39.無自覚な最悪手
「やけに楽しそうだな、二人とも...?」
セリウスの地響きのような声が背後から降りかかり、赤狼とルカーシュはひやりとした空気を背中に感じた。
「セ、セリウス...?」
よくわからずに振り返ったルカーシュはまだ顔がほんのりと赤い。セリウスは明らかすぎる彼の態度に、ぎゅ、と革手袋の擦れる音を立てた。
「...来い、赤狼。遊びが過ぎるぞ」
セリウスから低く告げられ、赤狼はじわりと冷や汗をかいて立ち上がった。
・・・
「易々と手甲を外しおって、本当に馬鹿なのか?君は」
騎士達から離れた木の影で、怒りと圧を纏ったセリウスがステラへ詰め寄る。
「う...、それは、その...つい...」
絵に夢中になってやらかしてしまったのは言い逃れのできない事実だ。
おろ...とステラは兜の中で目を泳がし、一歩下がった。だがセリウスの怒りはまるで唸る雷雲の如く収まらない。
「何が“つい”だ。無防備にも程がある。君という女は、妙なところで驚くほどの隙を作ってくれるのは何なのだろうな...」
彼は追い詰めるように彼女に歩み寄り、ステラは「うう...」と珍しく言い返せずに小さくなった。
まったくこの妻は、自分が何をしでかしたのか本当にわかっているのだろうか。
セリウスはバツが悪そうな鎧姿を見下ろすが、「まあ、でも口封じはしたし...」なんて返してくる妻は、おそらく女だとバレてしまった事しか頭に無いのだろう。
鈍い。あまりにも鈍すぎる。
そこが可愛いらしいとすら感じるものの、同時にただただ腹立たしい。
何を隠そうセリウスは、魔物を斬り伏せ部下への指示をしながらも二人の様子をずっと伺っていたのだ。
なぜ見ていたかなど、そんなものは明確だ。
いくらこの妻に“お前の他に男はいらん”などと言われようと、他所の男と二人で居るのは面白くない。
ただそれだけである。
だがセリウスにとっては笑い事ではない。
何と言ってもルカーシュは元聖騎士。見目については申し分のない美男なのだ。
そんな輩と妻が楽しげに自分の知らぬ趣味の話をしているなどという状況に、苛つかないでいられる訳がない。
それでもステラには何かしら考えがあるのだろう、と仕方なく自由にさせてはいた。
実際あのファビアンの問題も、イリーゼとイズラールの問題も間接的に解決したのは彼女なのだ。
その上、赤狼の姿では男だということになっている。ならば多少なりとも安全だろうと。
だがまさかこの妻ときたら、ルカーシュの目の前で無防備に手甲を脱ぎ捨て、女と明かしてしまうとは。
「もしやわざとやっているのか?俺の感情を弄んでいるのか、君は」
「な、なんで感情の話になるんだ。そりゃ気ぃ抜いたのは悪かったけどさ...、あいつはたぶん言いふらさないって」
見ろ、我が妻ながら阿保なのかと疑うこの鈍さを。
そしてあのルカーシュのわかりやす過ぎるあの反応。
じりじりと焦燥に近い苛立ちが、セリウスの腹の底に溜まっていく。
「本当に、君という女は...朴念仁にも程がある...」
話の内容が全て聞こえたわけではない。
だがかつては剣にしか興味のなかったセリウスですらも、ルカーシュが赤狼に何の感情を抱いたのかくらいは理解できた。
いや。理解したというよりも、“雄として本能的な危機を感じた”に近い。
己の女へ向けられる、望ましくない感情。
実際は彼の独占欲が黙っていられなかったのだ。
だがこの女に“ルカーシュが君に恋愛感情を抱いている”と教えてどうなる?
そう言った感情を男から向けられることに慣れず、照れて赤くなるようなウブな妻なのだ。
ファビアンの時のように辺境伯夫人と知っていて揶揄われている訳ではなく、本気の恋情を男から向けられていると知れば。
そんなルカーシュを意識してしまったおかげで、奴に絆されない未来が無いとは言い切れない。
セリウスの胃がキリキリと痛み、頭痛がし始める。
「...いいか。必要以上に近付き過ぎるな。内面を曝け出すな。隙を見せるな。俺を挟まずに会話をするな」
「お、おう...?」
悩んだ末に厳しく言い含める事にしたセリウスだが、正直これで正解なのかはわからない。
結局のところ、彼とて不器用な男なのである。
そしてひたすら叱られているステラとしては、己がやってしまったという自覚ゆえにとりあえず頷き返すしかないのであった。
————
「素敵ね...、本当に目の前に平原があるみたいだわ。小川や森までそのまま...。どうやって描いているのですか?」
ドレスに着替えたステラがソファへゆったりと腰掛ける。
ここはルカーシュに与えられた客室。
彼女は彼の描く絵に頬を綻ばせた。
木製のイーゼルに立てかけたキャンバスには、手帳から木炭で写した平原の下書き。
ステラの隣に掛けたセリウスがじっと見つめる中、ルカーシュは少し緊張しつつ言葉を返した。
「ええと、その...。自分の歩幅で大体の距離が掴めるので、それをパースの線に当てはめるんです」
彼は絵の中の平原の景色に、人差し指と親指を開いて当てる。
