に感じる部分も確かにあった。長の重圧の中で戦の昂りの楽しみしか知らず、己の心の解放を許される瞬間だったから。
だが彼の息子であるセリウスが向けるのは、己の妻としての明確な愛情。それも飾ったものではない、素の彼がもたらすもの。
彼はいつだって調子に乗って口説いてくる癖に、変なところで不器用で。犬のように甘えたがりなくせに、こちらをなんだかんだと甘やかす。
そして時折、こちらの過去の痛みに触れるような目をして、それを飲み込む彼の優しさにも気づいている。幼かったセリウスが背負う必要のない血の業を、“辺境伯”として自覚しているのだろう。
彼の側にいるのは心地いい。
今までの全てのしがらみや重い責務を捨てたように、妙に息がしやすいのだ。そして時々、彼の向ける愛しげな微笑みや、触れる体温に胸の奥が締め付けられる自分がいる。
「...ていうかな。あたしはそもそも、前世で誰と触れ合おうが何も感じなかったような女だぞ。お前はそれを動かしたんだから、ちっとくらいは自信を持て」
前世の自分にはこんな安らぎも、心を乱すような女の感情も芽生えなかった。
恋愛が禁忌だったのは事実だが、それを超えて中身に触れてくる者などいなかった。
だが、こいつは違う。
「お前の説いた“愛”という小っ恥ずかしい感情が何なのか、ようやく触りに近づいた気がする」
セリウスはステラに下から顎を掴まれ、ちゅ、と軽くキスを落とされて言葉に詰まる。
だが彼女の方から与えられる触れ合いに、拒まれていた“愛”という台詞に喜んでしまう、単純な自分は誤魔化せない。
「ったく、普段はあんなに余裕で迫ってくるクセに、いきなり気弱になるなお前は。情緒不安定か」
ほら、とステラに手のひらを広げられ、呆れたように笑われてしまう。
もうこうなったら敵わない。
「...それは君のせいだが」
「あたしが旦那様をいつ裏切ったよ?妙な濡れ衣を着せてくれるな」
濡れ衣ではないし、思わせぶりは罪だろう。
そう思うものの、セリウスは彼女を強く抱きしめてそれを噛み潰す。
彼女の甘い体温が心地いい。
その幸福たるや、まるで己の不安や醜い感情を、全て溶かしてしまうように。
くすぐったそうに笑った彼女に、セリウスは大きくため息をつく。呆れているのだ、あまりに容易く絆されてしまう自分自身に。
結局のところ、この妻に心底惚れてしまった俺という男の負けだ。
もうどれだけ振り回されても、ステラが愛おしいのだと思い知るほかない。
そもそも予想のつかない出会いから始まり、感情を無理やりに暴かれ、溺れるように恋に落ちたのだ。
こちらの不安を煽って落ち着かせなくする、彼女の自由すぎる振る舞いすらも魅力的に感じてしまう。
「なあ、安心したか?やきもち焼きめ」
腕の中から悪戯っぽく笑いかけられ、セリウスは彼女をもう一度強く胸へ収める。
「...出来る訳がない」
もはや大馬鹿なのは、俺の方なのかもしれない。
相変わらずの朴念仁かと思いきや、ステラのセリウスへの感情は徐々に成長していたり。
互いが強者同士なので、力関係がタイミングでコロコロ入れ替わってしまう変な夫婦です。
次回、ルカーシュは...?