「自分の歩いた距離から周辺距離までを掛けて数えて、また軽く計算して...。この川幅から黒い森まではおよそ12ヨールド。森の切れ目は37ヨールドと2レアンスの距離になります」
「まあ、そこまでわかるのですか?」
ステラが口元に手を当て、驚いた声を上げる。
片腕に収めた彼女が前のめりになるのを見て、セリウスがぐっと眉を寄せた。
絵に向かうルカーシュは気づかず、「ええ」と頷く。
「三角関数というのですが、そういった計算法を使えば楽なものです。...まあ、これも騎士には役に立たない特技ですよ」
寂しげにつぶやいた彼に、ステラは目を丸くする。
サンカクカンスウ、という言葉はよく知らないが、こいつは正確な地形の距離が歩幅と目測で測れるというのか。
「それは素晴らしい特技ですわ!赤狼も貴方をすごいと言っていたけれど、本当でしたのね」
この技術は使える。ならば褒めて伸ばしておくべきだ。ステラが赤狼の名を出した途端、ルカーシュがびくりと肩を上げた。
「そ、そうですか...。赤狼殿が、そんな事を...」
耳を赤らめる彼は、取り出した絵の具をパレットに絞り出しながら小さく呟く。
セリウスはより眉を顰め、ステラはにっこりと頷いた。
「ええ。動物の絵もお上手なんですってね。帰ってすぐに教えてくれましたのよ」
ルカーシュはますます赤くなる。
そして彼はパレットを机に置くと、ステラをおずおずと振り向いた。
「その、奥方様は赤狼殿と仲がよろしいとおっしゃっておられましたが...、鎧を脱いだあの人のこともよく知っておられるのですか...?」
暗に女性であることを伺う彼の台詞に、セリウスが焦って「余計な事を詮索するな」と口を開きかけるが、ステラは咄嗟にピン!と名案を思いつく。
「ええ!知っているわ。“彼女”のことは」
待て、何を言い出すのだこの妻は。
こやつはあのイリーゼとは違うのだ。
騎士爵を持つ彼に辺境伯夫人とバレれば、最悪の場合、社交界に知れ渡るとも限らない。
セリウスがじわりと焦って様子を伺う。
「!、...やはりそうなのですね。合点が行きました」
ルカーシュが目を見開き、ほっと息をつく。
元々粗野な男が夫人と仲がいい事には疑問を抱いていたが、女性同士と知っているなら納得がいく。
するとステラはそんな彼に捕捉するように言葉を続けた。
「彼女とは実は姉妹なの。バラルディ家の蛮族の娘は二人だったのよ。旦那様にお願いして、あの子も騎士として引き取っていただいたの」
「!?」
セリウスはばっと隣の彼女に視線を移す。
まったく何を言い出すと思えばこの女は...!!
そんな説明をルカーシュにすれば、よりおかしな事になるではないか!!
だが時すでに遅し。
ルカーシュはぱあっと紅の瞳を輝かせ、「そうですか...!」と期待の色を浮かべる。
「その、彼女は何というのです...?本当のお名前はあるのでしょうか」
両手の指をもじ、と絡めて聞く様子は、まさに恋を知ってしまった純粋な青年。
馬鹿なのか。
本当にこの妻はドの付く阿保なのか。
お前のついた嘘のせいで、完全にこの目の前の男は焚き付けられてしまったではないか。
キリキリキリ...、とセリウスの胃がふたたび痛み出すが、ステラは全く気づきもしない。
「...カーラよ。このことはどうか内密になさってね」
伝えたのはまさかの前世の名。
微笑んだ彼女にルカーシュは息を呑み、「カーラさん...、美しい名ですね...」などと恍惚とした表情を浮かべる。
この、大朴念仁の、大馬鹿妻め...!!!!!
あまりの彼女の鈍さ加減に、セリウスは激しく痛む額を抑えた。
しかし当のステラはというと隣の彼に微笑んで「ほら、これでバレなくなったぞ」などと自慢げに囁くではないか。
どうせ“思いつきにしてはいい考えだ”とでも思っているのだろうが、今回ばかりは愚策に尽きる。
全てはこのステラという女が、恋愛感情というものにだけはあまりに意識が向かないばかりに。
ルカーシュはそんなセリウスの焦りも露知らず、すっかり初恋に舞い上がった面持ちでステラに向かい合う。
「あの、奥方様。もしや彼女の好むものなどご存知では...」
口説く気か。
まさかこやつめ、本気で俺の女を口説く気なのか。
ルカーシュが嬉しそうに口を開き掛けた瞬間。
セリウスは妻を抱く手に力を込めて、限界とばかりにこめかみをブチッ!!と鳴らした。
「ルカーシュ、貴様は何を惚けている!!!自分がここになぜ預けられたかも忘れたか!!」
いきなり吠えるように怒鳴られ、ルカーシュはびくんと跳ねてさあっと顔を青くする。
「す、すみません、セリウス...」
「画材を無駄にするならすぐさま追い出す。猶予はひと月と俺は伝えたはずだが...?」
青筋を立てて凄む辺境伯の迫力たるや、まるで牙を向く猛獣のよう。
ルカーシュは「ははははいっ!今すぐ!!」と叫ぶなり、慌てて絵へと向き合った。
ルカーシュはすっかりお花畑。
最悪すぎる展開に、セリウスは胃痛と頭痛がおさまりません。
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